[過去ログ] 【本スレJAL】日航ジャンボ機墜落事故 137 【123便】 (1002レス)
前次1-
抽出解除 レス栞

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
326
(1): はっとく ◆jJYwmxB566 [] 2024/10/22(火)12:19 ID:fgz7EKg4(5/20)
>>325

1、 なぜ自衛隊はもっと早く出動し、夜を徹して行動しなかったのか?
 航空自衛隊がJAL機の異常を知ったのは十二日午後六時二十五分過ぎ、同機が「緊急事態発生」を知らせる識別信号を出したのを峰岡山レーダーサイトのスコープ上に捉えた時である。サイトの管制官は同機の故障内容や詳しい状況については、無線周波数が異なるため承知できなかったが、スコープ上の機影は羽田に戻ろうとしているように見えた。そのまま注目していたが、飛行コースが正常とは思えないため、埼玉県入間基地にある防空管制所に通報、中部航空方面隊司令部の当直幕僚も極めて異常であると判断、直ちに防衛部長に報告、大中康生部長は指揮所開設を指示し幕僚を配置、同五十七分機影がスコープ上から消えるや、松永貞昭司令官は対領空侵犯措置任務のため、茨城県百里基地で五分待機についているF-4EJファントム戦闘機に対し発進を命令、命令を受けた四分後の午後七時一分には二機が発進し、JAL機がレーダーから消滅した地点に向かって急行したのである。
 司令部は同時に非常呼集を発令すると共に百里にある航空救難隊の救難用ヘリコプターV-107一機に出動準備を命じた。
 午後七時十九分、たまたま飛行中であった米軍のC-130輸送機から、山岳地帯で異常な炎を発見した旨の通報と、その二分後にはF-4戦闘機から「山火事の発生している場所は、横田タカンから三〇〇度の方向三十二マイル」との報告を受領、この時点で航空自衛隊としてはJAL機の墜落は間違いないとして捜索・救出のための諸活動、即ち非常呼集で集まってきた隊員の中から、とりあえず三〇名の先遣隊を編成する作業に取り掛かり、熊谷、静浜、浜松等、近在の部隊にも応援を求め、各部隊はそれぞれ非常呼集を発令して隊員を呼集した。
 災害派遣要請権者である東京空港事務所長から、中空司令官に災害派遣の要請があったのは午後八時三十三分であり、部隊が初動を開始してから実に一時間半以上たっていたが、この七分後には入間基地から先遣隊三〇名が墜落地点に向けて出発、その二分後の八時四十二分には、百里基地から飛び立ったV-107が現場上空に到着し「横田タカンから二九九度の方向、三五・五マイル地点で、一五〇mから二〇〇m四方にわたり山腹が炎上している」ことを報告してきている。
 なお念のために申し添えるが、入間基地には航空救難部隊は所在せず、したがって救難団司令部は百里・松島・小松などからV-107および捜索機MU-2をそれぞれ三機ずつ、計六機を入間に機動展開させ、十三日午前零時十八分には集結を完了している。
 他方地上部隊は入間の先遣隊に続いて午後九時三〇分、熊谷基地から一〇名の先発隊を北相木村小学校に向かわせたが、これらの先遣隊は十三日午前三時三〇分及び同五〇分に到着、本隊は十三日午前一時に静浜基地から一一五名、入間基地からは同一時十五分五四八名、熊谷基地からは同二時に九十一名が出発、それぞれ明け方の四時五〇分から六時四〇分の間に北相木村に到着、中部航空警戒管制団副司令藪口1佐の指揮下に入っている。
 このように我々は、墜落したのではないかと判断した時点以降、関係機関から何ら情報や要請のないまま、独自に可能な限りの救難活動を展開していたのであって、決して夜間行動をしていなかったわけではない。    (続く)
327
(1): はっとく ◆jJYwmxB566 [] 2024/10/22(火)12:21 ID:fgz7EKg4(6/20)
>>326

軍事評論家=佐藤守のブログ日記
2007-03-09
いわれなき批判に反論する(その2)

昭和60年、今から22年も前の出来事を書いたのだが、早速数件のメールが入った。コメントを戴いた中にも、時の総指揮官・藪口1空佐のお嬢様がいたのには驚いた。今日はその続きの3項目を掲載する。

2、何故墜落地点の特定が遅れたのか?
 すなわち、緊急発進したF-4ファントム戦闘機を始め、救難ヘリから、現場の位置は横田タカン(航法用の電波発信装置)からの方位と距離でもって示され、指揮所の航空地図に表示されていたが、当夜のように月がなく、下方の地形目標が全く確認できない場合には、この電波標識を使用して方位と距離を測定する以外になかったのである。
 しかしながらこの方法では、計器等の誤差は避けられず、ピンポイントで○○山の頂上から○○m西側などと位置を特定することは無理で、どうしても数kmの範囲の概略の位置しかつかむことは出来ないのであるが、少なくとも航空活動においてはそれで十分で何ら支障になるものではない。ただ、地上部隊を派遣するに当たっての前進目標としては、概略であってもとりあえずの「目標」を与えて速やかに前進させる必要があったが、その目標としては「北相木村」が一番近いと考えられたのである。航空自衛隊の地上部隊は道路地図を頼りに深夜の行進を続け、一時休止をする毎に公衆電話を使って指揮所と連絡を取り合うこととしたが、公衆電話がなかなか見つからず、通信手段に苦労し十分な連絡が取れなかった。
 地点評定については、十三日午前一時ごろ現場上空に到着したV-107から「入間タカンから二九一度三六・三マイル」との報告があったが、この地点は極めて正確であった。警察の問い合わせに対して指揮所は、この地点を地図上に評定して回答し、同時に「長野県警が現場に向かっている」との情報を得ているが、我々の地図上では「○○山の北斜面」とまで地名を特定することは困難であった。
 指揮所では、長野県警が地上を前進していることを現場上空のヘリに知らせ、ヘリは着陸灯を点灯して旋回し、警官隊が何とかこれを目指して前進する方法を試みたが、地上は森林地帯であったため失敗に終わり結局陸上からの位置確認は出来なかった。
 航空自衛隊はその特性上、五十万分の一の航空図を常用しているから、道路地図帳にも記載されていないような細部の地名等には比較的疎く、航法用の諸装置の方位と距離を中心に三次元の、それも主として洋上での行動を主としているため、今回のような夜間山岳地帯での救出活動は不得手であり裏目に出たといえる。その意味では今後十分反省する所存であるが、皮肉にもタカン評定は結果的には相当の確度を持って現場を評定したのであって、問題は事故当初の混乱した多くの情報(地元民からの情報を含む)の中から、いかに正しいものを選び出し、自信をもって行動するかということに帰するのではないかと思う。その意味では更に演練の必要があると考えるが、「当夜救難の意欲にかけていたのは確かだ」とか「地上部隊と密接に連絡を取っていれば」(朝日ジャーナル)など、精神論や観念論に基づく非難を受けるいわれは全くない。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.035s