砂の器 Part.5 (769レス)
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717: 2023/11/20(月)18:38 ID:cedNe50E(1) AAS
助監督で付いたのが野村芳太郎だった。
『醜聞』の方は会社から付けと言われて付いたのだが、『白痴』の時は黒澤直々の指名だった。その『白痴』の仕上げが長くなり、切る切らないで揉めて沸騰している黒澤の元に橋本忍は結局頓挫した『棺桶丸の船長』の打ち合わせに現れた。
黒澤は橋本に「松竹ではいいことはなにもなかった」と話し出し、しかし日本一の助監督がいると言う。もちろん野村のことだったのだが、そこに当の本人がやって来た。当時の松竹の社長、城戸四郎の意を伝えるためだった。
黒澤は早速、ふたりを引き合わせ、双方の生まれた年を訊いた。野村は大正8年で、橋本は大正7年だった。黒澤は言った。
「これから君たちの時代だ。ふたりとも仲良く、一緒に仕事をしろよな!」
その最初の機会はしかし、『張込み』ではなかった。それは『糞尿譚』(57年)という鼻を摘む社会派コメディで、最後に伴淳三郎が糞尿をぶちまけて終わる。評価する人もあったが、橋本は気に入らなかった。
というのも「ところどころをネズミが齧ったように脚本を直して」いたからで、野村とはこれっきりと思ったが黒澤の言葉が脳内を過ぎり、もう1本様子を見ようと思った。そしてそのもう1本が『張込み』だったのだ
当時の野村は若いのにすでに職人で、あるいは職人のまま終わるかと思われた。だが野村の助監督だった山田洋次によると、『張込み』では簡単に会社の方針と妥協しないという覚悟を感じたという。
それは撮影方法に如実に現れていた。野村はリアルな夏の暑さを出すために空が少しでも曇っていたら一切、
撮影をしなかった。おまけに午後1時という設定なら、大船撮影所のオープンセットでもその時刻でないと撮影しなかったというから徹底している。まるで黒澤明のようだ。
省1
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