気多大社 其之2 (944レス)
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98
(3): 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2011/05/18(水)21:46
>>96
山間地の他にも、羽咋市北隣志賀町の旧福野潟北岸に安津見という
地名が残されていますね。
”奈豆美比?刀iなずみ姫)は、志賀町安津見(あづみ)の奈豆美比?盗_社に・・・・”
能登半島(石川県)の安曇氏 2010/01/14
http://rokujigen.iza.ne.jp/blog/entry/1412604/
99
(3): 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2011/05/20(金)06:57
>>98
これらの安曇氏の足跡の一つですね。
830 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/10/03(土) 08:35:07
・・・谷川健一の「日本の地名」p42で、奈豆美比?盗_社が鎮座し古代海人族安曇氏の
居住地として取上げられている安津見地区のある羽咋郡志賀町のことですね。
同書によれば、安曇氏の本貫は筑前国糟屋郡で、足跡を示す地名が、阿波、淡路、
播磨、摂津、河内、近江、三河、美濃、伯耆、信濃の各地に存在するようですね。
【神社】寺社から古代を語りませう【仏閣】
2chスレ:kyoto
122
(3): 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2011/06/30(木)06:13
>>98>>8
今や見る影もない旧福野潟、旧邑知潟だが、水を湛えていた古代にはラグーンとして、
日本海側には旧河内湖のように賑わう港津もあったのだろうか?
海辺との境界部には、浜堤や砂州が伸びていたかも知れぬが。
802
(1): 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/06/09(土)23:12 ID:flZ5Ms010(1)
>>98
柳田国男が、斯く述べている福野潟ですね。
「能登は潟を研究する者にとって最も趣味のある国である。半島の東側面には方言に澗と称する
大小の入江が多く、西海岸は反対にほとんど一続きの砂浜であるが、その砂浜に尻をふさがれて
今も小さな潟が残り、東西両面の地貌が古くは同じようで・・・・・・・羽咋川をもって海と通う千路潟、
福野干瓢の産地たる福野潟のごときいずれも西南の寄砂のために澗の口がだんだんにつぶれた例で
ある。これもさまで古いことではなかったとみえて、山に沿うて中通りという一筋の路が残って・・・・・・・」
                                       ----  『地名の研究』 地名考説章
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