愛媛のダーツ事情 (75レス)
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54: 2018/03/27(火)14:07 ID:pg7QVg070(1) AAS
段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、
日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」しかし、その後、天皇の思いは完全に踏みにじられ、
安倍政権は沖縄への基地押し付けといじめ政策を始める。これに対して、天皇は強い不快感を示したとされる。
その象徴的な事件が、翌年、政府主催で行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」だった。
1952年4月28日は、サンフランシスコ講和条約の発行日にあたる。第二次安倍政権はこの日を
「主権回復の日」とし、政府主催で初めて式典を開いて、天皇・皇后に出席を要請した。式典の開催は、
自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあった。しかし、天皇・皇后は事前段階からこの
「主権回復の日」に拒絶感を示していた。陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、
「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていたつまり、天皇は、沖縄は1972年の本土復帰まで切り捨てられていたという事実を示し、
政府に反論していたというのだ。宮内庁の元幹部は「歴史的な事実を述べただけだが、陛下が政府の説明に指摘を加えることは非常に珍しい」と説明する。
憲法で天皇は政治的権能を持たないと規定され、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認に基づく」とされる。
式典出席などの公的行為も内閣が責任を負う。元幹部は「政府の助言には象徴天皇として従わざるを得ない。
国民統合の象徴として沖縄のことを常に案じている陛下にとって、苦渋の思いだった」と打ち明ける。
しかし、結局、官邸が押し切るかたちで天皇、皇后は式典に出席させられた。しかも、式典当日、
菅義偉官房長官が閉式の辞を述べ、天皇・皇后が退席しようとしたとき、"事件"は起きた。突然、
会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだ。安倍首相らも壇上でこれに続き、
高らかに「天皇陛下万歳」を三唱したのである。天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、
わずかに会釈してから会場を去った。その顔は険しく、微動だにしないものだった。「天皇陛下万歳」の唱和で見送られた天皇は、
側近に「不満げな表情」で「私はなぜこの式典に出ることになったのか」と漏らしていたという。
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