◆三島由紀夫の遺訓◆ (514レス)
◆三島由紀夫の遺訓◆ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/
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225: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/27(日) 20:03:36.00 ID:Kgf6Y2Ae 日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。 安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、 それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、 ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、 トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、 すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも 本質的に欠けてゐるのである。 真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない ものだと思はれる。 三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/225
270: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/03/09(水) 11:41:20.00 ID:IiXacfSS Q――石原(慎太郎)氏に向かつて「自民党にはひつたら党を批判するな」といふあなたの論法。これを おし進めると、抵抗を否定することになる。従属といふか、非常に暗いものを要求する、抵抗を押へるのでは ないか、と思ふのだが……。 三島:抵抗は死に身になれ。抵抗はやれ。ただし遊び半分にやるな、といふことだ。たとへば抵抗は楽しいもの であるといふベ平連などの考へですね。あれが一番きらひなんです。ベ平連式の“抵抗”は、大衆にアピールする。 抵抗とは楽しい、抵抗とは手をつないでフランス・デモをやることだ、フォーク・ダンスをやることだ、これが 非常にいやなんです。抵抗はナマやさしいもんぢやない。血みどろで、死に身にならなきやできないのが本当である。 内部批判をする連中が、手柄顔で歩いてゐる。石原君のことぢやなく、世間一般ですよ。共産党を内部批判すると 英雄になる。公明党を内部批判すると英雄になる。自分の属してゐるものの内部批判した男が英雄視される。 こんな間違つたことはない。抵抗をもう少し暗いものにしなきやいかん。 三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/270
354: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/26(木) 11:41:54.00 ID:rDnBMpUn (中略) 文学と関係のあることばかりやる人間は、堕落する。絶対、堕落すると思います。だから文学から、いつも 逃げてなければいけない。アルチュール・ランボオが砂漠に逃げたように……。それでも追っかけてくるのが、 ほんとうの文学で、そのときにあとについてこないのは、にせものの文学ですね。ぼくは作家というのは、 生活のなかでにせものの文学に、ばかな女にとり囲まれるように、とり囲まれていることが多いと思うのです。 だって、ふり払ったことがないから。自分が“もてる”と思ってますからね。 ところが、それをふり払って、砂漠の彼方に駈けだしたときに、そのあとをデートリッヒみたいに、はだしで 追いかけてくる女は、ほんとうの女ですよ。ぼくはそれが、ほんとの文学だと思います。ぼくの場合は、 できるだけ文学から逃げている。するとはだしで追っかけてきてくれる女がいる。それが、ぼくの文学です。 その女に、やさしくしますよ。そのときに、小説を書くわけですね。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/354
358: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/26(木) 11:47:28.00 ID:rDnBMpUn (中略) 目ですね。 ぼくは、源泉にはそれがあったはずだと思うのです、ぼくにだって。失っただけですね。 剣道なんかやってますと、(そんなこというほどの資格はぼくにありませんが)“観世音の目”ということ、 いいますね。全体をみなければいけない。相手の目を見たら、負けてしまう。まして、相手の剣尖を見たら 負けてしまう。そうではなくて、“観世音の目”は相手を上から下まで、完全に見てしまう目です。そういう目を 鍛錬し、養成することが、剣道の極意だといわれているのですが、ぼくはそれ、源泉に帰ることだと思います。 それから、ネコ。ネコが寝たあと、クッションならクッションの跡みますと、ネコの寝た形が、ちゃんとできている。 あれが、寝るということ、休むということの本当の形なのですね。人間の寝た跡はそんな形になっていませんよ。 しゃっちょこばってますわね。寝てもまだ、からだがこわばっている。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/358
469: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/10/19(水) 16:05:14.00 ID:6hTv359d 、 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/469
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