南京事件は史実★3  (969レス)
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 09/26(金)20:47 ID:0+Zg9p1J0(1/3)
古山義規一等兵が負傷したのは太平門外で死骸整理中の12月13日20時過ぎ。

第6中隊による太平門の占領は12月13日9時10分
「十二日夕紫金山第一峰を攻略せし連隊は追撃前進に転移し十三日午前七時半頃第二第三大隊は相呼応して天文台高地を占領し同九時十分第二大隊の一部(第六中隊機関銃1小隊工兵1小隊)太平門を占領して日章旗を城門高く掲揚せり」(第33連隊戦闘詳報)

古山一等兵はこの時の状況をこう証言している。
「西方面の城壁付近で、パンパン、ドドドドと銃声が聞こえてくる。われわれも太平門城壁によじ登ったとき、城壁づたいに中国兵が七、八人必死に抵抗しながら玄武湖方面に逃げ去ろうとしている姿を発見した。いち早く銃を構え、応戦の姿勢をとった時、中隊長の『撃つな!この場は見逃してやれ』という大声で銃をおろしたことがあったが、各城壁とも敵の敗残兵がウヨウヨしていた」

その後12月13日10時30分に33連隊主力は守備兵を残し太平門を出発していて以後大規模な戦闘は発生していないw

つまり戦闘が激しく敗残兵がウヨウヨしていたのは太平門占領の12月13日9時10分まで。

それから約11時間後の午後8時過ぎ古山義規一等兵は手榴弾を投げ付けられて負傷している。

手榴弾を投げ付けたのが「反抗した投降兵」と無関係なら、敗残兵は古山義規一等兵に手榴弾を投げ付けるまで11時間も戦場で死骸に隠れていた事になるなw

第33連隊主力は移動済みで太平門には僅かな守備兵しかいないので暗くなったら逃亡は容易なのになんで逃げなかったんだよw

答えw
「投降したのに手榴弾を投げ付けて暴れたので改めて投降しても認められるとは思えなかったから」wwwwww

どう考えても古山義規一等兵に手榴弾を投げ付けたのは「反抗した投降兵」wwwwwwwwwwww

日本軍にとって敗残兵とは「投降しても逃走するし、武装解除しても手榴弾を投げ付けてくるし、電線で拘束しても反抗してくる連中」の事wwwwww

即時射殺が最適解だなwwwwwwwwww
960: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 09/26(金)21:11 ID:0+Zg9p1J0(2/3)
第33連隊主力は不在なので断続的に中国兵の襲撃があれば僅かな守備兵では対応できないので死骸整理など行う余裕はないw

継続的に大規模な敵襲があれば54名の第6中隊では対応は不可能w

つまり12月13日20時過ぎの時点で太平門の守備兵には死骸整理を行うだけの余裕があったという事w

中国軍も撤退済みで継続的に大規模な敵襲がない以上、太平門外に敗残兵が残っている事はあり得ないw

死骸整理中に手榴弾を投げ付けたのは「反抗した投降兵」以外にあり得ないw

投降して武装解除されたはずの敗残兵が何で手榴弾を持っているんですかねえwwwww

やっぱり中国兵は即時射殺だなw
961: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 09/26(金)21:34 ID:0+Zg9p1J0(3/3)
東中野修道氏『再現 南京戦』第四章(P95-P96)より

投降後の逆襲 ― 太平門外付近にて
 第六中隊の古山義規一等兵は次のように証言する。
(中略)
《三百人ぐらいの敗残兵が投降して来た。この軍隊が反抗したので騒ぎが大きくなり、封殺、同士討ちが行われ、大変な被害が出たと思われます。このことが南京虐殺と宣伝されているのではなかったのでしょうか(宣伝されているのではないでしょうか)。 ・・・戦争ですから反抗して来た部隊には攻撃しました。それでないと私たちが虐殺されますから》
(『魁』〈第一巻〉五二九、五三〇頁)

日本軍は12月12日はまだ太平門を占領していないので中国軍が投降してくるのは12月13日しかあり得ないw

つまり古山義規一等兵の死骸整理はこの後の出来事と判断できるw

死骸整理は12月13日20時過ぎなので、時間的にどう見ても死骸整理の対象はこの「投降してきた300人ぐらいの敗残兵」ですw
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