ジャズに酔い、ひな型作った服部良一 アメリカ的でない日本はどこに [少考さん★] (2レス)
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1: 少考さん ★ [US] [] 08/20(水)12:29 ID:CgjwODFS9(1)
ジャズに酔い、ひな型作った服部良一 アメリカ的でない日本はどこに:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/AST8715G9T87UCVL00YM.html

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定塚遼 2025年8月20日 12時00分

船上でスタンダードジャズを演奏しながら、道頓堀川を運航する「とんぼりリバージャズボート」=2025年8月1日、大阪市内、定塚遼撮影

「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編⑫

 街の灯が浮かぶ道頓堀の川を、小さな船が下っていく。船上では、ジャズが演奏される。大正末期をしのび、2012年から運航されている「とんぼりリバージャズボート」。演奏曲のほとんどが1920年代のスタンダードナンバーだ。当時も同じ曲が、町に響いていただろうか。100年前、この地ではアメリカから入ってきたばかりのジャズが鳴っていた。

 「道頓堀周辺を、ニューオーリンズのようだと思った一時期がある」。NHK朝ドラ「ブギウギ」の題名の由来にもなった「東京ブギウギ」や、「蘇州夜曲」で知られる作曲家の服部良一(1907~93)は、自著でそうつづる。ジャズのルーツとして知られ、町に音楽が響く米ニューオーリンズを重ね合わせた。川沿いに立ち並ぶダンスホール。騒がしく奔放な音がこだまする。大阪・道頓堀は、日本のジャズの中心地だった。

 「これが、ジャズというものか」。服部は、大阪の料亭・灘万(現・なだ万)での演奏を、何度も聴きに通った。灘万をはじめ、料理屋や百貨店が、店内演奏のためにバンドを抱えていた。服部はうなぎ店の少年音楽隊に入り、ジャズも演奏するようになる。

 クラシックのオーケストラにも加わっていたが、1936年のある日、クラシックの恩師に、進む道を伝える。「ジャズが好きでやめられないのです。将来は、生活のためにポピュラーソングの作曲家として生きていきたい」

アメリカ由来の曲がヒット、流行歌のひな型に

(略)

※全文はソースで。
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 [US] [] 08/22(金)12:30 ID:cuSOSF7F0(1)
服部良一って確か今社民党の幹事長じゃなかった?
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