◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
◆三島由紀夫の遺訓◆ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/
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243: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:28:45.56 ID:HAF933Dl 乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。 過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、 昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の 温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて 伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。 一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的 革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが 朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、 大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/243
244: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:29:09.61 ID:HAF933Dl 国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに なつたのである。 今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、 国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、 インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと 考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、 醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで あつたのである。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/244
245: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:29:28.89 ID:HAF933Dl 現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の 明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを 批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、 近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には 出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で あるといふ点で、矛盾はない。 現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を 呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも 激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、 大ていの薬では利かなくなつたのである。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/245
246: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:30:19.67 ID:HAF933Dl さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、 これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、 朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。 しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。 陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。 大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの 二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した 能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、 ナチスのミスティシズムを形成した。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/246
247: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:35:13.94 ID:HAF933Dl 革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に 入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは 人間性の自然である。 明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。 本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな 神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。 また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の 背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領 西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/247
248: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/03(木) 11:36:18.81 ID:HAF933Dl また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた 朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。 主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、 丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、 もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に 認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、 武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。 三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/248
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