延喜式神名帳を語るのじゃ 1 (8レス)
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1: 07/19(金)17:39 ID:1o2vO3Ie0(1) AAS
語るらしいよ
2: 07/30(火)12:34 ID:uY+kndBJ0(1) AAS
( ´△`)!?
3: [sag] 08/25(日)10:21 ID:+0WASDhG0(1) AAS
キツそう
4: 09/20(金)08:16 ID:AO5hAZIe0(1) AAS
語ろう
5: 09/20(金)19:02 ID:QzukXqyF0(1) AAS
そんな殊勝なテーマを語れる人がここにいるかどうか...

中世には「延喜式三一三二座の神」なんてよく言ったものだが。
鬼界ヶ島に流された俊寛が土地の神祇を「延喜式三一三二座の神ではないから」と言って拝まなかったせいで島から帰れなくなる話は有名。

延喜式に載ってない神は日本の神でないとする価値観と、そういう見方に反対する価値観が両方存在していたことを示してるよね。
6: 09/21(土)08:40 ID:iFsI7lop0(1) AAS
うむ
7: 09/21(土)21:25 ID:amiBTFLBd(1/2) AAS
かなり後世になるが、江戸初期寛文年間な三人の大名が自分の領地内の寺社整理をすると称して神仏分離や余剰寺院の廃寺を断行した。
出雲松江の松平直政、常陸水戸の徳川光圀、備前岡山の池田光政である。
この内松平直政はどちらかといえば、杵築(出雲)大社から尼子毛利以来の鰐淵寺を排除して出雲旧勢力の出雲国造と関係を深める狙いがあったが
後の光圀と光政は領地の儒教的統制を基にした各家の統治確立を目指し、光圀は常陸に残る鎌倉以来の新領主の自分に従い難い旧土豪の勢力を削ぐため
光政は余りにも寺社や宗教勢力(法華宗)が強すぎる備前での各勢力を衰えさせ、池田家統治を最優先する国造りをすべくこれらを断行した。
この当時の幕府すらその極端さを嘆き、相次ぐ両国寺社からの訴訟解決のため両者を隠居に追い込むのだが
この光圀光政の二人が「国内の保護し復興すべき神社」の基準としたのが延喜式神名帳掲載社と国史見在社だった。
8: 09/21(土)21:48 ID:amiBTFLBd(2/2) AAS
彼等の意識には中国以来の理想的儒教官僚・清官があったのではないかと思う。
清官は統治する地域の勧農・インフラ保全・領民の円満な納税・道徳教化・孝行者など良民の顕彰・そして淫祠邪教の廃絶を正しく行う理想の官である。
淫祠邪教の判別は当時の朝廷が推奨か信仰を許した神々を正神とし、民間で勝手に祀りだした存在を邪神としている。
そう、二人は朝廷や幕府に対する「清官」として領地内の寺社を正神とそれ以外と分別したのだ。
延喜式や国史内の神社は朝廷が奉幣したり贈位した「正神」、清官でいう所の朝廷が推奨し信仰を認めた神々に他ならないからである。
とはいえ彼等の真意は統治上、旧来の土地に権勢を持って事ある毎に容易に従わない旧勢力の
力を削ぐ事にあり
旧土豪・各勢力と領民と密接な関係にある寺社の整理で三者の連結を断ち、三者の上に大名家を置く形を確立するのが目的だったので
式内社や見在社から寺院や仏教勢力を排除する必要があった。公認宗派や権門の門跡寺院など緩衝となる勢力が介入してきては邪魔だからだ。
また幕政上規制対象に一向衆や法華不受不施派など仏教側に対象が多く(特に備前にとって不受不施派は排除目的)、その都合上結果廃仏となった。
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