徳富蘇峰 (43レス)
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1: マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/22(日)21:29 AAS
立てられるか。色々読んでるが面白い。やっぱり大した人物だわ。
24: 2016/01/26(火)11:00 AAS
近藤ようこ
徳富蘇峰は戦犯にもならなかったので(大川周明がなっているのに!)、
「暗黒日記」を読むまで戦時中の代表的イデオローグだったとは知らなかった。
彼の読売新聞の社説などを読むと笑ってしまうが、たぶん当時の庶民もそうだったろう。清沢は三日に一回くらいの割合で蘇峰を激烈に罵っている。
2013年2月24日

早川タダノリ
徳富猪一郎(蘇峰)の『皇道日本の世界化』(昭和13年)がGoogle booksで読めるとは! 
しかし、これも着想は面白いんだが、ひどく退屈な叙述が続くんだよなあ。提供したのは慶応大学か。
2012年3月14日

本日の朝日新聞朝刊読書面、七つ森書館の広告に藤沢俊昭著『戦中と戦後の責任 : 徳富蘇峰と加藤完治の場合』が出ていた。
省7
25: 2016/06/06(月)13:36 AAS
黒田清輝 生誕150年 日本近代洋画の巨匠 黒田記念館 
2016年4月15日
http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/2016/04/

そして彼が帰国したのは、日清戦争を経て、明治市民が「冷笑と反動」(徳富蘇峰の言葉)の長い期間を経て、
ようやく彼方に夜明けを見た時であった。
黒田がフランスに着いた頃は、フランスは普仏戦争の敗北とパリ・コンミューンの混乱を経て、
第三共和政が成立し、ようやく安定にむかおうとしており、その中心地パリも近代的な都市に変貌しようとしていた。
黒田が入門した頃のラファエル・コランはサロンに入選を重ね、アカデミズムの中の新進画家として評価が高まった時期であった。
時代的には、印象派全盛の時代であったが、
黒田はコランの印象派の明るい外光表現とアカデミックで堅実な描写に新しさを感じ、受け入れたのであろう。
省1
26: 2016/11/16(水)20:52 ID:5R5P2LH4(1) AAS
一方、小説『永遠の0(ゼロ)』の第九章「カミカゼアタック」では、新聞記者の高山に対して、
「夜郎自大とはこのことだ――。貴様は正義の味方のつもりか。私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」
と決めつけた主要な登場人物の一人で元社長の武田は、話題を太平洋戦争から日露戦争の終了時へと一転して、こう続けていました。

以下、近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』、
第二部第三章〈「巧みな『物語』制作者」徳富蘇峰と「忠君愛国」の思想〉より引用します。

*   *   *

「講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った」ことから
「国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは?コ富蘇峰の国民新聞くらいだった」。

そして、『国民新聞』が焼き討ちされたことを例に挙げて、「私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺(ぶんすいれい)だと思っている。
この事件以降、国民の多くは戦争讃美へと進んでいった」と断言したのである。
省9
27: 2017/02/02(木)17:03 ID:SqCJNfBh(1) AAS
oburo
全国図書祭(知識の父・文化の母)11月1日 この日、図書を神と崇めてお祭りいたしませう。
.....この日、蔵書・書棚を整理し、本の破れをつくろひませう。第一回図書祭は昭和8年に実施されたとのこと。
徳富蘇峰、新居格、長谷川如是閑等の書物エッセイの他「吾輩は書物である」等々.....
http://pbs.twimg.com/media/C3oYexVUMAATL4s.jpg
2017年2月1日
28: 2017/02/12(日)12:51 ID:4ULmgxH6(1) AAS
『必勝国民読本』毎日新聞社、1944年。

「日本国を知る第一義は日本の神国たる事を知る事である。 日本の神国た
る所以は、万世一系の皇室が日本を統治し給う為である。即ち日本は神に
よりて建てられた国である」
29: 2017/03/15(水)18:32 ID:q3A5EpAJ(1) AAS
明治国家形成期における井上毅の事績
〜福澤諭吉の時代から井上毅の時代へ〜
大久保啓次郎

「明治 14 年の政変」以降、福澤諭吉は、時の政府に対して(伊藤博文に対し
ても)教育方針の変更がもたらす日本国および日本国民の損失を訴え、再変更
を求めたが、明治 23 年に発布された(井上毅起草の)「教育勅語」は、第二次
世界大戦終了時点(昭和 20 年)まで国民教育の礎として長期間(明治・大正・
昭和)存続したのである。この政変で井上毅が果たした役割は甚大であった。
極端な言い方をすれば、福澤諭吉の国家及び国民への影響力は、「明治 14 年
の政変」の時点で終わったのである。そして再び福澤諭吉が見直されるのは、
省18
30: 2017/10/15(日)22:20 ID:yuK2tKDD(1) AAS
苑田 健
俺は司馬の小説をあらかた読んだファンの端くれだが、ある程度歴史の理解が深まるにつれ、そのアンフェアさが鼻につく様になった。
「小説家と歴史家」の仮面を使い分けるズルさに。『噂の真相』が私生活を曝露したときも、なるほど司馬らしい話だと思ったものだ。
そして本書の著者である磯田道史は、司馬を頼山陽や徳富蘇峰の系譜につらなる、「文学的な歴史家」として評価する。
見立てがおもしろく、非常に期待させる。
だが本書の実質は「シロウト評論家による文藝評論のマネゴト」にすぎず、司馬遼太郎とゆう二面性の妖怪を取り逃がしている。
2017/06/10
31: 2018/03/29(木)20:19 ID:qWvnYIs/(1) AAS
キツネヅカ
笹岡恒子さんの写真展は昭和20年代の記録的側面が強かったけれど、肖像写真も良かった。
棋士の升田幸三と徳富蘇峰、幸田露伴の写真は特に。
こうして撮られたら満足だろうなというくらいに見えた反面、どうやったらこう撮れるんだろうという深い疑問も。
やっぱり徹底したコミットなんだろうなあ。
2010年9月29日

タカラカニ・エンゼッツ
明治期の集成社という出版社はなかなか色々な本を出している。
1886中江兆民『理学鉤玄』、1887徳富蘇峰『新日本之青年』1888福沢諭吉『尊王論』など。
明治の半ばから昭和の初め頃まで活動していたのだろうか。西暦に直すと1885-1925といったあたり。
省6
32: 2018/05/04(金)21:05 ID:4m0dTWUm(1) AAS
徳富蘇峰と大日本言論報国会 (日本史リブレット)
赤澤史朗 (著)
出版社: 山川出版社 (2017/4/27)

《十五年戦争期の徳富蘇峰の政治観の特徴……第一点は、反共こそ正義という考え方である。
……中国共産党がリードする抗日の動きを撃破することは、
日本政府からみると、各列強の共通の利益であり、国際正義の立場にほかならない。

日本政府にとってコミンテルンの動きを封じ込める防共は、
ドイツ・イタリアのみならず、英米などの諸国とも一致できる点と考えられていた。/ 
しかしこういった考え方は、同じ反共的立場といっても、
米英のいだく反共思想と日本の反共主義とでは大きな違いがあったことを見落とすものである。
省6
33: 2019/06/11(火)15:33 ID:WpvRJy20(1) AAS
徳富 蘇峰(青空文庫での公開中作品:3点)
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1369.html
徳冨 蘆花(同11点)
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person280.html
34: 2019/07/20(土)20:13 ID:ELmN4CpG(1) AAS
かきくけ89
35: 2019/12/07(土)20:16 ID:AiblZzAs(1) AAS
双極凝固鑷子
(昨日になるが)8月30日の歴史:1910年8月30日、「韓国併合」後、朝鮮総督府は『大韓毎日甲報』を『毎日甲報』に変更した。

総督府は併合後以前から存在していた多様な新聞雑誌を全て廃刊した後、
『京城日報』と『(大韓)毎日甲報』という総督府機関紙だけを残すという厳しい言論統制政策を実施し、
統治イデオロギーの徹底した宣伝、刷り込み、それを通じた植民統治の定着を図った。

社是の一つ「毎日申報の新聞紙として存在する理由は我が天皇陛下至仁至愛日鮮人一視同仁の思召を奉戴し
之を朝鮮人に宣伝するにあり」から、どのような紙面であったか想像出来る。

「朝鮮の「二千余万の同胞」が「帰向」するところは「帝国の忠良なる国民」であり、
そうなったとき「悠々無窮の幸福を享有」できるということである。『毎日申報』にとって、
当時の朝鮮人にそのことを知悉させ」ることが「新聞紙として存在する理由」であり「大目的」であった」。
省2
36: 2021/10/05(火)07:14 ID:LoMq45MG(1) AAS
age
37: 2023/06/19(月)01:49 ID:U8sNcn0I(1) AAS
佐佐木頼綱
熱海の老舗店で世間話をしていると、
「この前、信綱さんのご親族が買いに来て〜」、
「〇〇さんは蘇峰さんに名前をつけていただいて〜」と、
信綱(没後60年)、横山大観(没後65年)、徳富蘇峰(没後66年)
といった人々がまるで近所のおじさんのように話題に出ます。
2023年6月11日
38: 2023/07/01(土)01:23 ID:M6zSfsjw(1) AAS
『東京』 ( 大正14年7月号 )に「文士の所得税しらべ」 ( 忙中閑人 )

1位   徳富蘇峰   23,250円 
2位   菊池寛    7,500円 
3位   水上滝太郎   7,200円 
4位   巌谷小波   6,500円 
5位   久米正雄   6,000円台
6位   長田幹彦   6,000円台
7位   永井荷風   6,000円台
8位   坪内逍遥   4,500円 
9位   岡本綺堂   4,000円台
省4
39: 2023/08/11(金)00:39 ID:4/yjF5X3(1) AAS
前坂俊之オフィシャルウェブサイト
2018/12/01
知的巨人の百歳学(114)

一昔前では『近世日本国民史」で知られる徳富蘇峰(一八六三−一九五七)で、『近世日本
国民史』(一〇〇巻)の政治論、人物評伝、史論、随筆など三百冊は書いており、著述の総
計は四百冊に達する。蘇峰が明治以降の明治以降では最多量の作家ではないか。

蘇峰は女秘書の八重傑東香(本名祈美子)が昭和十八年にガンで死亡するまで、百四十七日
間に連続百三十通のラブレターを送った。八十一歳の時である。
40: 2023/09/05(火)20:04 ID:LVhG+RX4(1) AAS
荷風が言うほど菊池寛は俗物ではないし、戯曲、小説
など、面白いものが多い。
蘆花のような通俗大衆小説家よりは徳富蘇峰は読みごたえがある。
41: 03/29(金)23:51 ID:dPapq5gA(1) AAS
太田鳴雪
今月発売予定の新刊、吉岡亮『文明論と伝記の近代』(文学通信)。既発
表の論文「島田三郎『開国始末 井伊掃部頭直弼伝』−歴史・伝・小説
−」(『国語国文研究』122・123)、「評伝の誕生−徳富蘇峰『吉田松
陰』論−」(『札幌大谷大学社会学部論集』8)などを再録。
2024年3月3日

礫川外史
やはり4月にずれ込んだ、我が師・飯田泰三先生の『近代日本思想史大
概』。集中講義ではほぼ最終バージョンを使いました。これのおかげで、
竹越三叉・山路愛山・徳富蘇峰・陸羯南・三宅雪嶺のどれかをやらねばい
省9
42: 03/30(土)22:38 ID:S8SOU+RQ(1) AAS
徳富蘇峰を取り上げるぐらいなら、中江兆民や幸徳秋水が何増倍も偉いわな。土佐人がいれば、九州全部が無くても良いぐらい。
九州人の内輪誉め主義ほど手に負えないものはないwwww
43: 05/07(火)01:11 ID:PdarszJN(1) AAS
Kanji
徳富蘇峰が戦前に出版した『近世日本国民史』の日本人奴隷の話が扇情的
だったんで、当時は大騒ぎになったんだけど、100年近く前の粗雑な記事
を今でもこうやってときどき記事にする人がいるんだよねえ、売れるから

戦後この辺りの研究はかなり進んで、本当はこんな雑な文章書ける余地は
ないんだけど。
2021年6月8日

徳富蘇峰が戦前に出版した『近世日本国民史』の話を、いまだに真に受け
てる人が多くてウンザリ

19世紀と16世紀では欧米人の地位も国力も全然違うんですよ
省4
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