純文学と大衆文学(通俗小説)の違いって何? [転載禁止]©2ch.net (734レス)
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1(3): 2015/10/05(月)18:06 AAS
芥川賞・・・純文学
直木賞・・・大衆文学
らしいけど、
純文学と大衆文学(通俗小説)の明確な境界線ってあるの?
2: 2015/10/05(月)18:33 AAS
純文学と大衆文学というような絶対的な基準よりも、もっと相対的な
基準を問題にする方がメリットあると思うんだが。
例えば、ポモの批評家に媚びる作家が一時、多かったという現象は
思い出す必要がある。
いとうせいこう、島田、高橋源一郎などは、露骨にポモに媚びてた。
批評家に媚びる純文学など有り得ない。
純文学と大衆文学の明確な境界線などない。
時間が経って、純文学と評価された作品が大衆文学に評価されたり、
その逆の例など、我々は数多見て来たはずだと思うが。
一見しての思想小説が実は定型をなぞっただけの、実質は大衆小説だった
省2
3: 2015/10/05(月)18:40 AAS
谷崎作品は芸術至上主義の立場をとる芥川から
奇を衒っただけの低俗な作品だ、と批判されたけれど(国会で問題になったことすらある)
現在では純文学の王道とされている。
4(2): 2015/10/05(月)18:40 AAS
純文学と大衆文学とをくらべてみる時、「どうあってもいい。」のが純文学であって、「かくあらねばならぬ。」のが大衆文学ではないのだろうか。
つまり、純文学の場合では、「かくあらねばならぬ。」ことの条件が、作家自身のうちにある。大衆文学の場合では、その条件が、作家以外の他人のうちにある。
5(1): 2015/10/05(月)19:14 AAS
そういえば芥川龍之介が書簡で
直木三十なんとかという男は悪人であると書いていたのだけれど
純文学派は作家の人間性を重視するところがあるのかも知れない。
たとえば大正から昭和初期の代表的純文学作家である志賀直哉は
その人間性が賛美されたわけで。
そう考えると大正時代の白樺派や新思潮派の文芸運動が
「純文学」の起源と考え得るのかも。
今となっては死語となった観のある「志」という批評用語がよく使われたのも
その種の思想性が重視された時代があったからなのかも知れない。
6: 2015/10/06(火)09:28 AAS
作品の内容で定義しようとすると必ず定義から外れようとするものが出てくるから明確な境界線が欲しければ発表する雑誌で分ければいいよ
純文学の雑誌で発表されれば純文学
7(1): 2015/10/06(火)11:51 AAS
今、川端康成の古都と山崎豊子の白い巨塔を並行して読んでいる。
こうやって読むと純文学と大衆文学との違いが明瞭にわかる。
勉強のためには純文学のほうがなるが、ストーリーの面白さは大衆文学のほうが上かな。
つまりは純文学は読みにくくて難しいものが多いが、大衆文学は読みやすくてやさしいものが多い。
俺的には
8: 2015/10/06(火)15:18 AAS
なんだろう〜
9: 2015/10/06(火)15:36 AAS
>>4
これ
10(1): 2015/10/07(水)12:25 AAS
>>5
逆だよ
そもそも芥川は自分を善人だなんて自称するタイプではない
ただ単に事実として直木を悪人だと思ったから悪人だと手紙に書いただけだろ
11: 2015/10/07(水)12:47 AAS
俺にとって大衆文学は純文学以外のすべて。
推理小説、SF、ハードボイルド等は結構読んだが、
今思うと大方が時間の無駄だと思う。
ただ面白かったとかつまんなかったとか程度の感想しか残らない。
そのてん明治文豪の純文学はさすがに教養あふれているので勉強になるな。
時間の無駄となる小説は少ない。
12: 2015/10/07(水)22:35 AAS
>>10
でも、芥川は「作品ではなく人を推すのです」と漱石に言われたんでしょう?
例えば藤村の事を「老獪な偽善者」と揶揄したりもしていた。
ただ、遺書では都会人気取りにの僕も一皮むけばこんなものさ、と述べていたわけだけど。
それなりに道徳的なことは意識していたと思うんですよね。
13: 2015/10/12(月)12:13 AAS
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