[過去ログ] 純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)19 (1002レス)
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858
(1): 132人目の素数さん [] 04/25(金)10:11 ID:F4nQUPma(1/4)
>>806 戻る
>岡センセは特攻隊賛美論者らしいけど5ch語でいうなら「逝っちゃってる」わね
>特攻はパワハラ 自発的に行くわけないじゃない 

前世紀、宇宙戦艦ヤマト がヒットした
一節に『地球を救う使命を帯びて
戦う男燃えるロマン
誰かがこれをやらねばならぬ
期待の人が 俺たちならば』というのがある
作詞阿久悠さんは”アリストテレスの「人間はポリス的動物である」”を知っていた?

(参考)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1126906821
chiebukuro きゅんさん2009/6/4
アリストテレスの「人間はポリス的動物である」とはどういう意味ですか?
ベストアンサー the********さん
人間は他の動物と違い、人間に育てられないと人間になれません。最小単位の社会である家族を含め、社会(当時のギリシア世界では人間社会の最も重要な単位であり、共同体ポリス=都市国家)の中で育ち、生きる動物ということです。人間の性格・人格を「パーソナリティ」といいますが、これは古代ギリシア語の「ペルソナ(当時のギリシア演劇の仮面)」に由来します。つまり人間の性格や人格は、「仮面」に象徴される役柄・役割であり、社会や他人との関係性の中で求められる役割を演じていくことで、形成され決定づけられていくのです。そのように人間とは社会との関係性の中で生きる存在ということです

https://www.kkbox.com/jp/ja/song/-m6pXC7jyaWqVaoC_H
宇宙戦艦ヤマト 作詞:阿久悠 作曲:宮川泰

さらば地球よ 愛する人よ
地球を救う使命を帯びて
戦う男燃えるロマン
誰かがこれをやらねばならぬ
期待の人が 俺たちならば

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88
宇宙戦艦ヤマト 企画の発端
本作は、中略 西崎義展プロデューサーが虫プロダクションの山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた。中略 西崎はロバート・A・ハインラインの『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた。これに豊田有恒やクリスタル・アート・スタジオ(スタジオぬえの前身)といったSF界の人材が参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した
西崎は、子供の頃に海野十三や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた

ストーリー
2199年
外宇宙から飛来した1隻の宇宙船が火星に不時着し、通信カプセルが回収される。その中には、地球から14万8000光年離れた大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から地球に宛てた、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、外宇宙航海に必要なワープを可能とする波動エンジンの設計図が納められていた
地球は、太平洋戦争末期の坊ノ岬沖海戦にて撃沈され、九州沖の海底に眠る日本海軍の戦艦「大和」を隠れ蓑に似せて建造した宇宙船にこの波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーDの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」として完成させる
865
(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 04/25(金)11:12 ID:F4nQUPma(2/4)
>>862
>「紫電改のタカ」はどうだっただろうか

「紫電改のタカ」:主人公の滝城太郎は新戦法をあみだし、やがて撃墜王となってゆくが、終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく。
か、そうだったんだ

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%BB%E6%94%B9%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%AB
紫電改のタカ(しでんかいのタカ)は、ちばてつやの漫画。少年漫画誌『週刊少年マガジン』に1963年(昭和38年)7月から1965年(昭和40年)1月まで連載され、その後も新書/文庫による単行本が出版された。

概要
太平洋戦争末期に日本海軍の最後の希望として配備され、防空戦で奮戦した戦闘機「紫電改」に搭乗するパイロットとその周囲の人々を描いた戦記漫画。戦う軍人や航空機を勇ましく、美しく描く一方で、死と隣り合わせの戦争の中で生きる若者たちの苦痛や苦悩を描き出し、子供たちに戦争の二面性を感じさせ、当時の多くの子供の心をつかんだ人気作品となった。

この当時、戦記物のブームがあり、ちばてつやも編集部の依頼で書くこととなった(ただし、この時点であまり気が進まなかったと後に語っている)。連載当初は、一般的な戦記物と同じような展開をしていたのだが、書けば書くほどに疑問が募り、中盤以降独自の展開をするようになる。特に、終盤は、ちばてつやの戦争に対する思いが前面に押し出されることとなり、当時の戦記物漫画とは一線を画した作品となる。

あらすじ
主人公は滝城太郎一飛曹(のち飛行兵曹長)という大日本帝国海軍の青年パイロット。

ストーリーは太平洋戦争末期、当時日本領だった台湾の日本海軍高雄基地から始まる。

後に源田実が設立させた防空部隊の三四三空(松山三四三航空隊)通称“剣部隊”に編入し、活躍する。主人公の滝城太郎は新戦法をあみだし、やがて撃墜王となってゆくが、終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく。
876: 132人目の素数さん [] 04/25(金)16:06 ID:F4nQUPma(3/4)
>>867
>坂井三郎を知る者は少なくなった

坂井三郎さん、太平洋戦争におけるエース・パイロット
撃墜王とも
むかし、少年マガジンかサンデーにあった気がする

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E4%B8%89%E9%83%8E
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、日本の海軍軍人。 ポツダム進級により最終階級は海軍中尉。太平洋戦争におけるエース・パイロット。 著書『大空のサムライ』で有名。撃墜数は自称64機だが、後述のように公認撃墜数は28機である。

著作活動
坂井が戦後出版した著書にはゴーストライターの存在が指摘されている。作家の神立尚紀の取材では、『坂井三郎空戦記録』は福林正之が坂井への取材や独自の取材などをもとに書き、『SAMURAI!!』はフレッド・サイトウによる坂井へのインタビューをもとにマーチン・ケイディンが脚色して書き、『大空のサムライ』は光人社社長の高城肇がアメリカ的な空戦活劇である『SAMURAI!!』を坂井と相談して日本向けに直したことを坂井も認めている[59][79]。
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(2): 132人目の素数さん [] 04/25(金)16:41 ID:F4nQUPma(4/4)
>>869
(引用開始)
そもそも、太平洋戦争は戦略的に見ると
攻撃するときの日本からの距離が長い真珠湾への奇襲
やマレー半島に攻撃する時点で日本軍にとっては不利な戦争だった
海上を移動して敵軍に攻撃するからナチスドイツのような電撃戦の作戦も出来ない
(引用終り)

1)昔は、海軍と陸軍が 別々に作戦を立てて 連携が悪かったと言われる
 (陸軍大臣と海軍大臣とが別々に居たし、この二人は 統帥権の独立で 総理大臣の配下でないとされた。陸軍大臣が長州藩閥、海軍が薩摩藩閥だったので、仲が悪かったとも)
 まあ、太平洋戦争までは、それでよかったのかも
 そもそも、いまでは常識の空軍も無かった(が、日本の空軍力は ゼロ戦の力で 開戦当時は世界一だった)
2)”真珠湾への奇襲”は、本当は 開戦の通知は 攻撃前に手交されるはずが、手違いで遅れたという
3)”マレー半島に攻撃する”問題は、航続距離の長い零戦があったので 開戦当初は無問題だった
4)”ナチスドイツのような電撃戦の作戦”は、空軍力を使ったので無問題だった(例えば、パレンバン空挺作戦)

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
略称 零戦(ぜろせん)
太平洋戦争の中期まで、空戦性能において優越する零戦を装備した日本海軍航空隊は、グラマンF4FワイルドキャットやカーチスP-40などを装備する連合国軍に対して優勢だった。また、零戦は約2200キロの航続距離をもっていた(当時連合軍の戦闘機がロンドンとベルリン間(片道約900キロ)を飛行し空戦を実施して帰還することは困難であった)。零戦は太平洋戦争初期に連合軍航空兵力の主力を撃破した。その空戦性能と長大な航続距離によって、連合軍将兵の心の中に零戦に対する恐怖心を植え付けた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
真珠湾攻撃
「帝国政府ノ対米通牒覚書」の遅れを巡る問題
「帝国政府ノ対米通牒覚書」[54]は現地時間1941年12月7日午後2時20分(日本時間昭和16年12月8日午前4時20分)[269]に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。これは指定時間から1時間20分遅れで、マレー半島コタバル上陸の2時間50分後、真珠湾攻撃の1時間後だった

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%B3%E7%A9%BA%E6%8C%BA%E4%BD%9C%E6%88%A6
パレンバン空挺作戦
東アジア屈指の産油地パレンバン油田と製油所を確保した挺進連隊の活躍は目覚しいものであり、日本国内においてその戦果は翌日の大本営発表第192号にて以下のように発表された。 「大本営発表、2月15日午後5時10分。強力なる帝国陸軍落下傘部隊は、2月14日午前11時26分、蘭印最大の油田地たる、スマトラ島パレンバンに対する奇襲降下に成功し、敵を撃破して、飛行場その他の要地を占領確保するとともに、更に戦果を拡張中なり。陸軍航空部隊は本作戦に密接に協力するとともに、すでにその一部は本15日午前同地飛行場に躍進せり。終わり」 これはマスメディアなどでも大々的に宣伝され、またのちに公開・発表された映画・軍歌と合わせ、空の神兵・陸軍落下傘部隊として国民に広く知られるようになった
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