[過去ログ] 藤井聡太>大山康晴>木村義雄>中原誠≧羽生善治21 (1002レス)
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28: 09/09(月)07:45 ID:bWk8V+5D(1/13) AAS
>>23
複雑な操作でないのならご自身でどうぞ
数字を出してください
41: 09/09(月)20:35 ID:bWk8V+5D(2/13) AAS
5番勝負が7番より紛れやすい、ですか
散々羽生善治という棋士を見てきたあとの発言とも思えませんが笑
紛れるだけであって別に何度も負けはしないでしょう
3勝1敗は4勝1敗より接近しているように感じるのは事実ですが(勝率面でも裏付けあり)
で、大山先生が誰相手にどれくらい取りこぼす想定か述べてくださいな
その相手に妄想タイトルをプラスせにゃなりませんので、ぜひ
42: 09/09(月)20:42 ID:bWk8V+5D(3/13) AAS
木村義雄が19-20歳のころから年8タイトル戦時代ならば?
大山のタイトルはそこまで増えないだろ、という願望もまた良し
ただ、王者大山のタイトルが増えない分は、そのライバルにタイトルが配給されるわけですからね
王者のタイトル増えないだろ、で終わって投げ出さずに
どのライバルがどれだけタイトル増やすか考えてくださいな
そうしたら渡辺や谷川のタイトルはそこまで特別多くない、ということにもなるかもしれませんからねえ
大事なとこですよ
開催されなかったタイトル戦が開催された場合には
誰かが必ずタイトル増やしますので
43: 09/09(月)21:25 ID:bWk8V+5D(4/13) AAS
<年8タイトル戦想定 空席タイトル数(誰かに割り振るべきタイトル)>
1924年度8(木村義雄19-20歳)、25年度8、26年度8、27年度8、28年度8、
29年度8、30年度8、31年度8、32年度8、33年度8、
34年度8(木村29-30歳、塚田19-20歳)、35年度8、36年度8、37年度7(木村32-33歳、升田19-20歳)、38年度8、
39年度8、40年度7、41年度8、42年度7(木村37-38歳、大山19-20歳)、43年度8、
44年度7、45年度7、46年度8、47年度7、48年度7、
49年度7、50年度6、51年度5、52年度5、53年度5、
54年度5、55年度5、56年度5、57年度5、58年度5、
59年度5、60年度4、61年度4、62年度3、63年度2、
64年度2、65年度2、66年度2、67年度2、68年度2、
省11
44: 09/09(月)21:30 ID:bWk8V+5D(5/13) AAS
大山王座は80-81年度でしたね、失礼
4連覇中の中原王座から奪って内藤さんに取られたのでした、当時は内藤王位だったかな
83年度からタイトル扱いとなったものですがその前からほぼタイトルみたいに扱われることも
(内藤王位王座の二冠、みたいな表現も当時の資料にあり)
ということで木村や大山のタイトルはかなり増えると思います、100期は楽に超えますね
羽生さんは99期から110期前後に増やせると思います
中原さんは70期台半ばくらいまで狙えますかね
45: 09/09(月)21:33 ID:bWk8V+5D(6/13) AAS
今、気づきましたが、1977年度は名人戦の開催がなかったので、この年度は不足タイトル2となりますね
横着して、75年度から82年度までの8年間は1ずつ 不足であると書きましたが
77年度は王座戦と名人戦が不足になりますね
この時期の空席タイトルにはそのまま王座戦のチャンピオンを充ててもよさそうです、一番妥当でしょう
消滅した棋聖戦後期と叡王戦を釣り合わせればいいですね
46: 09/09(月)21:48 ID:bWk8V+5D(7/13) AAS
王座戦は1970年度第18回から防衛戦システムの棋戦になったのであって
その1回前の1969年度第17回が、タイトル戦の開始みたいなものですね
タイトル戦の第1回はホルダーがいないのでトーナメントで決勝に出た2人の激突がタイトル戦扱いになると
1969年度第17回王座戦は中原2-1有吉の番勝負でこれがタイトル戦の始まり、翌年度から中原が防衛戦に登場です
1969-74年度第17-22回が中原6連覇、75年度第23回が桐山奪取、
76-79年度第24-27回が中原4連覇、80-81年度第28-29回が大山2連覇5758歳ころ、82年度第30回が内藤奪取
77年度名人は中原とするのが妥当ですか
ということで中原は11タイトルプラスで75期、大山は50代タイトルを11期から13期として82期、桐山と内藤はそれぞれ5タイトルにアップですね
これで中原時代の不足は棋王戦の分だけとなりました
74年度は第1回棋王戦が開催されてますので、このチャンピオンの内藤をタイトルホルダーとしてもいいかもですね
省3
48: 09/09(月)22:04 ID:bWk8V+5D(8/13) AAS
具体的な数字でいいですね
5番勝負だと取りこぼしが格段に増える、という表現よりは分かりやすくて良いです
格段に増えるってどのくらい増える想定なのかが掴めなかったもので
棋王戦の前身、最強者決定戦は1961年度から1973年度の全13回開催です
(その前に日本一杯4回、九八七段戦3回が1950年代に開催されていますが、とりあえず置いておきます)
最強者決定戦は名人不在の棋戦ですが、13回の優勝内訳は
山田3回、内藤3回、有吉2回、中原1回(名人戴冠前)、二上1回、灘1回、原田1回、広津1回となっています
大山名人、ラスト数年は中原名人が不参戦ということで、参戦すれば彼らが多く勝った可能性は高いですが
彼らから最強者決定戦つまり棋王みなしタイトルを奪った可能性のあるメンツが上記顔ぶれということになりましょうか
大山がこの時期、棋王タイトルを取りこぼしてあまり取れなかったというのならば彼らにタイトルを割り振るのが妥当ということになってきます
49: 09/09(月)22:17 ID:bWk8V+5D(9/13) AAS
5番勝負なら15回に1回、大山取りこぼすということで
最強者決定戦みなし棋王戦13回だからどこかで1回こぼしたことにしますかね
60年代前半の大山は無敵なので、61年度から67年度までは大山が7回タイトル取ったとしますかね
そこから誰かが大山から棋王を奪って、何人かの手に渡ったことにしましょうか
優勝複数回者にタイトル割り振って、68、69、70年度は山田有吉内藤が1期ずつ取ったことといたしましょう
71年度から73年度の3年間は中原が取ったということで
内藤はタイトル7期、山田3期、有吉2期、中原78期となりました
この4人はこれで妄想最終タイトル数確定としてよいですかね
もちろん全て妄想です、ただ出来る限りそれっぽい妄想にしています
今回反映できなかった二上、灘、原田らは、ツケにしておきましょう
省4
51: 09/09(月)22:35 ID:bWk8V+5D(10/13) AAS
灘先生は日本一杯も1回優勝しているということで、棋王戦の前身棋戦で2年の制覇があると
彼にタイトルを割り振るとしたら棋王1を配布してあげたくなるところ
ただどのタイミングで取れたかと考えると難しいのも事実
タイトル戦の挑戦は多くない棋士ですからね、A級17期という実績のわりに
多くないといっても名人挑戦なのは大きいですが
灘さんは早指し王であり大山先生にNHK杯で勝ちまくってる点が評価できますね、優勝回数削ってます
灘にしろ丸田にしろA級に17年や24年もいてタイトルなしは、タイトル戦の少なさと大山王権の強さゆえでしょうか
これだけA級にいてタイトル0は他時代だとなかなか考えられない。。
ああ、これからの藤井王権時代に出るかもですが トップが強すぎればなくはないですね
52: 09/09(月)22:42 ID:bWk8V+5D(11/13) AAS
トーナメントだと王者もコケやすくなりますが、対抗馬はもっとコケやすいのが歴史の流れでして笑
実例としては1950年度第1期九段戦で塚田升田が1回戦で当たった不運はあったものの、勝者の塚田が上のラウンドで消され
決勝3番勝負は大山対藤井さんの大大大師匠?の板谷四郎のカードで大山が棋士道史上初の九段に
次年度は金高旋風に巻き込まれて塚田升田は敗退、金高さんを挑決で倒した南口さんを大山先生が軽く料理して2連覇などなど
結局大山先生が一番安定しているという実例がありますね
塚田先生は九段戦の前身48-49年度全日本選手権でも取りこぼしといっていい敗戦で消えてますね、不安定です
塚田はタイトル戦に出るまでが難しいとかどこかの観戦記に書かれる始末
タイトル戦番勝負に出てしまえさえすれば誰だって倒し得ますが
1952年度の読売全八段戦が木村塚田升田大山のベスト4だったかと
読売が観戦記で喜んでました 大山升田の決勝で大山勝ち
省1
53: 09/09(月)22:49 ID:bWk8V+5D(12/13) AAS
大山名人・王将・九段の全三冠王になって、1960年度に王位戦ができたと
「3つまでは独占できたけど4つは難しいんじゃないの」
全四冠王になりました
1963年度からは棋聖戦が年2期の時代がスタート
「年に6回タイトル戦で勝たないとダメだから大山でも独占は無理かな」
3年連続年6回のタイトル戦全勝でした
64年度はトーナメント勝ち上がり王座戦決勝三番勝負も勝ちの実質七タイトル戦制覇
ということで7つ目や8つ目があってもそこで負け続けるかというと。。
54: 09/09(月)23:04 ID:bWk8V+5D(13/13) AAS
いつもながら観戦記、一部タイピングです 1952年度第1回全八段戦決勝から
八段以上の全部の棋士を総動員した棋界随一の両名人参加総八段戦は、いよいよここに決勝戦の段取りとなったが、中略
準決勝に木村、升田、塚田、大山と現代棋界を代表する四強豪がズラリと顔を並べて角逐することは、
これまでの棋界に殆ど類例がなく、作ってもこううまくいかないと、専らの評判だった。
さて、どん尻に控えしは、となるのだが、本棋界結びの一番は、天下分目の 升田八段ー大山名人
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