[過去ログ] 純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)19 (1002レス)
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807(1): 132人目の素数さん [] 04/22(火)14:39 ID:kLLE5N21(2/2)
>>806
ご苦労様です
>>805 補足
>ホ・ジュニ教授の人生はハーバード大学の広中平祐名誉教授(91)がソウル大学で行った数学の講義を受講したことで変わった。
>ホ教授はある日、一人で食事していた広中教授に声を掛け、その後二人は毎日昼食を共にするようになった。ホ教授は「広中教授は昔の理論ではなく当時自分が研究していた内容を紹介してくれた」「その時誰かが実際に数学を研究する姿を初めて見た」とも述べた。
>ホ教授は京都の広中教授の自宅で過ごすほど二人は親しくなった。ホ教授は広中教授の勧めでソウル大学数学科の大学院に進学し、広中教授の推薦で後に米国に留学した。数学の難題を解くときも広中教授の「特異点の解消」に関する研究が基礎になった。
天才は、教育では作れないと言ったのは、飯高先生だが
ホ・ジュニ教授は、天才とは真逆のオチコボレ 遅咲きだという
彼は、広中教授との出会いが無ければ、数学者にはなっていないだろう
https://en.wikipedia.org/wiki/June_Huh
June Huh
Early life and education
Poor scores on elementary school tests convinced him that he lacked the innate aptitude to excel in mathematics. He later dropped out of high school to focus on writing poetry after becoming bored and exhausted by the constant routine of relentless studying.[6] Huh has been described as a late bloomer, both in terms of his career phenomena and with regards to his academic and professional development.[7]
google訳
小学校のテストの成績が悪かったことから、彼は数学で優秀な成績を収める天性の才能がないと確信していました。その後、絶え間ない勉強の繰り返しに飽き飽きし、疲れ果てた彼は、詩作に専念するために高校を中退しました。[6] 許は、キャリアにおいても、学業面および専門職面での成長においても、遅咲きの人物と評されています。[7]
https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%97%88%EC%A4%80%EC%9D%B4
(韓国語)google訳
ホ・ジュンイ(許?吭焉A英語:June E Huhジュンがハ[ * ] ; 1983年 6月9日〜)
実績
2015年にリード推測を拡張したヘロン・ロータ・ウェルシー推測をカリーム・アディプラシト・コペンハーゲン大学教授とエリック・カツ米オハイオ州立大学教授と共同で解決した。[ 5 ]
専門家らは、ホジュンが教授が数学的対象から得ることができる共通の代数的構造であるコホモロジーを幾何学と代数学だけでなく、組み合わせ論にも適用できることを明らかにしたと見ている。
(引用終り)
つづく
809: 132人目の素数さん [] 04/23(水)06:52 ID:LnSdWTTF(1/6)
>>807
つづき
囲碁では、遅咲きの人は少ないが
林 海峰氏が 台湾から日本に来て 呉清源に教えてもらったのは事実
(日本に来なければ、プロ棋士になっていないだろう)
当時、囲碁プロ棋士の師匠は、弟子には あれこれ教えず 放っておいて 自分で勉強させるのが常だったが
林 海峰氏は、藤沢庫之助(藤沢朋斎)九段相手のマネ碁(下記)対策を相談に行って、秘策を教えてもらったそうです
(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E6%B5%B7%E5%B3%B0
林 海峰(りん かいほう、リン ハイフォン 、1942年〈民国31年〉5月6日 - )は、中華民国(台湾)の囲碁棋士。名誉天元。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下
1952年10歳の時に、台湾を訪れていた呉清源に六子で指導碁を打ってもらう機会に恵まれ、結果は一目負けとなったが、呉に才能を認められ来日した。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Go_Seigen_teaching_to_a_young_Rin_Kaiho.jpg/500px-Go_Seigen_teaching_to_a_young_Rin_Kaiho.jpg
画像:呉清源(右)と
https://kisei.yomiuri.co.jp/column/shinan_goseigen6/01.htm
読売 上達の指南
呉清源師の「生涯一局」その六
(1)藤沢九段のマネ碁に勝つ
(寄稿連載 2010/10/19読売新聞掲載)
1951年10月から53年3月にかけて、藤沢庫之助九段とは、読売新聞「打ち込み十番碁」と毎日新聞「決戦四番碁」で計20局対局しました。よく打ったものです。
(引用終り)
以上
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