◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
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188: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/21(月)12:20:44.74 ID:iJLgyZEX(5/12)
これは、防衛問題で一番難しいところで、うつかり日本人、日本人て言ひ過ぎると、また、軍国主義復活なんて
外国の新聞で叩かれちやふ。だから、さうも言へない。お前、自分で防衛を論ずる場合、何が一番大事だと思ふんだ、
日本を守ることであるつて言ふと、今や多少モンロー主義的になりつつあるアメリカはどう言ふか。よしやつてくれ。
頼もしい。諸君、是非自分で自分の国を守つてくれつて言ふでせう。
(中略)まあ、左翼側に言はせれば、アジア人をしてアジア人と戦はしめよといふやうなのが、アメリカ側の
軍事政策であると言はれてゐる。(中略)
我々は何もそのアメリカのおかげでもつて、民族同士、よその民族主義と戦ふ気持ちは毛頭ない。我々はただ、
日本といふものを守り、せつかく日本といふ国があるのに、それを侵さうとする勢力から守らうとしてゐるに
過ぎない。ただ、その日本人の守らうとする自主防衛の努力と、向うが、よし自分たちでやつてくれといふ
気持ちとは、本当にすつきりと合ふ時があるかどうかは、私は非常に疑問に思ふんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
194: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/21(月)22:15:14.74 ID:iJLgyZEX(11/12)
またもう一つは、第二のヒューマニズムの利用といふ点につきましても、我々は現代の新憲法下の国家において、
ヒューマニズム以上の国家理念といふものを持たないといふ事によつて苦しんでゐる。先のよど号事件にも
見られましたやうに、韓国や北鮮が非常に鮮明な単純なわかりやすい国家意志を表明したのに、日本政府は、
つひに人命尊重以上の理念を打ち出す事が出来なかつた。これはあくまでも敵に戦略的に負けてゐる事であると
私は思ふのです。といふのは、新憲法の制約が、あくまで人命尊重以上の理念を日本人に持たせないやうに
ぎりぎりに縛りつけてあるからであります。
私がこれから申し上げる防衛問題の前提としてこれを申し上げるのは、我々はヒューマニズムを乗り越えて、
人命より価値のあるもの、人間の命よりももつと尊いものがあるといふ理念を国家の中に内包しなければ
国家たり得ないからであります。これは種々利用されて欠点はありますが、我々は天皇といふものを持つてゐる。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
284: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/12(土)15:08:28.74 ID:ajd7BZpY(4/6)
Q――先生の小説、たとへば「奔馬」なんかにも自己犠牲といふことが強く出されてゐますね。
三島:さうですね。「奔馬」は自己犠牲を非常に強く出してゐる。このごろ外人記者なんかに会ひますとね、
日本に軍国主義が復活してゐることを懸念してゐる。これは実はまちがひだつていふんです。(中略)
といふのは武士道といふのを、日本人がわからなくなつてゐるからだ。武士道といふのは何かといふことを
外人に説明するとき、三つあるといふんです。
それはSelf-respect 自尊心ですね。次はSelf-responsibility 自己責任ですね。自己において責任が終了するといふ。
第三がSelf-sacrifice 自己犠牲ですね。この三つのうちどれをとつても武士ぢやないといふんですよ。そしてね、
軍国主義といふのは外国からきたものでね、このSelf-respect と、Self-responsibility はあるかもしれない。
Self-sacrifice は欠けてゐると。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より
380: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/06/18(土)11:56:31.74 ID:52xFyZvr(2/5)
人間は未来ということを考えると、必ず現在というものを犠牲にするか手段化するという不思議な動物だと私は
思います。未来社会がもし理想的な社会になる。その社会のために現在我々が動いているとすれば、我々は
その社会への橋であり、プロセスであり、道具なんですね。(中略)これがあらゆる未来というものに関する
思想の――私は左とか右とかいうのじゃない、未来というものを想定した思想にからむ一つの危険だと思います。
(中略)
私はいわゆる革命家、社会運動家、改良主義者、こんな人達と話します時に自分との一番の違いだと思いますものは、
私は「未来がない」という考えなんです。(中略)もちろん我々は一週間や十日のところは大体未来ということを
考えて暮しておりますが、それはもうすでに現在に繰り込まれた実務的な時間の問題で、私がいっているのは
そういうことではないことはおわかりだと思います。つまり自分の行動のモラルの根拠として、未来を置くのか、
あるいは現在ないし過去を置くのか、ここで人間の行動の様式とモラルが完全に変ってきちゃうのです。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
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