【明治大正昭和】流行歌・流行り唄【ブラスバンド】 (62レス)
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1(1): 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)09:54 ID:74Qv/0iA0(1/10)
エノケン パイノパイノパイ(東京節(とうきょうぶし))
https://youtu.be/HecduFXZZQQ?si=QeAF3aflaQw_oooM
原曲
ヘンリー・クレイ・ワーク作曲「ジョージア行進曲」
1892年国文学者・東宮鉄真呂作詞軍歌「ますらたけを」
「パイノパイノパイ」作詞演歌師添田知道(添田さつき)
1918年発表
「パイノパイノパイ」は、
演歌師の添田知道(添田さつき)によって作詞され大正時代に流行した俗謡である。
東京節(とうきょうぶし)ともいう。
榎本 健一(えのもと けんいち、1904年10月11日 - 1970年1月7日)は、
日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点
エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、
第二次世界大戦期前後の日本で国民的喜劇俳優として活躍した。
2(1): 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)10:36 ID:74Qv/0iA0(2/10)
ほーりー パイノパイノパイ江戸⇔東京節
https://youtu.be/eQeyuqbCqFE?si=HUPYw_zdAsEeq7dY
堀口茉純 / ほりぐちますみ
"ほーりー"
大学で歌舞伎史を学び、時代劇女優としてデビュー
後に江戸文化歴史検定1級を最年少で取得し「お江戸ル」へ変貌を遂げ、
「江戸風俗研究家」へバージョンアップ!
歴史タレント・歴史作家として実績を重ねています
レギュラー出演
NHKラジオ第1『DJ日本史』
パーソナリティ(毎週日曜日 16:05~)
TOKYO MX『ぐるり東京江戸散歩』
歴史案内人&ナレーター(毎週土曜日 11:30~)
3: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)11:26 ID:74Qv/0iA0(3/10)
土取利行 パイノパイノパイ平和節
https://youtu.be/h8fSuLG7S_0?si=EVLl-zUNh64ESP6D
1919年
「パイノパイノパイ」の大流行につれて新たな歌詞が求められ、
京阪神・中京・吉原の風俗、
更に第一次世界大戦の戦後処理のためパリ講和会議に全権として参加した
元老・西園寺公望が愛妾や料亭・灘萬の店主を伴ったことが大新聞に取り上げられたこと、
会議の結果としてドイツが所有していた
山東省の権益や南洋諸島の委任統治権を得た戦勝気分を背景として添田が
改詩したものが「平和節」の名で1919年に発表された
時節が第一次世界大戦後のインフレ期にあり、
「平和節」にあるように物価が猛烈に高騰したことから
「倍の倍の倍」というもじりもあった
平和節・添田さつき /
土取利行(唄・三味線・太鼓)
これは添田さつき(知道)の東京節と同調の新歌詞によるもので、
第一次大戦後の日本の諷詠である。
大戦後始末でパリで講和会議が開かれ五大国に数えられた日本は西園寺公望が全権で送られ、愛妾お花さんと料理方の灘万の主を同行、歌詞にはこれらの登場人物が唄いこまれている。
会議は難航し、ドイツが講和条約に調印、席に中国の全権はなく、
これに先立ち朝鮮には独立運動、三月万歳事件がおこる。
また中国では排日運動が猛烈におこっていたが、日本は大陸におけるドイツ権益の肩代わりと太平洋諸島の委託統治をせしめ、内地はひたすらご機嫌の平和祝賀会。
「平和節」はこれに加え大阪や京都など当時の都を材として唄い、
最後の歌詞で戦争景気が庶民にとって何にも効してないことを唄っている。
ここから米騒動の「解放節」が同調で作られ唄われて行く。
土取利行(つちとり としゆき、1950年9月1日 - )は、香川県出身の音楽家
1970年代初頭、前衛ジャズ・ドラマーとして活動を開始。近藤等則、坂本龍一、阿部薫、高木元輝、音楽評論家の間章らと音楽活動を展開。
現在、添田唖蝉坊をはじめとする明治大正の演歌師の残した歌を研究し、ライブ公演やYouTubeで披露
4: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)12:02 ID:74Qv/0iA0(4/10)
ムラカミロキ MurakamiLoki 東京節2020 - This Is Tokyo - TOKYO-BUSHI2020
https://youtu.be/i_OxQA_RE2Y?si=MyG_lLdkBgHzlmms
歌・画: ムラカミロキ MurakamiLoki
制作:2019年
ムラカミロキ MurakamiLoki
西荻窪は中央線アンダーグラウンド界孤高のプリンス。
フォークの弾き語り、ノイズのボイスパフォーマンス、映像作品の制作等
9: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)17:37 ID:74Qv/0iA0(5/10)
鼓笛隊(こてきたい)は、中世ヨーロッパに始まった音楽隊。
主に太鼓、ファイフを中心にした構成である。
日本での西洋音楽の受容のはじまりは、西洋式軍制の導入とともに入ってきた鼓笛隊であるとされている[2](吹奏楽の歴史#日本吹奏楽史参照)。1869年には横浜市の妙香寺で薩摩藩士の軍楽伝習生がジョン・ウィリアム・フェントンから管楽器の演奏法を教授されている
(いわゆる薩摩バンド)。
明治、大正期には日本各地でこれらの組織が作られることとなる。
昭和期になるとトランペットなどの金管楽器の他、様々な打楽器が加わることとなる。
歴史的に鼓笛隊(ドラムコー)は
マーチング活動を行う吹奏楽団(マーチングバンド)とは
別の歴史を歩んでいるが、
マーチングバンドの一形態でもあるため、現在は鼓笛隊とは言わずに、
マーチングバンドの名が定着しつつある(鼓笛隊とマーチングバンドは厳密には違い、
鼓笛隊は歩調合わせや信号伝達を目的とし、
マーチングバンドは歩きながら音楽演奏をする事が主目的である)
鼓笛隊に
よく使われる楽器、パート
構成については「マーチングバンド」を参照
太鼓(スネアドラム、テナードラム、バスドラムなど)
ファイフ(横笛)
リコーダー
鍵盤ハーモニカ
鉄琴(ベルリラ、リラグロッケン)
アコーディオン
バトントワリング
カラーガード
ドラムメジャー
トロンボーン
キーボード
等
10: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)17:44 ID:74Qv/0iA0(6/10)
アコーディオン(英: accordion)は、
蛇腹のふいごと鍵盤の操作によって演奏する可搬式のフリーリードによる気鳴楽器である。
コンサーティーナやバンドネオンは近縁の楽器であり、広義にはアコーディオンに含められることがある。
これらはあわせて蛇腹楽器と総称される。日本語では手風琴(てふうきん)
と称される。アコーデオンとも表記。
世界最初のフリーリード楽器は中国の笙であるが、これは息で空気を送り込むようになっている。この笙のようなフリーリードによる発声の仕組みを、18世紀にヨーロッパの旅行者が中国から持ち帰ったものと思われる。
日本での歴史
江戸時代から現在まで
日本へは江戸時代の末に伝来した。
美保神社には、嘉永2年(1849)に奉納された「日本渡来最古のアコーディオン」(1841年頃、
ウィーンで製作された小型の1列ボタンのダイアトニック・アコーディオン)が現存している。
五雲亭貞秀の幕末の錦絵にも、アコーディオン(現在と左右が逆の古いタイプ)を弾く米国女性が描かれている。
西南戦争で最後まで西郷隆盛と行動を共にした村田新八がアコーディオンを好んで弾いたことは有名である。
その後、日本ではアコーディオンの流行期と衰退期が交互に繰り返した。
金子元孝によると、
明治30年代の関西での「手風琴」大流行、昭和10年代から20年代、
1960年代(昭和35年から昭和44年)が
アコーディオンの「わが国における三つの黄金時代」であった。
11: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)18:10 ID:74Qv/0iA0(7/10)
オペラ(イタリア語: opera、英語: opera、フランス語: opéra、ドイツ語: Oper)は、演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。
歌劇(かげき)とも呼ばれる。
オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、セリフだけではなく、
大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。
伴奏は、多くの場合交響楽団規模の編成に及ぶ。
12: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)18:12 ID:74Qv/0iA0(8/10)
オペラ 日本での歴史
日本における最も古いオペラ上演としては、江戸時代の1820年に長崎の出島でエジーディオ・ロムアルド・ドゥーニのフランス語オペラ・コミック『二人の猟師とミルク売り娘(フランス語版)』がオランダ人によって上演された記録がある。
明治時代に入り、1875年、アジアツアーをしていた Maria Palmieri(1840 - 1890)と妹の Alice Persiani が日本に立ち寄り、横浜のゲーテ座で9月13日から10月7日にかけて4回、東京では蓬莱社(10月2日)、工学寮小学館(10月9日)、
皇居(10月中旬以降)、第一国立銀行、浜御殿で衣装と演技付きのオペラ歌唱コンサートを行った。同1875年にはアルト歌手のダーリヤ・レオーノヴァ(ロシア語版)も来日している。レオーノヴァの公演は10月29日と11月10日に横浜町会所で催された。舞台演出を伴った歌劇としてのオペラ上演は1894年11月24日に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)奏楽堂で、オーストリア=ハンガリー大使館職員により『ファウスト』第1幕が上演され、これが現在日本で行われているオペラの原点となった。管弦楽は宮内省楽部、合唱は音楽学校生であった。
さらに1903年、東京音楽学校・東京帝国大学の教師らの指導の下に、グルックの『オルフェウス(オルフェオとエウリディーチェ)』が上演された。
これは1902年に東京音楽学校・東京帝大生が中心に結成した歌劇研究会がおこなった。ノエル・ペリー指揮、ピアノ伴奏ケーベル、洋風の書割は山本芳翠の指揮で門弟が描き、柴田環・吉川やま他が出演した。
13: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)18:17 ID:74Qv/0iA0(9/10)
帝国劇場
帝国劇場(ていこくげきじょう)は、東京都千代田区丸の内三丁目にあるプロセニアム形式の劇場である。1911年(明治44年)3月1日開場
帝劇(ていげき)の通称で知られる。
1911年3月1日に開場した帝国劇場に8月25日歌劇部(のち1914年5月に洋劇部と改称)が併設され、ここでオペラの小規模な上演が行われるようになった。
第1回公演は1912年2月、杉谷代水作詞・ユンケル作曲の『熊野』。
注目すべきことに、この時代すでに日本人による創作オペラの作曲と上演が行われていた。
14: 名無しのエリー [] 2023/12/30(土)18:22 ID:74Qv/0iA0(10/10)
浅草オペラ
(あさくさオペラ、1917年 - 1923年)は、関東大震災までの大正年間、作曲家の佐々紅華や興行師の根岸吉之助、ダンサーの高木徳子らが中心となり東京の浅草で上演され、
一大ブームを起こしたオペラ、オペレッタとそのムーヴメントである。第一次世界大戦後の好況を背景に、
日本国内におけるオペラ、および西洋音楽の大衆化に大きな役割を果たした。
1916年(大正5年)、アメリカでダンサーをしていた高木徳子が「世界的バラエチー一座」を旗揚げ、同年5月27日から10日間にわたり浅草公園六区(浅草寺西側の興行街)の活動写真館「キネマ倶楽部」で昼夜連続公演を行う。アメリカ流のボードビルであったが、この公演の成功をもって「浅草オペラ」の嚆矢とする。
いっぽう、1911年(明治44年)に始まる麹町区丸の内の帝国劇場(帝劇、現在の千代田区丸の内)を舞台にしたオペラが、
1916年5月の帝劇洋劇部の解散により行き場を失くす。高木は、7月に一座を解散し、9月に伊庭孝と組み、弟子たちおよび帝劇洋楽部のメンバーの一部とともに新劇団「歌舞劇協会」を結成、
川上貞奴の一座との合同公演を甲府、暮れには赤坂区溜池(現在の港区赤坂1-2丁目あたり)で行い、
翌1917年(大正6年)1月22日、浅草六区の根岸興行部「常磐座」でオペラ『女軍出征』を上演、大ヒットする。
ここから「浅草オペラの時代」が始まるとされる。
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