[過去ログ] 肥田式強健術 02 (983レス)
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21: 2019/06/09(日)01:57 ID:1uEoNOir0(7/20) AAS
 仰いで神に謝す。私にこの不朽なる至宝を与へ給へることを。神よ。なんじは何が故に、賤陋
見る影もなき私に、かくも無限の大恩寵を垂れ給へる!我れ今、我が正中心の至誠を捧げて
、なんじが光明の裳裾に触るることを得たり。魯鈍なすなきの我を、絶へず鞭打せられ、導きて
、この聖境に到らしめ給へることを深謝し奉る。世界人類の上に、平等に与へ給へるこの宝庫
を、我が兄弟姉妹達が啓き得て、肉体の健全と、精神の歓喜とに、常に浸さるるやう、なんじの
恩寵を垂れ給はんことを祈り奉る。
22: 2019/06/09(日)02:05 ID:bokzoOP20(1/2) AAS
20年先生乙
23: 2019/06/09(日)02:07 ID:1uEoNOir0(8/20) AAS
 我が大本を確守して、謙虚広く学ぶべしとして居った私は、あらゆるものから教へを受くること
に努めて居った。すべての体育運動健康法競技、及び一切の武術はもとよりのこと、軍隊の
教練演習から、舞踊、作法、礼式、茶の湯、芝居、軽業、さては講演、説教、和洋音楽、義太夫、
浪花節に至るまで、熱心に熟視し、傾聴して、その中から透徹した一道の流れを汲み、諧調ある
動作、洗練された技能に触れ、いやしくも我が練修法の改善に、資するものがあるならば、取って
以って、其の糧とすることに努力し来たったのである。
24: 2019/06/09(日)02:25 ID:1uEoNOir0(9/20) AAS
 これぞ私が、四十年近くの長年月、不断の鍛錬を続け、二十年間伊豆の僻村に潜みて、
孤独対天の修養より、体得したる不朽の真理である。天下、一人の共鳴する者もなく、一人
の理解する者もなく、── 否世を挙げてことごとく、反対攻撃しやうとも、私のこの信念は
動かぬ。、、、、、元来世間なんて一寸も相手にしているんじゃないからな── しかり。
私はただ真理に向かって、直進すれば足る。真理を証するが為には、鼎鑊なほ甘きの大確信
が、厳乎として我が内に存在する。
25: 2019/06/09(日)02:30 ID:Z7EQsh0c0(1/2) AAS
そして餓死した。


26: 2019/06/09(日)02:36 ID:1uEoNOir0(10/20) AAS
 真に真理を奉ずる者は、孤立独行、漠々杳々たる大宇宙の旅に、ただ一人、淋しき歩みを
続けなければならぬ。だがいやしくも向上の志を抱く者は、真理と倶にあり、真理と共に斃れる
ならば、それで本望なんだ。何の── くだらん人間の毀誉褒貶なんて、ソンなものに、左右せ
られて何とする。
27: 2019/06/09(日)02:41 ID:1uEoNOir0(11/20) AAS
 何ッ、自分独りでやる。努力── あくまでも努力しろ。そこに生きる意義と、喜びとがあるんだ。
突進!突進!突進!。 死ぬまで、、、。これしきの事をだによく為し得ずば、墓の彼方に行ぬる
にしかじ。
28: 2019/06/09(日)02:49 ID:1uEoNOir0(12/20) AAS
 「伊豆の山の中だから、平静な精神が得られるのであらうが、紅塵万丈の都に於いて、それを
得る方法如何」という質問は、学生修道院院生数名、その他からも受けたことがしばしばある。
一応もっともな感じがすることではあるが、これらは全て、修養の目的を内に置くか、外に置くか
が分からないからこそ起こり来たる所の疑問である。
 修むる所が、真に己の内にあるならば、山に居っても、都会に居っても、寺に居っても、軍隊に
居っても、別に変わりはないはずである。何となれば、磨く所は、ただそれ虚無聖明の中心だから
である。
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(1): 2019/06/09(日)03:19 ID:1uEoNOir0(13/20) AAS
 腰と腹との中心を練れば身体強健となり、精神は自ずから純潔無垢となる。足の先から頭の先
まで活力は充実し頭脳は明朗澄徹一点の曇りもない。気分は常に活々している。清々している。
何時でも今生まれて来たやうだ。迅風暗澹誤解攻撃絶え間なく起こり、一人の知己なき環境も
たちまちにして光明赫々たる独自一己の新世界となる。この力は逆境艱難に遭ふて初めてその
効験を現し、しかも平々然としてその激浪を一蹴し去ることによってセルフメイド自己創造の修養
は二段も三段も躍進することが出来る。これあることによって我かくの如く進むことを得たり。
これあるによって我かくのごとく自己を造ることを得たり。欣然として逆境の恩寵を感謝するに
至る。すなわち人の以って苦しとなし、人の厭わしとする境地にあって独り中心の喜び溢るる
が如くあたかもダイヤモンドのしずくに浴するが如きの聖楽を味はふことが出来る。幸いなる
かな自己中心の世界を有する人。幸いなるかな宇宙の道を独り闊歩するの人。幸いなるかな
省2
30: 2019/06/09(日)03:28 ID:1uEoNOir0(14/20) AAS
 私はこの内に抱く、自己の世界を貴ぶ。自らの世界を自己の中心に、抱く者は幸福である。
不動の世界、安住の世界、何者も侵すあたはざる世界、全てのものと、調和溶合し得る世界、
真自由の世界、活ける神の宮殿、「神殿よりも大なるものここにあり」。
31: 2019/06/09(日)03:44 ID:1uEoNOir0(15/20) AAS
 白隠七十を越えたけれども、半点の病もなく、歯も落ちないし、眼や耳は段々良くなる。
五十日、七十日、説教しても少しも疲れない。心身ますます強健で、二十歳、三十歳の頃より
か、まだ元気だと云ふ。これを読んでうらやむものは、ただに老人連ばかりではあるまい。
年若くして病魔の為に悩まされている人達は、果たして如何の感をかなすであらう。余りの名文
であるから、形容の美辞ではあるまいかと疑う方もあるかも知れないが、其れはことごとく
生粋の事実であることは、私の経験の実際が鮮やかに証明している。形容でも想像でもない。
はつらつたる生ける事実だ。
32: 2019/06/09(日)03:54 ID:1uEoNOir0(16/20) AAS
 かくして道場はあっても、ただ独りでやる三畳の板の間、親にも修養法を説かない。
妻子にも練修法を教へない。家族親戚の一人だって私の強健術をやっている者などは
ありもしない。話もしなければ、勧めもしない。何と云ふアッサリしたことか──。
33: 2019/06/09(日)04:03 ID:1uEoNOir0(17/20) AAS
 思へば永の年月なるかな。ことに最近の二十年間、草澤の間に埋まりて、沈黙の生を送り、
教えず、説かずといへども、独りひそかに内なる中心を叩き鍛へることは、一日といへども怠
らず、そこに幽玄無窮の新境を開拓し、広大無辺なる天父の聖恩に感泣している。
 オオさうだ。自分は死に至るまで、中心の一点を叩き叩きて直進すれば、それで良いのだ。
34: 2019/06/09(日)04:20 ID:1uEoNOir0(18/20) AAS
 菜っ葉や麦のくずを食べながら、朝夕困苦修練を重ね、昼は飢え、夜は凍えながら絶えず
道に精進し、それでも毒水を浴びせかけるやうに、叱りとばされ、その上禅棒でもって、ピシャリ
ピシャリと叩かれてばかりいるにも関わらず、それをもって却って、かたじけなし、有り難しとなし
、お寺の裏の松林に、骨をさらしてもサラサラ厭ふところではない。耳をつんざくやうな悪罵怒号
と、骨に徹る程、痛く鉄拳で打ちのめされても、なお且つ平然として、結跏趺坐して、厳師の元
を去ろうとはしない。けなげさ、いじらしさを眺めては、悪魔外道といへども、覚えず頭を下げて、
合掌したくなる程の熱誠真剣さだ。
35: 2019/06/09(日)04:27 ID:1uEoNOir0(19/20) AAS
 中心真丹の道を得るのには、ただその器あるのみでは駄目だ。これに千鍛万錬の努力を積み
、血涙を絞り、辛汗を流し、時至りてようやくに透徹することが出来るのである。
36: 2019/06/09(日)04:41 ID:1uEoNOir0(20/20) AAS
 過ぐる夜、三時間にわたりて暗誦せられたる、『現れざる古今の名文詩名歌』の数々、明晰の
頭脳、強大なる記憶力、聴衆ただ啞然として驚愕讃嘆のほかなく満堂寂として息をひそむ。
ひとり先生の力ある美声は、活泉のごとく朗々口をついて四隅に響き渡る。心弦に触るる所、
或いは泣き、或いは憤り、恍乎として酔へるが如し。
37: 2019/06/09(日)07:09 ID:nJ5rhH/O0(1/2) AAS
統合失調症のブログのノリよな
38: 2019/06/09(日)09:46 ID:DzEMKp420(1/5) AAS
私は、宿屋におっても、朝は大抵三時には起床した。早い時は二時に起きる。さうして、氷のやうな
水を被り、部屋へ帰ってから、独り必ず練修を行った。飯は朝一杯、昼三杯、晩二杯、間食は果物
の他、更にやらない。酒、煙草などはもとよりのこと、茶もやらない。ただ清水だけである。朝は
主に菜っ葉の塩漬けだけで済まし、味噌汁もとらないことが多い。無論、動物性のものは、朝は
一切やらない。
 演説する前だけは、飯を五、六杯、香の物をそえて食べる。うどんのかけだと、四つ位
平らげて腹をこしらえる。二、三時間熱弁を振るって、二十分間も猛烈な練修をするのには、
その位食べた方が良いようだ。だが、卵だの、牛乳だの、肉だの、魚だのと動物性は全然
とらない。
 その方が晴々して、気持ちが良くて、力が湧き溢れて来る。種々と濃厚ないわゆる栄養物
省2
39: 2019/06/09(日)09:56 ID:DzEMKp420(2/5) AAS
 ダマスコ郊外、タルソのポーロは、突然純白の天光にうたれたと云ふが、私の場合もまた、
まさしく天光一閃の変化であった。偉大にして至妙なる力の発現に会って、唖然として、茫然
として、しばし自失してしまったが、やがて己に帰って、その場合における姿勢動作を、冷静に
検討し、慎重に審査し初めてそこに、整然たる理路と、厳然たる不朽の真理とを見出すことが
出来たのである。
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(1): 2019/06/09(日)10:06 ID:DzEMKp420(3/5) AAS
 酒を飲まずして陶酔の境、阿片を吸わずして恍惚の域、しかも清明艶麗の極、光耀と生命と
歓喜とを織りなした自然生まれて初めて解かれた、絶大絶美の姿、何と云ふ素晴らしい光景だ。
その芸術的、音楽的情緒を表現すべき適当の言葉を私は覚えない。一体何と叙述すべきか。
言語に絶している。実にや拈華微笑のほかには、現すべき手段とては無いであらう。
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