アメ公は頭悪いんですね。 (447レス)
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(1): 山椒太夫 2022/04/30(土)05:07 ID:nzT6sQ89(2/4) AAS
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>満州事変なんか起こさなければ、ハルノートを突きつけられなかったのではないか?

1931(昭六)年の満洲事変と1941(昭十六年)のハルノートとの間には約十年の開きがあり、直接的な関連性はない。日本が満洲事変を実行し、続いて満州国を建国・統治しても、そのことがアメリカの安全保障に何の差し障りがあるというのだろうか。

満洲事変の実行当事者と当時の政府の要人らの間で、将来、米国からハルノートを突きつけられることになる、と予見できた者はいない。

満洲事変に対する米国の関与は、ヘンリー・スティムソン国務長官の「不承認(non-recognition)方針」だけである。それすら、時の大統領ハーバート・フーバーは「意見は言っても良いが、あまり原則論を振り回さないようにせよ」と抑制的なものだった。

反対に、満洲事変を起こさなければ、どうなっていただろうか。外モンゴルにはソ連赤軍が既に侵入し、傀儡政権を打ち立て、首都フレーをウランバートル(「赤い英雄」の意)と改名していた。

満洲が赤化すれば、次は朝鮮(当時は日本)が危ない。既に商店への破壊・放火、発電所の爆破、満鉄職員とその子女への暴行・投石など、排日懸案は500件(大阪対支経済連盟の調べ)に昇っていた。山賊・匪賊が横行し、円滑な物流に支障をきたしていたが、張学良の奉天軍閥はこれを野放しにし、無政府状態への兆しが表れていた。奉天軍閥は満洲全体の歳入の80%を私的に流用し、軍備強化と満鉄並行線を敷設するなど、関東軍との対決姿勢を強めていた。

この、ソ連勢力の膨張・侵攻に対する反撃として起こしたのが満洲事変であり、それに続く満洲国の建国である。これがなければ、満洲は遠からずソ連領となり、大連・旅順はソ連軍の統治下に入り、第二次日露戦争が勃発するに至ったであろう。

建国後、満洲国の政治経済は安定し、奉天軍閥によって80%が費消されていた歳入は地元の開発に投下されるようになり、満洲国は10年余に渡り年13%の成長を実現、ほとんど原野だった大地は自動車・飛行機の生産までできるようになった。

第二次大戦で日本が敗れたことで、満洲はソ連軍の侵入を許し、支那大陸赤化の基地となった。朝鮮戦争が勃発すると、毛沢東の中共政権は、満洲防衛のために航空支援なしに50万の地上軍を朝鮮半島に投入・南下させ、優勢な米軍の火力に晒した。朝鮮戦争による米軍の死傷者は3万5千人といわれる。中共軍の死傷者は20万とも30万ともいわれ、不明である。
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