[過去ログ] ウクライナ人評論家「日本も他人事ではない。ロシア軍が北海道に侵攻する危険性がある」 プーチン氏「アイヌ民族を露の先住民族に」発言も★3 [ラッコ★] (1002レス)
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379(3): 2022/02/27(日)04:17 ID:Mef7h38u0(1/26) AAS
北海道アイヌの血を引く人達
画像リンク[jpg]:imgur.com
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遺伝学「日本の先住民はアイヌ」
www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/
>本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統である可能性が高いことを示している。
形態学「日本の先住民はアイヌ」
www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html
>縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された。
地名学「日本の先住民はアイヌ」
id.nii.ac.jp/1204/00000541/
>東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する。
380(3): 2022/02/27(日)04:17 ID:Mef7h38u0(2/26) AAS
日本史を正しく認識するための正しい用語集
縄文人 = プレアイヌ
縄文語 = アイヌイック・アコロイタク (endonym)・夷語 (exonym)
弥生人 = ムムン (朝鮮 無文土器文化人) ピアンプ (遼寧 偏堡文化人)
日本語 = 半島日本語 (Peninsular Japonic)・扶余語族 (百済語・先高句麗語・濊語)
正しい時代区分
縄文時代 = プレアイヌ時代
弥生時代 = ムムン・コリアン大移動時代
古墳時代 = 先住民ジェノサイド時代
飛鳥時代 = 百済王朝コピペ時代
歴史は破れた側を辿れ。日本の国史は、皇国史観から天皇にだけ都合のいいように編纂されている
蝦夷・隼人など、敗者の視点から歴史を追うことで、本当の日本が見えてくる
幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language]
動画リンク[YouTube]
381(3): 2022/02/27(日)04:18 ID:Mef7h38u0(3/26) AAS
>>379 >>380
金田一京助(アイヌ語研究の創始者)
「地名からみると北海道と東北は連続している。東北地方もかつてはアイヌ世界の一部であったと考えてよい」
菅江真澄(江戸時代の博物学者)
「東北地方の地名はアイヌ語に由来する。東北地方から出土する土器はアイヌの作ったものである」
■ 東北地方の「ナイ」「ベツ」地名の分布(=アイヌ語・夷語の話者)
画像リンク[jpg]:livedoor.blogimg.jp
■ 畿内型の古墳分布(=日本語・百済語の話者)
画像リンク[jpg]:www.nhk.or.jp
「ナイ」「ベツ」で終わる地名は北海道、樺太、東北などに多く見られ、アイヌ語で「川」や「沢」を意味する。
青森・秋田・岩手には、今日でも和井内、生保内、今別など、おびただしいアイヌ語地名がある。
中には奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。
古墳時代には、渡来人が大挙して上陸し、現代日本人のDNAが決定づけられた。
この間は、記録が空白で暗黒時代という人もいる。
古墳時代の人骨の一番の特徴は縄文人の骨格で見られた骨太さが目立たなくなったことである。
この傾向は、大型古墳の被葬者などで顕著であり、横穴墓や円筒埴輪棺などの
常民墓の埋葬者ではさほどでもなく、縄文人、弥生人と大型古墳の被葬者との中間である。
ヤマトタケルの東征ルート上に横穴墓が分布し、その結果、新たな階層が生み出されたと考えられる。
382(3): 2022/02/27(日)04:18 ID:Mef7h38u0(4/26) AAS
>>379 >>380
東大「アイヌは縄文人の直系子孫」
2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
外部リンク:www.s.u-tokyo.ac.jp
>先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど
>日本列島周辺の人類集団との関係を分析したところ、本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。
>この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し、
>アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に
>東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示している。
論文(訳): IK002はアイヌとクラスターを形成し、アイヌが縄文人の直接的な子孫であるという先行研究を裏付ける。
>IK002 clusters with the Hokkaido Ainu, supporting previous findings that the Hokkaido Ainu are direct descendants of the Jomon people.
383: 2022/02/27(日)04:19 ID:Mef7h38u0(5/26) AAS
>>379 >>380
■ 城柵マップ(=ヤマトの蝦夷地侵略の年表と解釈してよい)
画像リンク[jpg]:kotobank.jp
647年 越後国に最初の城柵・渟足柵が造営される
658年 阿倍比羅夫の蝦夷征伐(このとき新潟県の辺りにいたアイヌを東北へ追い払った)
それから100年ほど経て、光仁天皇が「蝦夷が良民に害を与える」などと因縁をつけて本格的な東北侵略を開始
畿内中心とする天皇・公家が、中国の華夷思想を取り入れ、東北アイヌを虐殺・奴隷化のやりたい放題
781年 桓武天皇(光仁と百済系の嫁に生まれた)が即位。渡来人優遇の政策をとる
797年 百済系の坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命
802年 蝦夷の総帥アテルイが降伏
803年 東北が平定される
このようにしてヤマト王権はアイヌの日本列島を乗っ取った
※ 山間僻地に追い込まれた蝦夷はマタギに、俘囚として他県に移配された蝦夷はエタ・部落民に
和人との同化(皇民化)を忌避し北海道に移住した蝦夷はシュムクルになった
日本の差別問題は西洋とは違い、劣字を使って虐げるべき対象を作り、身分の優劣を決める
「畿内」や「東夷」という言葉がそのまま中華思想。日本の差別問題は大陸からの渡来人が齎した
>朝貢の儀式(710年)では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。
>皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
>一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)
>エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用された。
■ 東夷と呼ばれ迫害されたアイヌ
画像リンク[jpg]:kutsukake.nichibun.ac.jp
385(3): 2022/02/27(日)04:20 ID:Mef7h38u0(6/26) AAS
>>381 >>382
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。北海道では近代まで維持された。
>日本各地でみられた縄文時代人骨の特徴は、弥生時代に入り各地で失われてくる。
>顔面の平坦さも日本の広い範囲で見られるようになる。
>弥生時代に北九州・山口群に頭蓋形態小変異の頻度の変化が見られたが、古墳時代には関東地域まで広がる。
>北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず、縄文時代から近現代に至るまで、形態のかなりの安定さが見られる。
■ 北海道続縄文スカル(=プレ・アイヌ)/オホーツク人スカル(=プレ・ニヴフ)
画像リンク[jpg]:www.sapmed.ac.jp
■ 頭骨比較 旧石器/縄文/弥生/古墳
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと1年
エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷
研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31
kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20H03332/
>宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、
>少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。
>山口敏(国立科学博物館・人類学部長)は、大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、
>東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。
386(3): 2022/02/27(日)04:20 ID:Mef7h38u0(7/26) AAS
>>381 >>382
1700年前まで関東はアイヌモシリでした
340年頃 北陸・東方諸国を視察 武内宿禰は日高見国の蝦夷のことを報告 攻略を勧める
340年頃 東国の蝦夷が謀反し、日本武尊を派遣
478年 (宋書) "東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す"
1200年前まで東北はアイヌモシリでした
618年 (旧唐書) "日本の東界・北界には大山(日本アルプス)横切りその外側に毛人が住む"
659年 (新唐書) "蝦夷もまた海島の中に居る 其の使者 髭の長さ四尺許り"
797年 坂上田村麻呂(=耽羅麻呂)が征夷大将軍に任命される
802年 蝦夷の総帥アテルイが降伏 河内にて処刑
300年前まで津軽はアイヌモシリでした
1356年 (諏訪大明神絵詞) "『渡党』は和国の人に似て 言葉も大半は通じるが 髭面多毛な人"
1784年 (東遊記) "当地は6,70年前まではエゾ村であったが,今は風俗が変わって日本人の通りになっている"
150年前まで北海道はアイヌモシリでした
1869年 明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定
■ 蝦夷の本来の読み方は『カイ』
松浦武四郎は、天塩川流域の調査時、アイヌの長老から「カイとは古いアイヌ語で〈この土地に生まれた者〉」と教えられます。
それで〈北〉〈カイ〉〈道〉。北加伊道は北蝦夷道というのと同じである。すなわちアイヌの国を意味している。
児島恭子は、元代の骨鬼、明代の苦冗、苦夷、清代の庫野、庫貢、庫葉などは、蝦夷と音が近いkuye、kui、koe、kughiであるとし
現代でもアムール川下流やサハリン住民(トゥングース・満州系諸族)がkui、ニヴヒがkuyiと呼んでいる民族がアイヌである点から
「蝦夷 (カイ)」は中国においてアイヌの先祖を音訳によって表記し、それが日本にもたらされたものと考える。
平安初期の「弘仁私記序」にも蝦夷にカイの傍訓がなされ、平安末の「伊呂波字類抄」にもカイの条に蝦夷とある。
日本の東北にいる異族のことを、古い時代には「毛人 (エミシ)」と書いていた。
その後、斉明天皇の時代に支那からの帰化人で遣唐使の通弁として随行した伊吉博徳が、この種族を「蝦夷 (カイ)」と書いた。
387: 2022/02/27(日)04:20 ID:Mef7h38u0(8/26) AAS
>>381 >>382
『アイヌ語方言辞典』を眺めれば、それだけで
小林よしのりが広めた「アイヌは部族ごとに別言語を話すバラバラの民族」
なんていう説がトンチンカンのデタラメだということがわかる
アイヌ語については古くから調査され、明治には金田一京介が沙流・樺太方言を研究し
戦後には服部四郎が道内各地・樺太・千島列島の方言を網羅し
『アイヌ語方言辞典』が出版され、一つの言語であることは学術的に証明されている
基礎語彙がほぼ共通で、文法構造が完全に同じ
方言についての最古の記述。毛人方言はアイヌ語のことだろう。飛驒方言は不明
「此当国方言、毛人方言、飛驒方言、東国方言」(東大寺諷誦文稿・800年頃)
アイヌ語方言辞典
外部リンク:ja.wikipedia.org
小林よしのりがゴー宣で広めた嘘「アイヌはバラバラの民族」
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
388: 2022/02/27(日)04:21 ID:Mef7h38u0(9/26) AAS
>>385 >>386
和人が「北海道の侵略者」という事実を受け入れられず精神崩壊した哀れなおっさん 小野寺まさる
小野寺まさる@onoderamasaru
今日の北海道新聞です!言論弾圧を始めようとしているのは明白です。
国立民族博物館なのだから史実と学術的見地から反論すれば良いものを何が差別だ!
そもそも誰が差別したんだよ?ウポポイ攻撃は徹底的にならねばなりませんな。
2020年9月2日
ウポポイ発信強化 中傷相次ぎHPに解説文 研究者が回答 法的措置検討
外部リンク:www.hokkaido-np.co.jp
北海道は、明治時代に日帝がアイヌから騙し取って内地化した
その不都合な事実をごまかすには、小野寺のように他民族の悪口を言いふらしつづけるしかないのだろう
■ 江戸時代の地図 松前藩の領土とアイヌの蝦夷がご丁寧に色分けされて描かれている
画像リンク[jpg]:archive.wul.waseda.ac.jp
名字「小野寺」はO1b2。藤原の子孫が、いまも列島土着のアイヌを差別している
小野寺まさるのアイヌ・ヘイトは、とてつもなく醜悪な構図といえる
>野国都賀郡・小野寺村が起源。藤原秀郷将軍の子孫であり、系図上では佐藤氏と同族である。
>佐藤氏の男性のY染色体ハプログループを解析した結果
>その殆どがハプログループO1b2(O-P49)の系統に属することが明らかとなった。
390(4): 2022/02/27(日)04:21 ID:Mef7h38u0(10/26) AAS
>>385 >>386
アイヌは日本列島の先住民 和人は朝鮮半島の先住民
■ Mumun pottery period(朝鮮 無文土器時代)
外部リンク:ja.wikipedia.org
■ Peninsular Japonic(半島日本語)
外部リンク:ja.wikipedia.org
>朝鮮における無文土器文化の担い手は日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。[4][5][6][7][8]
>これらの説によれば現代の朝鮮語族に属する言語は満州南部から朝鮮北部にわたる地域で確立され、
>朝鮮語族の集団は南方へ拡大し、中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
>またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族の集団が弥生人の祖であるとされる。
>無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。
>朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。
アイヌは特別な存在だが、日本人はただの東アジア人
ジャレド・ダイアモンドも「日本人は朝鮮人と見分けがつかない。アイヌと比べて特徴がない」と述べている
>縄文人骨は日本人とちがっていて、アイヌといちばん似ているし、弥生人骨は日本人と似ている。
>現代日本人は、朝鮮系の弥生人とアイヌ系の縄文人の混血ではないかという想定で、
>遺伝学者はこの二つの遺伝子プールの貢献を計算した。
>結果として、朝鮮/弥生系の貢献が圧倒的だ。
ジャレド・ダイアモンド 『銃、病原菌、鉄』(和訳)
cruel.org/diamond/whoarethejapanese.html
391(3): 2022/02/27(日)04:22 ID:Mef7h38u0(11/26) AAS
>>385 >>386
東アジア言語地図 (オハイオ大学 J. Marshall UNGER が作成)
画像リンク[jpg]:www.oeaw.ac.at
393(3): 2022/02/27(日)04:22 ID:Mef7h38u0(12/26) AAS
>>390 >>391
日本の古史に登場する人物、縄文系の形質だと思ってる?
ヤマトタケル、坂上田村麻呂、天皇、みんな 「土井ヶ浜弥生人」 の形質だよ
■ 土井ヶ浜弥生人(山口県) 核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北九州弥生人に近いクラスタに属していると判明した
画像リンク[jpg]:www.gondo.com
■ 長州藩(山口県) 高杉晋作は奇兵隊に部落・被差別民が入り込んでいるのを知ると容赦なく殺した
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
山口敏(1987) は、東日本の古墳人が土井ヶ浜弥生人に強い類似性を示すことから、土井ヶ浜集団の特徴は8世紀までに東日本にも広がったと結論した。
司馬遼太郎
「山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響をもっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのは、ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。」
394: 2022/02/27(日)04:23 ID:Mef7h38u0(13/26) AAS
>>390 >>391
■ 頭骨比較 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北九州・土井ヶ浜
画像リンク[png]:i.imgur.com
■ 鹿児島出身のハロプロ・アイドル 上國料萌衣 (極度の低顔)
画像リンク[png]:stat.ameba.jp
南九州は、山間部では西北九州型、沿岸部や離島では南九州型、平野部には北九州・土井ヶ浜型が多く見られる。
山間部や沿岸部の一部のグループでは。古墳時代に入ってもより低顔性を増す傾向にあったりする。
395(3): 2022/02/27(日)04:23 ID:Mef7h38u0(14/26) AAS
>>390 >>391
篠田謙一(分子人類学者)
「日本人は弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言うとみんなガッカリする」
外部リンク[html]:www.u-tokyo.ac.jp
本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。弥生人って混血していけば、混血する相手は縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置は、こちらにずれてくるはずなんですね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないと思ったわけです。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
396: 2022/02/27(日)04:24 ID:Mef7h38u0(15/26) AAS
>>393 >>395
ザイヌ!ザイヌ!と騒ぐが、そもそも桓武天皇と坂上田村麻呂が『在日コリアン』
彼らが中心となって東北アイヌを虐殺した。今日の東北人の顔がのっぺりしてるのは、この2人のせいだと思っていい
ちなみに田村麻呂の嫁(三善氏)も渡来系
>蝦夷征伐(770 - 811)
>桓武天皇(737 - 806)
>生母である高野新笠は武寧王を祖とする百済系の和氏出身。桓武の登場で渡来系氏族は優遇措置がなされることもあった。
>坂上田村麻呂(758 - 811)
>田村麻呂の出自をたどると、中国後漢の霊帝の子孫で、 阿知使主を祖とする東漢氏の一族と伝えている。
>ところが、阿知使主は朝鮮半島南部から渡来しているので、朝鮮半島系というのが事実のようである。
>坂上田村麻呂の妻は三善高子(三善清継の娘)
>三善氏は、渡来系の氏族であるが、百済系と漢族系の2系統が存在する。
百済系の坂上田村麻呂が蝦夷を征伐した。日本史は渡来系が主人公で、土着の蝦夷が悪役になっている
「蝦夷征伐」などというのは、結局、渡来人による縄文人虐殺の一過程に過ぎない
■ 蝦夷系墳墓の分布 蝦夷の民は北上川沿いに集落をなして暮らしていた
画像リンク[png]:i.imgur.com
■ 巣伏の戦い 蝦夷征伐の実態は北上川(日高見川)を遡上する朝廷の侵略戦争であった
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
『日本紀略』延暦13(794年) 6月13日条に、「副将軍坂上大宿禰田村麻呂巳下蝦夷を征す」とあり
10月28日条には、「斬首四百五十七級、捕虜百五十人、獲馬八十五匹、焼落(焼き払った集落)七十五処」とある。
田村麻呂は、この2年後に征夷大将軍になっている。征夷大将軍とは極悪非道なモノだったのだ。
斬首された者の数は、前回の約五倍であり、焼き払われた集落の数もおびただしい。
住居や家財道具を失ったエミシの非戦闘員の苦しみは大変なものであったと思われる。
397(3): 2022/02/27(日)04:24 ID:Mef7h38u0(16/26) AAS
>>393 >>395
『新唐書』 では、蝦夷の特徴として、ひげが濃いということともに、弓矢に長じていることを強調している。
>明年(663年)、使者、蝦夷人とともに朝す朝廷に参る。蝦夷もまた海島の中に居る。其の使者、髭の長さ四尺許り。
>矢を首にはさみ、人をしてひさごを載せて数十歩に立たしめ、射てあたらざる無し。
日本列島は日本アルプスを境に東・西日本に分かれ、大昔、その東側にいた者達は「毛人」と呼ばれていた
>倭の五王の1人とされる「武」が中国南朝の宋に出した上表文には「東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す」と記され
>また『旧唐書』日本伝によれば、「日本の東界・北界には大山横切りその外側に毛人が住む」とある。
>この大山こそが現在の日本アルプスでその外側の毛人(即ち毛野国の領域)が住む地を日本でいう東国であると考えられる。
■ 日本列島マップ画像
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
■ 津軽藩の初代藩主、津軽為信 アイヌと和人の合いの子にしか見えない
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
蝦夷の多毛性については、『唐書』[東夷伝日本]、『通典』[辺防一蝦夷]、『唐合要』[蝦夷国]に鬚が四尺に及ぶなどと見え
『宋史』が、唐代における夷人について、「身面皆に毛有り」とするのも、そうした認識を継承するもの
アイヌの多毛性は、歴史書がおしなべて記すところで、倭人とは形質的にも差異があった
399(3): 2022/02/27(日)04:25 ID:Mef7h38u0(17/26) AAS
>>393 >>395
東北エミシの夷語=アイヌ語と同系
>東は 「仙台の北の平野の中」 西は 「秋田県、山形県境の山」
>それ以南は関東北辺までアイヌ語らしき地名こそあれ、分布が減少しているようである。
>この南限線は、畿内型古墳分布のほぼ北限であり、江別 ・後北式土器出土の南限であり
>郡山遺跡 ・多賀城をはじめ征夷戦の前線でもある。
蝦夷の居住域とアイヌ語地名の分布に共通点が認められ、蝦夷の中にアイヌ語族が多かったことを示唆している
すると、古代の蝦夷はアイヌ語系統の言語を話していた可能性が高いことになる
■ アイヌ語が語源とみられる主な東北地方の地名
画像リンク[jpg]:ss344468.stars.ne.jp
【必読】『東北と北海道のアイヌ語地名考 (1957年刊行)』 概要
2chスレ:archeology
401(3): 2022/02/27(日)04:26 ID:Mef7h38u0(18/26) AAS
>>397 >>399
津軽のイヨマンテ
>青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)など、
>おびただしいアイヌ語地名がある。奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。
>東北アイヌの境遇は、18世紀になると変化する。藩財政の窮乏化に伴って、アイヌの内地人化、
>農民化の施策がとられるようになった。東北アイヌは、急速に和人化し、民族的特徴を失っていった。
>三厩宇鉄村を旅した京都の医師、橘南谿は、当時の風俗を「東遊記」に遺している。
>「当地は6、70年前まではエゾ村であったが、今は風俗が変わって日本人の通りになっている。
>しかし近所の村とは縁組をせず、顔立ちも異なって眉が一文字につながっている女子などもいる。
>毎年 近くの今別村の寺に集まり『蝦夷踊り』を行っている」と述べており
>(18世紀末には)アイヌの名残を留めながらも和人の世界に同化してしまった様子が描かれている。
■ 江戸時代の文献に記録された「蝦夷踊り」
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
■ 和人の創作ダンス「よさこいソーラン」
動画リンク[YouTube]
↑こんなものに補助金を出すくらいなら、先住民族アイヌ文化の保存に使ってくれたほうがよほどいい
402: 2022/02/27(日)04:26 ID:Mef7h38u0(19/26) AAS
>>397 >>399
喜田貞吉の結論ははっきりしている
エミシは縄文時代からの列島の住人で、こんにちのアイヌと血脈を通じている
喜田 貞吉 本州における蝦夷の末路 1928 東北文化研究
外部リンク[html]:www.aozora.gr.jp
>「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺?を存するアイヌ族のことなり。
>その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。
>国家の懐柔政策は、なるべく蝦夷を内地諸国に移して、日本民族に同化融合せしめるにありました。
>したがって日本国中到る所、蝦夷の血の行き渡っておらぬ地方はありません。
>日本各地の住民は、石器時代以来の先住土人の血を保存しているばかりでなく、
>歴史時代において奥羽から移住した蝦夷の血を、多量に交えているのであります。
>したがって日本人には毛深いものが多い。
404(3): 2022/02/27(日)04:27 ID:Mef7h38u0(20/26) AAS
>>397 >>399
エタの起源 = 狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々
ja.wikipedia.org/?curid=114173
>穢多は、元々「えとり」であり、塵袋にあるように、旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々を指した。
>居住していたのは村外れや川の側など、農業に適さない場所であった。
>穢多は居住地が地図に表示されないなどの差別を受けた。
塩見鮮一郎 「別所とエタ系部落」
>部落民は、朝鮮半島からきた人たちではなく、東北地方の人たちと同じ形質をしている、ということだ。
>この調査の結果どおりならば、部落の起源は、移配されたエミシということになる
長頭(アイヌ児童) 短頭(朝鮮人児童)
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
1890年代に鳥居龍蔵(人類学者)は、東京・関西・四国等の被差別部落民の外形を調査
>「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり」として朝鮮人説を完全に否定
>頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。
>戦後になると、大阪大学教授の小浜基次が、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ない
>形質人類学により、被差別部落民は形質的に東北人と一致していると結論づけた。
■ 福岡県の部落出身 松本治一郎(多毛・福耳)
画像リンク[JPG]:upload.wikimedia.org
405(3): 2022/02/27(日)04:28 ID:Mef7h38u0(21/26) AAS
>>401 >>404
アイヌを絶滅させて和人が乗っ取った島
粟島 (新潟県)
外部リンク:ja.wikipedia.org
>粟島では、弥生から古墳文化が確認されておらず、和人が入るまでの長い間、蝦夷の地とされていた。
>粟島が初めて文献に登場するのは、808年『大同類聚方』で「粟生蝦夷」の名前が登場し、
>和人が入植する以前から、蝦夷と関係した先住民が生活していたとされる。
>地名にもアイヌ語に由来するものが確認される。
>古代の粟島は史料が残っていないためよくわかっていないが、以下のような伝承がある。
>九世紀初め、北九州の松浦党の一族が上陸し、蝦夷を西海岸(釜谷地区)へ追い払って生活するようになった。
>今度は越前国の本保氏一族が上陸し、松浦一族を西海岸へ追い払い、そこで住むようになった。
>やがて蝦夷は絶滅し、本保一族と松浦一族のみが島には残った。
「葛」「茨」「塚」地名には先住民族をジェノサイドしたという含みがある
>葛城(かつらぎ) 奈良盆地の南西部を指す地域名。神武天皇が、葛で編んだ網で土蜘蛛を捕らえたためと伝えられる。
>茨城(いばらき) 茨城郡の語源伝承によれば、茨蕀をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)をほろぼしたという。
蜘蛛塚 (神武に虐殺された先住民族の墓)
画像リンク[jpg]:img-cdn.guide.travel.co.jp
406: 2022/02/27(日)04:28 ID:Mef7h38u0(22/26) AAS
>>401 >>404
仏教徒による陰湿な差別例(1) 「差別戒名」
外部リンク:ja.wikipedia.org
仏教徒による陰湿な差別例(2) 「蝦夷は虐殺しても構わない」
>大師空海は、蝦夷を「羅刹の流いにして非人の儔なり」
>「人を食う鬼の類であって非人=悪鬼の仲間である」「人面獣心」と罵っている。
>空海にとって、蝦夷は人間ではなく、仏の救済対象などでは絶対にあり得なかった。
>仏教は人間の平等など説いてはいないのである。
北海道植民地化政策の一例 「蝦夷三官寺」
>江戸幕府が1804年に伊達市・様似町・厚岸町に建立した3つの寺院の総称。
>各寺は蝦夷地で死亡した和人の葬儀とアイヌ民族への仏教布教を目的に建てられました。
>背景には対ロシア政策として幕府による蝦夷地支配を示す狙いがありました。
桓武と蝦夷征伐
>桓武天皇は、平安京を造営し、徴兵制による常備軍を廃止して、死刑も事実上なくした。
>人間を殺すことによる怨霊化を恐れたためだという。一方で「蝦夷征伐」には熱心に取り組んだ。
>桓武は、蝦夷は人間以外であると考え、無惨に殺せばタタリをなすのは日本人であって、蝦夷を征伐できたというのである。
百済人による「仏教公伝」は日本人の性格を柔和にするどころか、より凶悪なものにした。
仏教では肉食を禁じる。すなわち、仏教徒にとって狩猟生活をする者は侮蔑の対象であった。
肉食や屠殺をする者は卑しい生まれであるから差別しても構わないというのである。
蝦夷征伐が勢いづいたのも飛鳥時代に仏教の教えが日本に入ったからだろう。
和人は、そのようなおぞましいほどの差別意識をもって、蝦夷の民を虐殺し、蝦夷地の侵略を正当化した。
407(4): 2022/02/27(日)04:29 ID:Mef7h38u0(23/26) AAS
>>401 >>404
■ 方言札をぶら下げる沖縄の子供 「私は方言を使いました」
画像リンク[jpg]:img-cdn.jg.jugem.jp
■ 「方言札」 戦後の沖縄で行われた同化政策
画像リンク[jpg]:i1.wp.com
言葉狩りは、まさに日帝がアイヌや沖縄に対してやったことだ
それで中国のチベット・ウイグル政策を批判してるのだから呆れる
408: 2022/02/27(日)04:30 ID:Mef7h38u0(24/26) AAS
>>405 >>407
日本大百科全書
「アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である」
百科事典マイペディア
「現在,主として北海道に居住する日本列島の先住民族」
日本国語大辞典
「昔、北海道・樺太(サハリン)・千島列島(クリール)・カムチャツカ半島・本州の北端部に広く先住していた民族」
先住民族とは、ヤマトに虐げられ、近代化の過程で少数派になった民族を指す。つまりアイヌのことだ
この先住民族という言葉にネトウヨが尋常じゃないくらい発狂してエセ歴史学をばらまいている
ビジウヨ業界は縄文ファンタジーで商売しているから、「つか縄文人ってアイヌじゃん?」という指摘をなによりも恐れている
だから、ありとあらゆる屁理屈をこねてアイヌ民族の存在そのものを潰しにかかる
ちなみに北海道は、かなり近代まで「外国」扱いだった
1789/6 御境松前御加勢
外部リンク[html]:www.ne.jp
>クナシリ・メナシ蜂起に対する盛岡藩の対応。このなかで、道東を「外国」としている。
410(1): 2022/02/27(日)04:31 ID:Mef7h38u0(25/26) AAS
>>405 >>407
和人と百済 通訳なしで会話できた 交戦の記録なし
和人と新羅 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と漢人 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と粛慎 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と蝦夷 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と隼人 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人の正体? 半島南部から来た渡来人だよ
>文献史料からは、蝦夷が倭人とは通じない言語を使用していたために訳語がおかれていたこと、
>蝦夷の言語が律令国家側から「夷語」とよばれていたことなどが知られる。
>訳語・通事が置かれたのは、確実なところでは漢語・新羅語・渤海語・夷語、
>奄美等訳語(『延喜式』巻30大蔵省)、それに隼人の言語が加えられるかもしれない。
ケンブリッジ大学の図表: 古日本語・古朝鮮語の勢力圏
The linguistic landscape of the Korean peninsula in time and space.
画像リンク[png]:static.cambridge.org
日韓語族の分類: Classification of Japano-Koreanic based on classical comparative historical linguistic inferences (adapted from Robbeets, 2015).
画像リンク[png]:static.cambridge.org
412(1): 2022/02/27(日)04:32 ID:Mef7h38u0(26/26) AAS
>>405 >>407
「先史日本列島人に関する二三の骨学的考察」 山口敏(国立科学博物館)
doi: 外部リンク[343]:doi.org
北海道の縄文人とアイヌの関係について
縄文人については、コロボックル説、アイヌ説、原日本人説などの諸説があいついで唱えられたが、筆者が人類学を学んだ1950年代には、縄文人は現代日本人の直系の祖先であり、アイヌとは似て非なるものとする長谷部言人の主張が圧倒的な影響力を誇っていた。
そのため、1959年に参加した稚内市宗谷オンコロマナイ貝塚の発掘で、続縄文時代の人骨にはじめて遭遇したとき、はなはだしく困惑した。アイヌ的な特徴 (眉間の隆起、狭い口蓋、動揺下顎、広く低い顔と眼窩、立体的な鼻根部、鉗子状咬合、扁平な四肢骨骨幹) と並んで、本州の縄文人の方に近い特徴 (中〜短型の脳頭蓋、著しい低顔型、ピラステルの発達した大腿骨) も見られたからである。
アイヌと縄文人を別系統とみる考え方に抱いた疑問は、坊主山遺跡や緑ヶ岡遺跡の縄文晩期人骨の発掘をするにつれて、ますます大きく膨らんだ。オンコロマナイ人の形態が道北部だけのものではなく、道央や道東部にも見られることが分かってきたからである。さらに、縄文晩期の人骨を発掘するに及んで、北海道の縄文文化の担い手は本州の縄文人そのものであったことを確信するようになった。
礼文華貝塚で続縄文文化 (恵山式) を伴う人骨を発掘し、さらに烏柵舞遺跡では擦文文化期の人骨の発掘にも参加する機会を得た。これらの人骨の観察から、道南の縄文人は恵山系続縄文人と擦文時代人をへて連続的に近世アイヌに移行していったという考えを抱くようになった。
これと前後して、ハーヴァード大学のW・W・ハウエルズがアイヌの系譜に関して重要な論文を発表した。1961年に来日してアイヌの頭骨を調査。その結論は、現代の日本人は西日本の弥生時代人と連続的につながるのに対して、縄文人は明らかに異なっており、縄文人の系譜につながるのはアイヌである、というものであった。論拠となった判別分析で上述のオンコロマナイ人頭骨が重要な位置を占めていたのが印象的であった。
筆者は弥生時代人骨の研究には経験が乏しいのであるが、弥生人研究の進展状況は、関心をもち続けてきた。三津遺跡、金隈遺跡、土井ヶ浜遺跡などの出土人骨で代表されるいわゆる北九州・山口型の弥生人については、対岸の韓国南岸の禮安里遺跡で出土した人骨との顕著な類似が明らかにされており、渡来の原郷が朝鮮半島南部にあったことは確実と見られている。
左: 稚内市オンコロマナイ貝塚の続縄文人頭蓋 右: 稚内市大岬のオホーツク文化人頭蓋
画像リンク[jpg]:www.sapmed.ac.jp
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