[過去ログ] ★アジアを解放した日本、その尻尾にくっついてきただけの朝鮮人★ Part2 (331レス)
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275: 2020/09/07(月)11:01 ID:D1zJZban(1/4) AAS
収容所およびアメリカ軍の占領地域では、アメリカ軍兵士による住民への暴行や強盗行為が多発した。
無抵抗の住民を背後から射殺するなどの蛮行が報告されており、住民女性への拉致・暴行・強姦も多数証言されている。
戦争の終結後も暴行は続き、たとえば、「南部戦線の戦闘が終結してからはとくに米兵たちは横暴になり、昼夜を分かたず強姦事件が頻発していた。
収容所では米兵がおそってくると、酸素ボンベの鐘をたたいて女性たちを避難させるさわぎが続いた。」とも、
「戦時中も戦局が追い詰められた状態になると、アメリカの軍隊そのものが集団で村の女性たちを襲ったといいます。
なかには夫の目の前で犯された女性もいます。」ともいわれる。
アメリカ軍兵士により強姦された女性数を10,000人と推定する見解もある。
ニューヨーク・タイムズの記事によれば、強姦はあまりに多発したため、
65歳以上(2000年時点)の沖縄の住民は誰しもこの連合軍による強姦について知っているか、あるいは聞いたことがあるという。

https://i.imgur.com/TUsu1mm.jpg
277: 2020/09/07(月)12:06 ID:D1zJZban(2/4) AAS
アメリカ軍の報告書においても、収容所にいる女性に対し劣情を抱いた多数のアメリカ兵が周囲をうろつき中々立ち去らない為、
警備する憲兵(MP)の数が足りなくなり、やむなく「強姦事件と病気予防のため」に軍の法務官に、
収容所で発見された兵士を憲兵隊長に引き渡してよいという権限を与えている。

沖縄戦時中にアメリカ兵が沖縄の住民女性を強姦し、軍法会議で有罪となりながら、戦後アメリカ海軍省で判決が破棄されていた。
軍法会議で禁錮9年、不名誉除隊の判決が出たが、海軍法務総監が10月に有罪判決を破棄するよう勧告。
11月に海軍長官が判決を破棄し、被告を釈放して軍務に復帰させるよう命じた。
勧告文では、レイプ犯罪を「女性が能力の限りを尽くして抵抗したとみられるものでなければならない」と定義。
「すごくおびえて叫ぶことができなかった」と証言した被害女性に対し、最大限の抵抗をしなかった、叫び声を上げなかった−などを理由に被告を無罪とした。

沖縄における収容所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/STOCKADE_in_Okinawa.jpg
省1
279
(1): 2020/09/07(月)13:18 ID:D1zJZban(3/4) AAS
エノラ・ゲイ(アメリカ英語: Enola Gay)は、太平洋戦争末期に運用されたアメリカ陸軍航空軍第509混成部隊第393爆撃戦隊所属のB-29の機名。
B-29の中で原爆投下用の改造(シルバープレート形態)が施された15機の内の1機である。ビクターナンバー82、機体番号44-86292号機。

1945年8月6日午前8時15分に広島県広島市に原子爆弾(原爆)「リトルボーイ」を投下したことで知られる。
また同年8月9日の長崎県長崎市への原爆投下の際にも、投下の第1目標となった小倉市(現北九州市)の天候観測機として作戦に参加している。

エノラ・ゲイは、ネブラスカ州に存在したグレン・L・マーティン社(現オファット空軍基地)ベルビュー工場で製造された。
その後、ポール・ティベッツ大佐により1945年5月18日に陸軍航空隊509混成部隊へ配属されることとなる。
1945年7月6日にはアメリカ本土からテニアン島へ到着し、その日のうちに原爆を搭載するため、爆弾倉の改造が行われている。

エノラ・ゲイは8回の訓練ののち、神戸・名古屋へのパンプキン爆弾を使用した爆撃を行った。
7月31日には、テニアン沖にて、原爆投下のリハーサルを行い、「模擬リトルボーイ」を投下する。

機体名称の由来は、機長であるティベッツ大佐の母親、エノラ・ゲイ・ティベッツ(Enola Gay Tibbets)から採られたものである。
省1
281
(1): 2020/09/07(月)14:07 ID:D1zJZban(4/4) AAS
1945年11月8日にニューメキシコ州、ロズウェル陸軍航空基地(現ウォーカー空軍基地)に到着。
1946年4月29日にクロスロード作戦に参加するためクェゼリン環礁に向かうが、投下作戦がビキニ環礁に変更となったため、
翌日にカリフォルニア州トラビス空軍基地へと帰還している。

その後、機体保存が決定され、1946年7月24日にアリゾナ州デビスモンサン空軍基地へと移送された。
1946年8月30日には陸軍航空隊を除籍し、スミソニアン博物館名義へと変更されている。
その後1953年12月2日メリーランド州、アンドルーズ空軍基地へ移送、そこで解体保存されることとなる。

1995年に、国立航空宇宙博物館側が原爆被害や歴史的背景も含めて、レストア中のエノラ・ゲイの展示を計画した。
この情報が伝わると、アメリカ退役軍人団体などから抗議の強い圧力がかけられ、
その結果、展示は広島への原爆被害や歴史的背景を省くこととなり、規模が大幅に縮小された。
この一連の騒動の責任を取り、館長は辞任した。
省6
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