◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
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179: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/20(日)12:15:26.39 ID:O0Ate/um(3/7)
また、この新宿なんかいらつしやると、西口に副都心といふものがありますね。あの下の方へずつと入つて
らつしやると、相当な地下街があるんです。あれをどうしてシェルター基準にしないんだ。シェルターといふものは、
一メートル、あるひは一メートル二十位のコンクリート壁がまづ必要条件です。ところが、どの壁も薄くつて
そんなシェルター基準に合ふわけがない。さうしますと、この建築基準の中にですね、シェルター基準をすつと
混じり込ませればいいんです。美濃部さんにも黙つてうまくやれるんです。美濃部さん反対するでせうけど。
さういふふうにちよつとしたことで、基準を設ければ、いくらでも軍事施設といふものに転用ができるんです。
平和時代には、そこでネグリジェだのパンティだの売つてる。そして、戦時になれば、忽ち転換して市民を
とにかく安全な場所へ避難させるシェルターができるんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
212: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/24(木)19:34:14.39 ID:ptJ1K2Q5(7/7)
これがまづ戦略的に大きな問題だつたのではないか。これは、私は大東亜戦争の敗因の一つではないかとさへ
思つてゐるわけです。参謀本部の頭の中に近代化された頭脳の中にその悪が潜んでゐた。 我々は、もう一つ、
ここで民族精神に振り返つてみて、日本とはなんぞや、武器と魂といふものを日本人は如何に結びつけたか、
そこに立ち返らなければ、日本といふものの防衛の基本的なものは出てこない。そのために、私は、終始一貫した
憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまひなしに、
一介の人間としてそれのみをいつてゐるのは、決してそれによつて、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによつて日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとつて最も基本的な問題、もつと大きくいへば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシビライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんで
ゐることをいひたいんだといふことです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
217: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/26(土)10:59:50.39 ID:ZzjT4LFl(1/6)
ニ・ニ六事件を肯定するか否定するか、といふ質問をされたら、私は躊躇なく肯定する立場に立つ者であることは、
前々から明らかにしてゐるが、その判断は、日本の知識人においては、象徴的な意味を持つてゐる。すなはち、
自由主義者も社会民主主義者も社会主義者も、いや、国家社会主義者ですら、「ニ・ニ六事件の否定」といふところに、
自分たちの免罪符を求めてゐるからである。この事件を肯定したら、まことに厄介なことになるのだ。現在只今の
政治事象についてすら、孤立した判断を下しつづけなければならぬ役割を負ふからである。
もつとも通俗的普遍的なニ・ニ六事件観は、今にいたるまで、次のやうなジャーナリストの一行に要約される。
「ニ・ニ六事件によつて軍部ファッショへの道がひらかれ、日本は暗い谷間の時代に入りました」
三島由紀夫「二・二六事件について」より
307: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/23(水)13:58:05.39 ID:Dmee37i8(4/6)
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと
共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の近代ほど、
光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の歴史の中でも、
前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の二十年は、平和主義の下で、
あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
355: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/26(木)11:42:32.39 ID:rDnBMpUn(2/6)
(中略)
ぼくはいつも、あとから自分の素質を発見するのですけれども、――ぼく、剣道なんて、けっしてうまく
ありませんけれども、剣道やる人間になるなんていうことは、昔は想像もしなかった。おなじことで、論理的能力を
発見するなんて、昔は想像もしなかった。だから、人間って、あきらめないでじっくりやっていれば、何か出て
くるんだと思うのです。自慢じゃないですが、英語の会話ができるようになったのは三十越してからですからね。
それまで英語でしゃべれなかった。アメリカへ行っても、ほんとに語学で不自由いたしました。三十ごろになって、
アメリカに半年くらいいてから、まあまあしゃべれるようになった。人間の能力なんていうものは、ほんとに、
早く決めてしまうことないと思いますね。
三島由紀夫
三好行雄との対談「三島文学の背景」より
428: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/07/05(火)13:50:36.39 ID:BWcuqVwh(6/7)
三島:汚れてない思想というものはぼくは文学のなかにあるかどうかは疑問で、汚れてない思想というものは、
もしその思想を信奉すると文学を捨てなければならぬかもしれないという危険がいつもある。それが文学と行動との
問題にぶつかってくる。
(中略)
もし技術社会のなかにおける文学の機能ないし技術ということを考えれば、いまのテレビなどに毒されている
大衆が要求し、その大衆が人生の慰めあるいは疲れ休めとして要求する技術的によくできたおもしろい小説で
十分じゃないか。それ以上に現代読者ないし現代社会は何も要求していないと思う。一部の気ちがいじみた青年は
文学に哲学を求めたり文学に思想を求めたりするかもしれないが、社会はそんなものを全然要求していない。
ですからプロレタリア文学時代よりいまの時代のほうが文学が社会から要求されていないという意識は強かる
べきだと思う。
三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
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