背理法と対偶って違うの? (117レス)
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(1): 132人目の素数さん [] 2024/11/09(土)07:43 ID:xFyTXC7q(1/3)
>>12 追加

http://abel.a.la9.jp/sub11.html
東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人 本文へジャンプ
背理法被害者の会
(通常背理法で証明される定理を背理法を用いず証明する)を東京理科大学数学科で実践しています。(理学部数学系教員の方たちや数学科の卒業生は周知のことと思います。)

 例えば、本HP01頁(説明も)にあるような
 素因数分解を習った中学生なら誰でもわかる3行の直接証明:
 「自然数 a,b につき、
  aa と 2bb の素因数の個数は偶数と奇数
  で異なるから aa≠2bb、よって √2≠a/b。」
 (不要かもしれませんが少し説明を加えます。
 a と b を素数の積で表したとき、
 その素数(素因数)の個数をそれぞれ s と t とすれば、
 aa と 2bb の素因数の個数は s+s=2s と 1+t+t=2t+1 です。)
(引用終り)

これヒューリスティックですね
(発見的手法の試行錯誤で たまたま思いついただけw)
背理法には、ヒューリスティックでない利点があります

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF
ヒューリスティック(英: heuristic、独: Heuristik)または発見的(手法)[1] [2]:7 [3]:272とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。
発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。

主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている。

心理学
心理学における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの意思決定を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは、経験に基づくため、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。
19
(1): 132人目の素数さん [] 2024/11/09(土)08:24 ID:xFyTXC7q(2/3)
>>18
(引用開始)
 「自然数 a,b につき、
  aa と 2bb の素因数の個数は偶数と奇数
  で異なるから aa≠2bb、よって √2≠a/b。」
 (不要かもしれませんが少し説明を加えます。
 a と b を素数の積で表したとき、
 その素数(素因数)の個数をそれぞれ s と t とすれば、
 aa と 2bb の素因数の個数は s+s=2s と 1+t+t=2t+1 です。)
(引用終り)

頓智のヒューリスティックですがw
こういう見方ができる(下記)

1)√2=a/b と仮定する
2)両辺を2乗して
  2=aa/bbを得る
3) 2bb=aaを得る
 aaの素因数の個数は偶数
 bbの素因数の個数は奇数
4)矛盾が導かれたので
 よって √2≠a/b ■

背理法から出発して、殆ど同じ証明手法(=素因数の個数)が使えるぞ
”2bb=aa”が、「√2=a/b と仮定する」から 自然に出るw
やれやれ
20: 132人目の素数さん [] 2024/11/09(土)08:42 ID:xFyTXC7q(3/3)
>>19 タイポ訂正
 bbの素因数の個数は奇数
  ↓
 2bbの素因数の個数は奇数

訂正ついでに>>13の追加引用
(2015 年に書いたもの)
数学基礎論の関連した、おかしな数学の先生たち 江田勝哉
(抜粋)(コピー文字化けあるがご容赦)
3. 背理法
関脇は初めに書いた本で「数理論理の手法- 証明の発見と背理法の
除去」安部直人中西泰雄共著で2015 年出版である。実は、この本は
読んでいない。ただ2013年2月の東京理科大の数学入試問題で、「この
問題の解答に背理法を用いてはならない」という但し書きのついた問
題が出題されたとき、安部直人先生にホームページに書かれている脱
背理法について、何をもって背理法といっているのか質問した。もち
ろん、これで話がつくはずもなく、また、丁度、ユタに3ヶ月いってい
るときであったので東京理科大のある先生と文科省にこの問題が不適
切であることを知らせた。そのため、私との間のやりとりで私の著書
に関してアマゾンに書いてあることが変であることも指摘した。そこ
で安部先生は当然、敢然と反論した、理解していないのだから仕方が
ないし、10 年以上、脱背理法にしがみついているのだから、変を認め
たら、死んでしまうかもしれない。そのようなわけで、ホームページ
の記述、アマゾンカスタマーレビューから変なことはよくわかってい
るので、本とは別に、この主張がいかに変かを書いてみる。
中略
この2人(中西泰雄先生は安部先生直伝の脱背理法論者である) は古
典論理の体系を想定し、背理法の除去を提唱している。ここで、背理
法とは、否定の導入と狭義の背理法の両方を意味する。これが、形式
論理の話ならば、たとえばHilbert 流ならば推論はModus Penons と
量化子にかんするものだけだから、始めからどちらの推論もない。ま
た、NK なら否定の導入はあるが狭義の背理法は推論としてはない。つ
まり、これは形式論理に関する話ではない。
「背理法の仮定は結果的に正しくないので、証明中に正しくない主
張が導かれます」という主張がある、これが変なのだ。A という仮定
中略
正しいという形で推論されているというのが論理的解釈である。もち
ろん、前提なしに正しいBi も現れるわけだが。当然、背理法でもこの
ように考えるわけだが、安部先生は少なくとも背理法のときは仮定を
とった命題を考え「暫定的に正しくない主張が導かれます」としてい
る。これは変なのだが、何故、安部先生はこのように考え、もっとも
だと感じる人がいるのかを分析し、以下に安部先生が論理的に混乱し
ている様子を説明する。

A を仮定するということは、A の成立している、つまりA が正しい
モデルで考えるということであるが、A の成立するモデルがある場合、
安部先生の頭は、そのモデルの中で働く。しかし、A の成立するモデ
ルがない場合、安部先生の頭は混乱にはいり、頭が腐るという状態に
はいる。頭が腐るというのは、本人がその被害にあったと書いてある
わけだが、どうも、その結果、現在も腐っているらしい。A が簡単な
以下略す
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