[過去ログ] 純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)19 (1002レス)
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(1): 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 05/02(金)00:09 ID:/rPcBrOx(1)
>>976
ザリスキさん(広中先生の留学先)は、グロタンディークを毎年のように 自分の大学へ招待して 講義を頼んだという
下記は、マンフォードさんの話だが
”ザリスキは自分では新しい手法を取上げなかったが、それらのパワーを理解し彼の学生に慣れて欲しいと思った。これがグロタンディークをハーバードに招待した理由だった”という
広中先生もマンフォードさんもフィールズ賞
良い師匠に出会えたってことか

https://taro-nishino.blogspot.com/2019/03/blog-post013.html
taro-nishinoの日記
虚空―あたかも虚空から呼出されたかのように: アレクサンドル・グロタンディークの人生 前篇
3月 19, 2019

1958年の秋、グロタンディークはハーバード大学数学科へ初めて訪問した。Tateがそこで教授で、主任教授はオスカー・ザリスキだった。この時までに、1940年代に証明されたザリスキの大きな結果の一つである連結定理をグロタンディークは最近開発されたコホモロジー理論によって再証明していた。ブラウン大学のデヴィッド・マンフォード(彼は当時ザリスキの学生だった)によれば、ザリスキは自分では新しい手法を取上げなかったが、それらのパワーを理解し彼の学生に慣れて欲しいと思った。これがグロタンディークをハーバードに招待した理由だった。
数学者としてザリスキとグロタンディークは非常に異なっていたけれども、彼等は非常に仲がよかったとマンフォードは注記した。ザリスキは行き詰まった時、黒板に行き交わる曲線をよく書いたものだと言われた。それはいろいろなアイデアの理解を新鮮にしたのであろう。"噂は彼が黒板の隅にこれを書き、そして消してから代数をやったということだ。幾何学的な絵を描き幾何から代数への連結を頭の中で復元することにより頭をクリアにしなければならなかった"とマンフォードは説明した。マンフォードによれば、これはグロタンディークは決してしなかったであろうことだ。極端に簡単で殆ど自明なものを除いて、彼は実例から研究をしなかったようだ。ホモロジーのダイアグラムを別にして、彼は殆ど絵も書かなかった。

グロタンディークが初めてハーバードに招待された時、訪問より前に彼はザリスキと文通していたとマンフォードは回想した。

グロタンディークのハーバードでの講義で、マンフォードは息を飲むほどの飛躍を抽象の中に見た。一度彼はグロタンディークに或る補題を証明する方法を尋ね、非常に抽象的な議論で答えを得た。そんな抽象的議論が非常に具体的な補題を証明出来るとマンフォードは最初信じなかった。"それから私は別れて数日間考えた。そして、まさに正解だと分かった。彼は私が会ったことのある他の誰よりも、この絶対にぎょっとさせる飛躍をものの中に非常な規模の抽象化で構成する能力を持っていた...彼はいつも問題を体系付け、すべてのものを剥ぎとり、そのため何かが残っていると人が思わないような方法を求めていた。それでも何かが残っていて、彼はこのうわべの真空の中に実際の構造を見つけられた"。
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