◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)10:19 ID:PxMc6y6t(1/7)
(中略)
ドナルド・キーンといふアメリカ人がおもしろいことをいつてゐる。幕末に来日した外国人旅行記を読むと
「維新前の日本人はアジアでは珍しく正直で勤勉で、清潔好きで非常にいい国民である。ただ一つだけ欠点がある。
それは臆病だ」と書いてゐる。ところがそれから五、六千年後は、臆病な国民どころか大変な国民であることを
世界中に知られたわけだが、それがまたいまでは、再び臆病な日本人に完全に戻つてしまつてゐる――といふのである。
しかし鯖田豊之氏にいはせると、日本人は死を恐れる国民だといつてゐる。これはおもしろい考へ方だと思ふ。
確かにアメリカはベトナム戦争であれだけの死者を出してゐる。日本人だつたら大変な騒ぎだと思ふが、羽田空港などで
戦地に赴くアメリカ兵士の別れの場面を見てゐても、けろりとしてゐるが、日本人だつたらとてもそんな具合に
淡々として戦場に行けるものではない。まづ千人針がつくられる。日の丸のたすきを掛け、涙と歌がついて、
悲壮感に溢れてくる。そのほかいろいろなものが入つてくる。それらが死のジャンプ台にならなければ、どうにも
死ねない国民なのだ。

三島由紀夫「栄誉の絆でつなげ菊と刀」より
67: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)10:21 ID:PxMc6y6t(2/7)
私はインドへ行つて死の問題を考へさせられたのだが、ベナレスといふ所はヒンズー教の聖地だが、そこでは
人間が植物のやうに死んでいく。死骸がそこらにごろごろあつて、そばでそれを焼いてゐるのに平気でゐる。
これは死ねば生まれ変ると信じてゐるためで、未亡人など、自分も死んだら死んだ亭主に会へるといつて、
病気になるとお経を読んで死を待つてゐる。このインド人のやうな植物的な死に方は、日本人にはとても
真似できないだらう。日本においては死は穢れだとされてゐることもあるが、日本人といふものは非常に死の価値を
高く評価してゐる。だから、たやすく死んでたまるかといふことで、従つて切腹で責任を果たすといふことにも
なるわけだ。
私たちは、さういふ死生観にもとづいて、文化概念としての栄誉大権的な天皇の復活をはからなければならないと思ふ。
繰返へすやうだが、それが日本人の守るべき絶対的主体であるからだ。

三島由紀夫「栄誉の絆でつなげ菊と刀」より
68: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)15:45 ID:PxMc6y6t(3/7)
衛藤瀋吉氏の或る論文で「間接侵略に真に対抗しうるものは武器ではない。国民個々の魂である」といふ趣旨があつて、
私も全く同感だが、そこに停滞してゐては単なる精神主義に陥る惧れがあり、魂を振起するには行動しなければ
ならない。動かない澱んだ魂は、実は魂ではない。この点で私の考へは陽明学の知行合一である。又「自らの手で
国を守る気概」といふ自民党のスローガンは立派だが、では一体何をするかといへば、国民一人々々は税金を払つて
三次防を認めればよい、といふのでは、戦後の経済主義を一歩も出ず、次元の低い傭兵思想にすぎない。私はひたすら
「文武両道」といふ古い言葉で、この両様の機会主義に反抗して来たのである。
(中略)今や空前の素人時代、軍事問題防衛問題も、玄人のほかに、熱烈な素人の厚い層があつてよいではないか。
因みに一言つけくはへれば、私は戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス
(無防備の富)だと考へる者である。

三島由紀夫「わが『自主防衛』――体験からの出発」より
69: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)15:48 ID:PxMc6y6t(4/7)
私は必ずしも栄誉大権の復活によつて「政治的天皇」が復活するとは信じません。問題は実に簡単なことで、
現在の天皇も保持してをられる文官への栄誉授与権を武官へも横辷りさせるだけのことであり、又、自衛隊法の細則に
規定されてゐるとほり、天皇は儀仗を受けられるのが当然でありながら、一部宮内官僚の配慮によつて、それすら
忌避されてゐるのを正道に戻すだけのことではありませんか。
いはゆるシヴィリアン・コントロールとは政府が軍事に対して財布の紐を締めるといふだけの本旨にすぎないが、
私は日本古来の姿は、文化(天皇)を以て軍事に栄誉を与へつつこれをコントロールすることであると考へます。

三島由紀夫「橋川文三への公開状」より
70: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)21:37 ID:PxMc6y6t(5/7)
私は民主主義は妥協を産物とした賢明な制度であると思ふが、しかしそれはあくまで技術としての政治制度であり、
これはわれわれの誇りであるのだが、これにはこれなりの限界がある。私は、われわれの守るべきものを民主主義が
保障するとも思はないし、また民主主義を守ることがわれわれの守るべきものを最終的に保障するとも考へてゐない。
それではいつたい何を守るのか。私は日本の歴史と伝統の純粋性を守ることであり、それをしない人間は
日本人ではないと思ふ。文化のタテの連続性を守つていかねばヨコにいくらひろがつても、結局われわれが
日本人としての魂を保持できないのではないか。そして私は天皇のお姿が日本の文化をよくあらはしてゐると思ふ。
天皇は権力ではないと思ふ。権力とは、あるものを拒絶することによつて自分の存在を定立する力であると考へる。
民主主義ではこの権力特有の拒絶の機能を非常ないろんなかたちで薄められてゐるからこそこのやうないろんな問題が
起きてゐるのだが、もし権力といふものが拒絶を本質とするならば、何ものも拒絶しないものが天皇であるといへる。

三島由紀夫「私の自主防衛論」より
71: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)21:40 ID:PxMc6y6t(6/7)
天皇といふ“鏡”はどんな顔でも映してしまひ、スターリンの“鏡”は自分の気に入らない顔は映らないやうに
できてゐる。日本の文化の全体を天皇といふ“鏡”は包摂してゐる。
日本の歴史をみてわかるやうに天皇は多くの時代日本文化の中心であられた。日本文化のおほらかな、人間性を
あらはした明かるく素直な伝統が天皇の中に受容されてゐる。この文化の象徴である天皇を守るにはどうしたらいいか。
私は、天皇の鏡にもし日本の文化、歴史、伝統とちがつた、大御心といふことのためでないものが映つてきたならば、
それは陛下は拒絶なさることはできないので、国民がそれを拒絶することが忠義であると思ふ。
共産主義が日本の政体を変へて天皇を日本の文化、伝統から引き離し、あるひは日本の文化を破壊して天皇をすら
破壊しようといふ意図を秘めてゐるのであるから、われわれはこれと戦はねばならないと思ふのである。

三島由紀夫「私の自主防衛論」より
72: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/07(月)21:41 ID:PxMc6y6t(7/7)
そして天皇の伝統が絶たれた場合にわれわれの祖先代々の文化の全体性が侵食されてしまふからこそ、それを守つて
戦はねばならない。そのためにはやはりいまの憲法下でも、非常に制約があるけれども陛下があるときには
自衛隊においでになつて閲兵を受けられることも必要であらう。
あるひは国の名誉の中心として文武いづれの名誉の中心も陛下であられるといふかたちをなんとか新憲法下でも
つくつていけることができるんぢやないかと考へるのである。
私は日本を守るとはどういふことか、守るべきものは何なのかといふことについていま青年たちと議論してゐる。
私はまづ手近なところから、自分にできる範囲のことで小さくやつていきたい。すべてそこから始めなければ
何ごとも始まらない。
国民一人一人がいざといふ場合は銃をとつて立ち上がるぐらゐの気持を持つてやらないと将来の日本はえらいことに
なるぞといふ感じを持つてゐる。

三島由紀夫「私の自主防衛論」より
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