ホツマツタエは日本の正史 (195レス)
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191: 05/26(日)17:57 ID:0sqixnl8(1/2) AAS
渡来人の日本支配:二段階の征服と混血の歴史

はじめに

「渡来人による日本支配」という表現は、誤解を生みやすいため、本稿では日本における渡来人集団の多様性と、長い時間をかけて展開された二段階の支配過程を明らかにする。

第一段階:緩やかな移住と文化交流

古代から朝鮮半島や中国大陸から様々な渡来人集団が日本列島に移住してきた。彼らはそれぞれ独自の文化を持ち、政治勢力としても活動していた。

この段階では、渡来人集団同士の抗争や、敗北した集団の東方への移動、そして敗北側集団と現地住民との融和が見られる。これが第一段階の支配であり、比較的緩やかな移住と文化交流と言えるだろう。

第二段階:軍事力による征服と新たな王国の誕生

大和朝廷の成立後、勝者側渡来人集団連合は富国強兵政策を推し進め、東国支配計画を立てて実行していく。これが第二段階の支配であり、軍事力による征服が特徴となる。

この段階では、初めて現地支配者の首をとることでその地域を征服する「征服」が成り立つ。しかし、支配対象は既に弥生文明を取り入れ、融和した日本人であり、厳密には征服とは言い難い側面もある。

支配の長期化と新たな権力の誕生

第二段階の支配は非常に長い期間にわたったため、支配者側の先兵であった武力集団が現地で権力を掌握し、新たな王国を築くケースもあった。阿部氏はその例である。

また、勝者側集団による東国への植民政策も行われた。例えば、藤原氏の祖となる中臣氏は下総国に植民され、力を蓄えたことが、香取・鹿島神宮を氏神としていることからも伺える。

抵抗と掃討:蝦夷、アイヌ、そしてエタ

最後まで抵抗を続けた蝦夷やアイヌは、第一段階で融和を拒否した集団がいた結果である。決して大和朝廷による一気呵成の殲滅戦で陣地を明け渡したわけではない。彼らは第三勢力として独自の文化を守り続けたのである。

一方、エタと呼ばれる出雲系集団は、まつろわぬ者として忌み嫌われ、大和朝廷によって徹底的に貴人としての系統を断ち切られた。

混血と文化の融合

このように、渡来人による日本支配は、混血に次ぐ混血を経て、まるで彼らが日本の土地に吸い込まれるようにして行われていった。

弥生人による「土着民征服」という言葉に生理的な反感を持つ人がいるのは、こうした複雑な歴史的背景を理解していないためと言えるだろう。

まとめ

渡来人による日本支配は、単一の集団による一括りの支配ではなく、様々な渡来人集団が長い時間をかけて、二段階の過程を経て成し遂げたものである。

この過程には、抗争、融和、征服、植民、抵抗など様々な要素が複雑に絡み合い、現代日本の文化や民族性にも大きな影響を与えている。
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