◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
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229: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/28(月) 12:06:12.84 ID:xcpqc+mn 私は決して平和主義を偽善だとは言はないが、日本の平和憲法が左右双方からの政治的口実に使はれた結果、 日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になつた国はないと信じてゐる。この国でもつとも危険のない、人に 尊敬される生き方は、やや左翼で、平和主義者で、暴力否定論者であることであつた。それ自体としては、別に 非難すべきことではない。しかしかうして知識人のConformity が極まるにつれ、私は知識人とは、あらゆる Conformity に疑問を抱いて、むしろ危険な生き方をするべき者ではないかと考へた。一方、知識人たち、 サロン・ソシアリストたちの社会的影響力は、ばかばかしい形にひろがつた。母親たちは子供に兵器の玩具を 与へるなと叫び、小学校では、列を作つて番号をかけるのは軍国主義的だといふので、子供たちはぶらぶらと 国会議員のやうに集合するのだつた。 三島由紀夫「『楯の会』のこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/229
230: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/28(月) 12:06:34.23 ID:xcpqc+mn それならお前は知識人として、言論による運動をすればよいではないか、と或る人は言ふのであらう。しかし 私は文士として、日本ではあらゆる言葉が軽くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、 一つの概念を隠すために用いられ、どこへでも逃げ隠れのできるアリバイとして使はれるやうになつたのを、 いやといふほど見てきた。あらゆる言葉には偽善がしみ入つてゐた、ピックルスに酢がしみ込むやうに。 文士として私の信ずる言葉は、文学作品の中の、完全無欠な仮構の中の言葉だけであり、前に述べたやうに、 私は文学といふものが、戦ひや責任と一切無縁な世界だと信ずる者だ。これは日本文学のうち、優雅の伝統を 特に私が愛するからであらう。行動のための言葉がすべて汚れてしまつたとすれば、もう一つの日本の伝統、 尚武とサムライの伝統を復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬ。 Self-justification は卑しい、といふサムラヒ的な考へが、私の中にはもともとひそんでゐた。 三島由紀夫「『楯の会』のこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/230
231: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/28(月) 12:06:53.03 ID:xcpqc+mn 私は或る内面的な力に押されて、剣道をはじめた。もう十三年もつづけてゐる。竹の刀を使ふこの武士の模擬行動から、 言葉を介さずに、私は古い武士の魂のよみがへりを感じた。 経済的繁栄と共に、日本人の大半は商人になり、武士は衰へ死んでゐた。自分の信念を守るために命を賭けるといふ 考へは、Old-fashioned になつてゐた。思想は身の安全を保証してくれるお守りのやうなものになつてゐた。(中略) 今の学生の叛乱は、ソクラテスらのソフィストが若者をアゴラに閉ぢこめたため、アゴラ自体が叛乱を起した、 といふ感じがする。しかし私は、若者はギュムナシオーンとアゴラを半ばづつ往復しなければならぬと信ずる者であり、 学生ばかりでなく、あらゆる知識人がさうすべきだ、と考へる者だ。言論を以て言論を守るとは、方法上の矛盾であり、 思想を守るのは自らの肉体と武技を以てすべきだ、と考へる者だ。 三島由紀夫「『楯の会』のこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/231
232: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/28(月) 12:07:13.09 ID:xcpqc+mn かうして私は自然に、軍事学上の「間接侵略」といふ観念に到達したのである。間接侵略とは、表面的には 外国勢力に操られた国内のイデオロギー戦のことだが、本質的には、(少なくとも日本にとっては)日本といふ国の Identify を犯さうとする者と、守らうとする者の戦ひだと解せられる。しかもそれは複雑微妙な様相を持ち、 時にはナショナリズムの仮面をかぶつた人民戦争を惹き起し、正規軍に対する不正規軍の戦ひになる。 ところで日本では、十九世紀の近代化以来、不正規軍といふ考へが完全に消失し、正規軍思想が軍の主流を占め、 この伝統は戦後の自衛隊にまで及んでゐる。日本人は十九世紀以来、民兵の構想を持つたことがなく、あの 第二次世界大戦に於てすら、国民義勇兵法案が議会を通過したのは降伏わづか二ヶ月前であつた。日本人は 不正規軍といふ二十世紀の新しい戦争形態に対して、ほとんど正規戦の戦術しか持たなかつた。 三島由紀夫「『楯の会』のこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/232
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