堺屋太一 (272レス)
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(3): 2019/02/09(土)22:08 ID:IB3PQNps(1/7) AAS
◆不要な官制事業が国民生活を地獄へ導く 第二地獄
2chスレ:eco

市場主義は経済版の民主主義である。 第4市場
2chスレ:eco
2: 2019/02/09(土)22:11 ID:IB3PQNps(2/7) AAS
平成」がはじまった直後、私は「平成三十年」と題する予測小説を書いた。その第1章の表題は「何もしなかった日本」である。

 平成のはじめに、「これからの何十年か、日本は大した改革も大きな新事業もしないだろう」と予測したのである。
≪「低欲社会」で起業家がいない≫
 それでも、この小説に登場する官僚たちは、財政の健全化を目指して消費税率を20%にまで引き上げようとする。「消費税率20%」は、ヨーロッパ諸国では既に実現している水準である。
ところが現実の日本は、消費税を5%から8%に引き上げただけで、そのあとはなにもしていない。年々多額の財政赤字を垂れ流しながら、物価はほとんど上がらず、円の為替レートもしっかりとしている。
そんな魔法のようなことが、どうして生じたのか。そしてそれが「日本と日本人」にとって、有り難いことなのか、その逆なのか、真剣に考えてみよう。
日本政府が年々巨額の財政赤字を出しながら、物価上昇も起こらず為替の下落も生じない背景には、日本社会を覆う「低欲社会」化の現象がある。
低金利の金あまり社会を提示しても、消費に動く人も少ないし、起業に走る者も少ない。この国の人々の願いは、大企業の正社員になって安定した収入を定年まで得るか、
せいぜい息子に医師免許を取らせて勤務医として働き続けるようにするかが希望だ。
3: 2019/02/09(土)22:20 ID:IB3PQNps(3/7) AAS
事業を起こして財を成し、他人を使う身になろうと、希望する者はごく少ない。
それは恐らく、この国では起業者や多額納税者に対する尊敬が、きわめて限られているためでもあろう。
資本主義の社会では、業を興して財を成した人々を尊敬もし、崇拝もする。だからこそ、あえて困難と危険を冒しても起業する者が出る。
そして、そんな起業家のおかげで世の中が進歩し、豊かになる。
ところが現在の日本では、起業成功者を尊敬しないし、優遇もしない。これでは危険を冒して起業に走る者が少なくなるのも当然だ
アメリカのトランプ大統領は税制を改革、相続税の引き下げを公表した。日本ではむしろ相続税の課税強化に走っている。
どちらが正しいか、どちらがいいかの問題ではない。世の中の仕組みと発想の問題である。

 私は子供がいないので遠慮なくいえるのだが、世の中の進歩と安定のためには、有産階級が必要であり、「社会の重し」としても大事である。

 現在、国連加盟193カ国のうち、相続税のあるのは少数にすぎない。日本ほど厳しい相続税を取り立てる国は珍しく、
最近は相続税逃れのため諸外国に移住する成り金層も増えている
4: 堺屋太一 2019/02/09(土)22:23 ID:IB3PQNps(4/7) AAS
フランスでは、現在の富豪上位200軒のうち、半分がナポレオン3世の頃から続く家系というが、日本では明治からの富豪など全くいない。いや、昭和の富豪さえ平成の30年間でほとんど消えてしまった。

 日本で継承されるのはむしろ人脈、えたいの知れぬ人間関係で、息子や娘に権力や人気を引き継がせる方法である。
≪嫉妬から逃れ豊かさの追求を≫
要するにこの国は、奇妙な人間関係の谷間で、資本主義体制になり切れなかったようだ。それがこの国の短期志向となり、官僚主導を産んだ。
日本の官僚は真面目で善良で仕事熱心だが、日本社会の奇妙さを反映してか、1年か2年でポストが替わる。
これでは長期の政策を考えることもできなければ、十分な専門知識も積み上がらない。最近の「有力官僚」といわれた人も、退職すればただの人。
天下り先で車が付くのを威張る程度の哀れな存在である。
5: 堺屋太一 2019/02/09(土)22:25 ID:IB3PQNps(5/7) AAS
先の大戦の主導者でさえ「時流に流され、やむなく戦争への道を走った気の毒な人」ばかりだった。「社会の重し」ともいうべき「代々の有産階級」を欠く日本の構造的な失敗である。
 かつてイギリスの首相を長期間務めたマーガレット・サッチャー氏はいった。
「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が豊かになるわけではありません。それにもかかわらず金持ちを貧乏にしたがる人がいるのは嫉妬です。嫉妬は人類最大の劣情です。
劣情に基づく政治は悪い政治です。私たちは嫉妬の政治から逃れねばなりません」
この言や良し。
日本も嫉妬の政治から逃れ、真の豊かさと楽しさを追求すべき時代である。平成の次の時代には、それを望みたい。
ここは、政治家とそれを支持する有産有識の士に、長期の視野と思考を持って「平成後の日本」をじっくりと考えてもらいたい
6: 2019/02/09(土)22:28 ID:IB3PQNps(6/7) AAS
多様な社会への道が開けた「次世代日本人」を増やそう
外国人労働者受け入れを拡大するための入管法改正。拙速との批判も強いが、
内閣官房参与で作家の堺屋太一氏はその意義を高く評価する。
去る12月8日、出入国管理法改正案が参議院で可決、成立した。4月には省令なども整い施行されることだろうが、野党の大部分は「審議時間が短い」と反対、事実上の強行採決になった。
国会での審議に時間をかければいい法案ができるとは限らない。政治ではタイミングも大切だ。
終戦直後に学校制度の改革が議論されたとき、私は小学校5年生だった。もしあの改革が長い議論で施行が2年も延期されていたら、私は奈良県の村営高等小学校に進み、
村役場か農業協同組合に勤めて生涯を終えたかもしれない。
改革議論を繰り返す官僚や国会議員にとっては、2年や3年は何ということもないだろうが、その制度の適用を受ける人にとっては12歳のときは一生に1回、そのときに施行されていた制度によって人生が左右されることもある。
今、日本は「人口減少の瀬戸際」。ここでよき「未来志向の体制」が採れるか、小さなことにこだわって大局を見失うかは、それこそ日本の未来を決める重大問題である。
深刻化する日本の人口減少
7: 西尾幹二 2019/02/09(土)23:31 ID:IB3PQNps(7/7) AAS
――『 「労働鎖国」のすすめ 』(1989年)を刊行されたころですね。テレビではどのような論を展開されたのですか。
西尾 端的に言うと、移民を安易に受け入れることは「弱者の脅迫」を招いてしまうということです。
つまり、助ける・助けられるという関係が逆転し、労働者を受け入れる側がいつの間にか、労働者の送り出し国に依存し、支配されたり、押さえつけられたりしてしまう。
■甘いことを言っているとどうなるか、何一つ学んでいない
西尾 当時のドイツで言えば、多くのトルコ人がクリーニング屋の仕事についたのですが、それが次第に常態化し、いつの間にかクリーニング屋はトルコ人の仕事となってしまった。
すると彼らがいなくなると困るのはドイツ側です。ドイツはあるとき大金を付けてトルコ人を大勢送り返した。同じ数のトルコ人をドイツ社会は必要とするに至る。
ドイツは次々と新たなトルコ人を受け入れざるを得なくなっていく。そこで経済不況が起こると、ドイツの労働者が失職し外国人の雇用保護が目立つようになり、ドイツ人が怒り出し、外国人への襲撃が日常化するということになりました。
 また、当初の賃金設定で労働していた移民が次第に不満を高め、社会的にも経済的にも受け入れ国が混乱することも簡単に想定できる。外交面での「弱者の脅迫」も懸念される問題です。
――2018年12月には改正出入国管理法が成立し、外国人労働者受け入れの問題は再び今日的なテーマになっています。
西尾 かつての日本は他国の失敗を学習し、反省して進む国だったのに、今はそれすらできなくなっている。
省2
8: 2019/02/10(日)12:39 ID:AY8i/F2z(1) AAS
死亡
9: 2019/02/10(日)12:43 ID:PqOn9L6d(1) AAS
しきょ
10: 2019/02/10(日)13:09 ID:7NNisUx4(1) AAS
大阪万博2025を見て欲しかったです
11: 2019/02/10(日)14:15 ID:/QsGVMTs(1) AAS
団塊世代=1947〜1949年生まれ

団塊ジェーアール=1971〜1974年生まれ

80代を団塊って言ったり50代を団塊って言ったり
30代を団塊JRって言ったりメチャクチャな連中がいるよな
勝手な定義が蔓延している

それと、団塊ジェーアール=団塊の子供、という意味ではない
出生数が200万を超えた2回目のベビーブームという意味でしかない

単に「団塊の子供」と言うと、1960年代後半生まれから1990年代前半生まれまでかなり範囲が広くなり
これを同世代と扱うにはさすがに誰も納得できないであろう。
12: 2019/02/10(日)17:26 ID:xEo6QkIc(1) AAS
アホアホ自営業者のシャチョーさん相手に詐欺じみたビジネス書書いてる印象
13: 2019/02/11(月)15:17 ID:pijEN6zX(1) AAS
堺屋太一さんは「予測小説」を得意とした。できる限りのデータを集めて近未来を予測し、社会が直面する重大事件を描く。出世作「団塊の世代」では80〜90年代に予想される社会問題を描き、
朝日新聞で97〜98年に連載した「平成三十年」は、執筆時の20年後を描いた。どちらも、将来の課題解決につながれば、との危機感と構想力のたまものだった。

 「団塊の世代」(1976年刊)は4話構成で、それぞれの登場人物は47〜49年に生まれたベビーブーム世代。2000年を描いた第4話では、主人公の福西は52歳、老人対策事業担当参事官だった。

 「日本人口の中で老人の比率が高まるにつれて、老人問題は大きな社会問題になっている」という政治状況は現実そのまま。老人対策事業に関わる官庁が増えて、調整役のポストが必要になった、という設定だ。
予算編成にあたって、「老人対策費だけで五十兆とか六十兆」という数字に福西はおののく
14: 2019/02/12(火)00:26 ID:TOI0yShx(1/5) AAS
オリックスの宮内義彦シニア・チェアマンは10日、堺屋太一氏の死去について「当代稀(まれ)な碩学(せきがく)を失ったことは痛恨の極み」とのコメントを出した。主な内容は以下の通り。
突然の訃報に接し大変に驚愕(きょうがく)している。堺屋氏は広範な興味と旺盛な探求心のもと、晩年に至るまで時代層の分析、未来予測、社会の動きについて鋭い観察と先見性を示してこられた。
当代稀な碩学であり、同氏を失ったことは痛

石原慎太郎氏(86)は10日、都内の自宅前で取材に応じ「本当に驚きました。大事な人だった。ショックだね」と声を落とした。
堺屋さんとは、講演旅行で外国を回ったことがあり、昨年秋には、BSフジの報道番組にそろって出演。日本の課題について論を交わしていた。「『才人』と言えば、薄っぺらくなりますが、豊富な才能を持った人だった」としのび、「ただの友人ですが、同じ作家仲間でもあった
。西部邁くんもそうですが、日本の同世代の論客が亡くなっていくのは寂しいですな、本当に」と話した。
かつて日本維新の会をともに率いた橋下徹前大阪市長も、堺屋さんと深い関わりがあった。石原氏は、「橋下くんや大阪の責任者は、堺屋くんにずいぶん知恵を授けてもらったと思う。橋下くんは寂しいだろうね…僕も寂しいですが」と思いやった。
15: 2019/02/12(火)00:31 ID:TOI0yShx(2/5) AAS
堺屋太一さんは1998年7月から2年間、小渕恵三内閣と森喜朗内閣の目玉閣僚として経済企画庁(当時、現・内閣府)長官を務めた。日本経済がバブル崩壊の後遺症に苦しんだ時期。
かねて政府の景気判断が遅れ、有効な手を打てなかったと批判していた堺屋さんは、正確な景気判断とわかりやすい説明を掲げた。

 その象徴が自身の発案で2000年に始めた「景気ウォッチャー調査」だ。タクシー運転手や飲食店経営者、小売店の店長ら約2千人に景気の現状を聞いて指数化するもので、多くの経済指標の中でも景気の動きをいち早くつかめると評価されている。

 金融不安に揺れた1998年11月には、景気底入れの兆しを先んじて見通し、「変化の胎動も感じられる」と表現した。

 一方で、財政再建よりも景気回復を優先させる政策の理論的支柱も担い、歴代政権による度重なる財政出動で国の借金残高は膨らんだ。00年12月の長官退任後も内閣特別顧問を務め、現在の安倍政権下でも内閣官房参与として助言してきた。

 出身地の大阪では大阪証券取引所の社外取締役を務め、関西空港の機能強化など「関西復権」を訴える経済人の代表格だった。(
16: 2019/02/12(火)00:42 ID:TOI0yShx(3/5) AAS
「いつ寝ているのかと思うぐらい、人並み外れた情熱と行動力で駆け抜けた人だった」。堺屋さんの自宅を設計するなど40年来の親交があった建築家、安藤忠雄さんは、こう振り返った。

 堺屋さんは、昭和45年の大阪万博の企画・立案に携わったことでも知られる。「『失敗するぐらい大きな発想力で新しい世界を目指そう』というのが信念。敵も多かったろうが、
困難もすべてエネルギーに変えてきた」(安藤さん)。2025年に開催が決まった2度目の大阪万博についても、「なんとしても見届ける」と語っていたという。
 安藤さんは、「心残りだったろう。彼の無限大の発想力は、これからの日本にこそ必要だった。今度の万博を成功させることで、その魂を引き継ぐべきだ」と力を込めた。
昭和45年の大阪万博でコンパニオンの制服を手がけたデザイナー、コシノジュンコさんも、「素晴らしい日本の才能を一つ失い、悲しい限り」としのんだ。
短い丈のワンピースや地下足袋風のブーツなど、コシノさんの斬新なデザインが物議をかもすと、堺屋さんは周囲との調整に奔走したという。
「官僚といえばお堅いイメージだが、常に私の良き理解者として振る舞ってくださった。作家に転身し存在感を増し、万博の基本形を作った。経験者として、助言を与えたり、
著作を残したり、まだまだ活躍の場はあったはずと思う」と話した。
17: 2019/02/12(火)00:47 ID:TOI0yShx(4/5) AAS
田原総一郎

大阪万博が終わった直後の1971年頃、初めて堺屋さんにお会いした。誰も思いつかなかったような大阪万博を企画し、成功させた人に会いたかったからだ。ざっくばらんで官僚らしくない面白い人だと思った。

 とにかく構想力があり、ものすごい先見性やビジョンを持っていた。その後に携わった沖縄海洋博では、沖縄は観光資源も豊富で大いに発展できるのだという可能性を示した。

 書籍では、『団塊の世代』(76年)で、その世代が後に大きな問題になることを予見していたが、日本が石油を断たれたらどうなるかを描いた『油断!』(75年)も衝撃的だった。
『知価革命』(85年)では、80年代の段階でITの時代が来ると予言し、対応を訴えていた。だが、日本社会は変わらず、IT化が遅れてしまった。悔しい思いをしたのではないか。

 日本社会の縦割りの弊害を感じていた人だからか、水平思考という言葉をよく使っていた。バランスや、組織を横断することの重要性を言いたかったのだろう。
一方で万博や海洋博を企画したことを考えても、空気を破ることを何とも思っていなかった、希有けうな存在だ。
省5
18: 2019/02/12(火)00:49 ID:TOI0yShx(5/5) AAS
コシノジュンコ

堺屋さんとの出会いは、大阪万博が開幕する前年の1969年です。それから50年ほどの付き合いですが、私と会うと、決まって当時の衝撃を思い出すみたい。

 大阪万博では、三つのパビリオンで、コンパニオンのユニホームのデザインを手がけました。その一つが生活産業館。パビリオンを担当した建築家から依頼されたのですが、
デザインを見せると、堺屋さんらから猛反発を食らいました。彼は当時、通商産業省(現・経済産業省)の役人で、生活産業館の責任者を務めていたのです。

 私は既にこの頃、グループサウンズのステージ衣装を手がけていたけれど、お堅い職業の人には知られていなかった。しかも、提案したのは超ミニスカート
に地下足袋風のロングブーツ。堺屋さんらは「こんなの、着させられない」と。私は納得がいかず、新幹線に乗って何度大阪に説明に行ったことか。

 万博では若い芸術家が多く起用され、一斉に文化が花開いた。堺屋さんだって、そこで文化に触れたからこそ、作家になったのだと思いますよ。その後はよく話をするようになりました。話し好きで、物知りで、大阪人っぽい人。
省3
19: 2019/02/12(火)20:25 ID:uZi+nJEn(1) AAS
233 名前:列島縦断名無しさん :2019/02/10(日) 14:33:00.85 ID:6q/oiT8b
堺屋太一死んだな
嫌いだけど

245 名前:列島縦断名無しさん :2019/02/10(日) 22:02:35.37 ID:t6oD8ofA
>>233
大阪を売ったよね。

247 名前:列島縦断名無しさん :2019/02/10(日) 23:31:48.62 ID:9pBgMAyd
>>245
40年間も大阪を売国してたのは自民党やろ
共産党も黙認してたし
省5
20: 2019/02/13(水)00:09 ID:mNxkdgaK(1/3) AAS
「人口減少問題に手を入れず10年をさらに流してしまえばみじめな現実を迎えるだろう。韓国やシンガポールなどに後れをとって1人当たり所得が世界50位になるだろう」

8日、享年83歳で死亡した日本の経済官僚出身天才作家、堺屋太一氏が最後に構想していた未来小説にはこのような内容が入る予定だったとテレビ朝日が12日、報じた。

『団塊の世代』『平成三十年』などの小説で日本の未来を占うかのように予測してきた堺屋氏が遺言のように残した最後の予言であるわけだ。テレビ朝日は「彼の予言が現実化しないように早急に手を入れて対策を立てなければならない」と伝えた。

堺屋氏はどのような人物で、彼の予測がどれくらい正確で日本社会がこのように敏感に受け止めているのだろうか。

日本のメディアが表現する堺屋氏は「天才の典型」だ。大阪出身である彼は東京大経済学部を卒業した後、1960年通商産業省(現・経済産業省)に入省した。28歳だった1970年大阪万博の企画を担い
「未来社会」をテーマにして博覧会を大成功に導いた。75年に作家に変身してから翌年出版した小説『団塊の世代』がベストセラーになった。
弟一次ベビーブーム世代である1947年〜1949年生まれの人々が日本社会に及ぼす影響を予測した内容だ。「団塊のようによく一つになる」という意味から由来した「団塊の世代」という言葉はその後日本社会で一般名詞になった。
省1
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