純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何?   [転載禁止]©2ch.net (619レス)
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603: 05/20(月)15:57 ID:D+w4/Qb8(1) AAS
私も以前は純文学こそが「真の文学」だと思ってたけど、実際に色々な作品を読んでみると、大衆文学にも奥深い作品がたくさんあることに気づいた。それに、エンターテイメント性のある作品だって、人を感動させたり考えさせたりする力があると思う。だから、私は今はジャンルにとらわれずに、面白いと思った作品を読むようにしてる。
604: 05/27(月)13:00 ID:wMR8hAUy(1) AAS
純文学は、芸術性を追求し、人間の深層心理や社会の複雑さを描き出す作品と言えます。まるで静寂の森の奥深くにある泉のように、読者を思索の世界へと誘い、深い味わいを提供します。代表的な作品としては、太宰治の『人間失格』や芥川龍之介の『羅生門』などが挙げられます。

一方、大衆文学は、娯楽性を重視し、ストーリー展開やキャラクターの魅力で読者を魅了する作品と言えます。まるで都会のネオン街を流れる川のように、軽快なテンポで読者を物語へと引き込み、爽快な読後感を与えてくれます。代表的な作品としては、東野圭吾の『容疑者Xの献身』や湊かなえの『告白』などが挙げられます。
605: 07/25(木)10:34 ID:gDrwO1kS(1) AAS
純文学:
芸術作品として読む小説: ストーリーだけでなく、言葉の美しさや、作者の考え方を深く読み解くことを楽しむ小説。

教科書に載っているような作品が多い: 夏目漱石や芥川龍之介の作品が代表的。

読者よりも作者の表現を重視: 読者にわかりやすく書こうというよりも、作者の考えや世界観を表現することに重きを置いています。

大衆文学:
娯楽として読む小説: 面白いストーリーや、ハラハラドキドキする展開を楽しむ小説。

ミステリー、恋愛小説、ファンタジーなど、いろんなジャンルがある: 読者が楽しめるように作られている。
省1
606
(1): 07/25(木)15:28 ID:nkcXEYag(1) AAS
こんなの簡単
事実・現実としてあったあるいはあるであろう出来事として語られるのが純文学
嘘・非現実を前提として語られているのが大衆文学

ちなみにこれは神話学における神話と民話の定義と重なっている
つまり純文学は形骸化した神話の現代版と言えるのかもしれない
同様に後者も民話の現代的延長なのかもね
607: 07/27(土)23:03 ID:QDcDg/gb(1) AAS
大塚清六(1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、
イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても
知られる。

以後、藤原審爾、高木彬光、島田一男、大藪春彦、五木寛之、笹沢左保などの小説の挿絵を手がけ
るようになったが、なかでも大藪春彦とは彼が初めての長篇小説「血の罠」の連載を開始した
1958年から1973年まで断続的にコンビを組んだ。

20世紀日本の画家
日本のイラストレーター
日本のグラフィックデザイナー
日本の装幀家
省3
608: 07/28(日)21:56 ID:+uvxmZW/(1) AAS
>>606
純文学と大衆文学、神話と民話の関係性は面白いですね。純文学が形骸化した神話に似ているというのは、個人の内面や社会の矛盾を深く掘り下げる点で共通しているのかもしれません。大衆文学が民話に当たるなら、人々の願望や恐怖を投影し、語り継がれる物語の形をとっていると言えるのかも。
609
(2): 08/09(金)21:44 ID:cmAkz4g+(1) AAS
粟谷佳司
小説を読むのがあまり得意ではなくて、それは字が多いから情報が多く、
話の流れはあるものの読解に正解がないからかもしれない。むしろ推理小
説が好きで、それは伏線が回収される計算された物語だからだと思った。
それにしても、文体の好みとかエンタテインメント要素もある純文学は好
きだったりする。しかしオーウェルはすっきり理解出来たとは言い難い。
2024年8月9日
610: 08/18(日)19:30 ID:kCPiBb84(1) AAS
>>609
で、引用したあなた様のご意見は?
611: 08/19(月)04:32 ID:8dOpj4ha(1) AAS
>>609
粟谷さんの読書の感想、共感するところが多いです!推理小説の計算されたストーリー、面白いよね。でも、純文学も好きってところも意外で、奥が深そう。オーウェルは難しかったって話、私もそう思うかも。
612: 08/21(水)21:51 ID:s3xGsIK5(1) AAS
>>580
同意。でもそれは清張の作家としての価値を全く減ずるものではない
613: 08/25(日)08:30 ID:BFZ+y9yi(1) AAS
詩的な要素も鍵だろうな。
純文学は詩的な要素が強い。それが難しさを帯びて読み手の感性を問う一端にもなっている。
川端の作品の多くは「眠れる美女」の様な西洋的な構成の鞏固な作品もあるが、小説の形をした神経質で繊細な詩だ。ノーベル賞受賞時には本人はやんわりと否定していたが、和歌や連歌との関連を指摘されたりもしていた。
三島の作品の多くも、その格調高い理知的で絢爛な文体の効果も相まって詩の様な美しさがある。「金閣寺」「豊穣の海」等々
鴎外の簡浄な気品と強さは、そのまま当時の教育の下地に多く残っていた漢詩、漢文の素養に依る所が大きい。
昔の日本文学者が持つ独特の風趣は中国、日本の古典に通じている所に源がある。
興味深いのは谷崎。肌色が違っていて、古典の教養を踏まえた純文学の香りを纏いながら稀代のストーリーテラーで大衆文学の顔、愉しさも覗かせている。江戸の職人的な戯作者の生き残りの様な佇まいがあった。
614: 08/26(月)14:39 ID:uLFxHMiN(1) AAS
中村光夫「ある小説が芸術(純文学)と呼べるかどーかは、主人公が人間典型の域に達しているか?
     それとも類型の域を出ていないか?によります」
いたって簡単なこと、ついでに
小林秀雄「現代の小説を読んでいると、いかにもいそーな人物ばかりだが、この人達の一体どこに
     魅力があるのか?小説の読者はどこにでもいるよーな人物を求めているのではない
     この人でなければいけない、そーゆー人物を求めているのだ」
ここにリアリズムの問題が生じてくるのだ、「リアリズム」意外と解っていない人が多い
島田雅彦の『優しい左翼のための嬉遊曲』だっけ?読んだ人は知ってると思うが
アホみたいなことを書いてある、リアリズムのかけらも無い、出版社もどーかしてる
三田誠広の『僕の打ち明け話』となると小学生並の作文、読み返して恥ずかしくないか?
省5
615: 09/01(日)23:45 ID:agMfpKJJ(1/5) AAS
純粋哲学であるデカルトやカントと上司のカーネギーやロックフェラーの人生哲学の違いのような。成功に執着があるか無いか。どちらも大事。
616: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:48 ID:agMfpKJJ(2/5) AAS
現象学の()の中が純文学で外が大衆文学。中と外は還流する。
617: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:51 ID:agMfpKJJ(3/5) AAS
純文学はすべての文学を否定しても残るもの。大衆文学はすべての文学を肯定して包含したもの。が良い作品。
618: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:53 ID:agMfpKJJ(4/5) AAS
極にブレるほうが文学界の交流にいい。
619: 死狂幻調教大師 09/01(日)23:54 ID:agMfpKJJ(5/5) AAS
芥川賞と直木賞を思い出してみて。
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