純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net (619レス)
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610: 08/18(日)19:30 ID:kCPiBb84(1) AAS
>>609
で、引用したあなた様のご意見は?
611: 08/19(月)04:32 ID:8dOpj4ha(1) AAS
>>609
粟谷さんの読書の感想、共感するところが多いです!推理小説の計算されたストーリー、面白いよね。でも、純文学も好きってところも意外で、奥が深そう。オーウェルは難しかったって話、私もそう思うかも。
612: 08/21(水)21:51 ID:s3xGsIK5(1) AAS
>>580
同意。でもそれは清張の作家としての価値を全く減ずるものではない
613: 08/25(日)08:30 ID:BFZ+y9yi(1) AAS
詩的な要素も鍵だろうな。
純文学は詩的な要素が強い。それが難しさを帯びて読み手の感性を問う一端にもなっている。
川端の作品の多くは「眠れる美女」の様な西洋的な構成の鞏固な作品もあるが、小説の形をした神経質で繊細な詩だ。ノーベル賞受賞時には本人はやんわりと否定していたが、和歌や連歌との関連を指摘されたりもしていた。
三島の作品の多くも、その格調高い理知的で絢爛な文体の効果も相まって詩の様な美しさがある。「金閣寺」「豊穣の海」等々
鴎外の簡浄な気品と強さは、そのまま当時の教育の下地に多く残っていた漢詩、漢文の素養に依る所が大きい。
昔の日本文学者が持つ独特の風趣は中国、日本の古典に通じている所に源がある。
興味深いのは谷崎。肌色が違っていて、古典の教養を踏まえた純文学の香りを纏いながら稀代のストーリーテラーで大衆文学の顔、愉しさも覗かせている。江戸の職人的な戯作者の生き残りの様な佇まいがあった。
614: 08/26(月)14:39 ID:uLFxHMiN(1) AAS
中村光夫「ある小説が芸術(純文学)と呼べるかどーかは、主人公が人間典型の域に達しているか?
     それとも類型の域を出ていないか?によります」
いたって簡単なこと、ついでに
小林秀雄「現代の小説を読んでいると、いかにもいそーな人物ばかりだが、この人達の一体どこに
     魅力があるのか?小説の読者はどこにでもいるよーな人物を求めているのではない
     この人でなければいけない、そーゆー人物を求めているのだ」
ここにリアリズムの問題が生じてくるのだ、「リアリズム」意外と解っていない人が多い
島田雅彦の『優しい左翼のための嬉遊曲』だっけ?読んだ人は知ってると思うが
アホみたいなことを書いてある、リアリズムのかけらも無い、出版社もどーかしてる
三田誠広の『僕の打ち明け話』となると小学生並の作文、読み返して恥ずかしくないか?
省5
615: 09/01(日)23:45 ID:agMfpKJJ(1/5) AAS
純粋哲学であるデカルトやカントと上司のカーネギーやロックフェラーの人生哲学の違いのような。成功に執着があるか無いか。どちらも大事。
616: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:48 ID:agMfpKJJ(2/5) AAS
現象学の()の中が純文学で外が大衆文学。中と外は還流する。
617: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:51 ID:agMfpKJJ(3/5) AAS
純文学はすべての文学を否定しても残るもの。大衆文学はすべての文学を肯定して包含したもの。が良い作品。
618: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:53 ID:agMfpKJJ(4/5) AAS
極にブレるほうが文学界の交流にいい。
619: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:54 ID:agMfpKJJ(5/5) AAS
芥川賞と直木賞を思い出してみて。
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