徳富蘇峰 (50レス)
1-

1 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/22(日) 21:29:10.71
立てられるか。色々読んでるが面白い。やっぱり大した人物だわ。
2 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/22(日) 21:31:08.68
読んで飽きない文章だしな。
一部で勘違いされてるが蘇峰は元々洋才だ。当時の日本で一番洋書を読んでる書き手だったのではないか。
3 2014/06/23(月) 10:42:24.69
吉田松陰
4 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/23(月) 19:49:55.05
史家として有名だが、ラスキンを結構速い時点で紹介してるんだよなあ蘇峰は。
5 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/24(火) 21:54:18.79
徳富蘇峰だが歴史を語ってたかと思うとうまく英文学の話を入れてくるな。西郷を語ってて、バーナード・ショーの名前を出すのなどこの人ぐらいなものだろう。
6 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/27(金) 23:17:46.50
あげ
7 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/06/28(土) 19:16:06.22
367 :マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/28(土) 17:38:01.24
今は近代デジタルライブラリーで徳富猪一郎の「土佐の勤王」読み終わって「進歩乎退歩乎」読んでる。
いずれも100ページちょっとの小冊子だから直ぐ読める。

368 :マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/28(土) 17:39:15.54
徳富蘇峰はまあ読んでおいた方がいいぞ。司馬と比較されてるが丸谷才一も影響受けてるな。外にも影響を受けた文学者は多いだろう。
近世日本国民史は細々とした本をある程度読めてから手を付けようと思ってるが。


370 :マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/28(土) 17:55:30.99
口演が上手い。速記を本にしたものがいくらもあるな。
何ともユーモラスな表現を使って、話に引き込んでいく。


372 :マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/28(土) 19:15:12.00
蘇峰は典型的な東洋回帰の人だ。西洋に倣えと何度も言ってたにもかかわらず、晩年になると東洋の方に重点を置き始める。
ある意味日本の文人の一典型であろうなあ。ただ本質的には政治嫌いの日本文壇では特異な存在扱いされてた側面も見えるか。
8 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/01(火) 03:22:17.24
『寸鉄集』読了。
9 2014/07/01(火) 23:34:31.84
【ズバリ!文化批評】徳富蘇峰から見た日本のジャーナリズムの今[桜H26/2/7]
http://www.youtube.com/watch?v=9e_PUYGpHQk
10 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/01(火) 23:53:25.11
さくらかよ。
11 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/02(水) 00:07:05.15
いやあウヨウヨ丸出しの内容ですなあ。
12 2014/07/02(水) 18:41:18.46
徳富蘇峰記念館
http://www2.ocn.ne.jp/~tsoho/
13 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/04(金) 00:20:13.52
不二八十首、読了。まあ蘇峰自作漢詩集だ。
14 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/04(金) 02:07:03.67
そういえば中江兆民の形見の本を受け取った幸徳秋水が処刑される前に、蘇峰が幸徳から本を受け取ったというような事を書いており、それは気になった。
15 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/05(土) 14:05:44.46
保守上げ
16 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/06(日) 19:48:27.25
ようやっと近世日本国民史手を付け始めた。
17 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/08(火) 13:13:06.55
あげ
18 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/09(水) 23:02:21.52
保守、20越えるまではやっとかんとな。
19 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/09(水) 23:03:16.53
保守
20 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/07/10(木) 03:04:52.62
>>7
>西洋に倣えと何度も言ってたにもかかわらず、晩年になると東洋の方に重点を置き始める。
こうは書いたが、若い頃は東洋に関心がなかったか、というとそうでもないな。その辺りのバランスはとれてると思う。
21 2014/08/04(月) 09:50:09.01
たしか谷沢永一さんは、時代小説の作家はみんな蘇峰を参考にして書いてゐるくせいに誰もそのことを口にしない、と慨嘆してゐた。
さらに菊池寛は、蘇峰を招いての「文藝春秋」座談会で、『近世日本国民史』ほど近時の文壇に影響を与へた著作はほかにないなどと賛辞を呈してゐた。『人形のBWH』
22 マグナ ◆vI4NRkhGyA 2014/12/20(土) 00:35:31.40
age
23 2015/03/18(水) 03:26:48.34
>>2
どう読んでも「名文家」ではないけどな。
24 2016/01/26(火) 11:00:39.04
近藤ようこ
徳富蘇峰は戦犯にもならなかったので(大川周明がなっているのに!)、
「暗黒日記」を読むまで戦時中の代表的イデオローグだったとは知らなかった。
彼の読売新聞の社説などを読むと笑ってしまうが、たぶん当時の庶民もそうだったろう。清沢は三日に一回くらいの割合で蘇峰を激烈に罵っている。
2013年2月24日

早川タダノリ
徳富猪一郎(蘇峰)の『皇道日本の世界化』(昭和13年)がGoogle booksで読めるとは! 
しかし、これも着想は面白いんだが、ひどく退屈な叙述が続くんだよなあ。提供したのは慶応大学か。
2012年3月14日

本日の朝日新聞朝刊読書面、七つ森書館の広告に藤沢俊昭著『戦中と戦後の責任 : 徳富蘇峰と加藤完治の場合』が出ていた。
目次を見ると加藤の『日本農村教育』に触れつつ論を立てるもののようだ。ただ蘇峰と加藤完治がこの頁数で相並ぶのは微妙。
2014年11月23日

徳富蘇峰もやってた『日本を知れ』的商売。東京日日新聞社・大阪毎日新聞社、昭和16年12月刊。
二千六百年史から日独伊三国同盟、国際情勢までを語った講演を文字起こししたもので、
作り方の雑さも、最近の量産型「日本スゴイ」本に似ている。
http://pbs.twimg.com/media/CZbEBx2UUAAdfju.jpg
2016年1月23日
25 2016/06/06(月) 13:36:31.09
黒田清輝 生誕150年 日本近代洋画の巨匠 黒田記念館 
2016年4月15日
http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/2016/04/

そして彼が帰国したのは、日清戦争を経て、明治市民が「冷笑と反動」(徳富蘇峰の言葉)の長い期間を経て、
ようやく彼方に夜明けを見た時であった。
黒田がフランスに着いた頃は、フランスは普仏戦争の敗北とパリ・コンミューンの混乱を経て、
第三共和政が成立し、ようやく安定にむかおうとしており、その中心地パリも近代的な都市に変貌しようとしていた。
黒田が入門した頃のラファエル・コランはサロンに入選を重ね、アカデミズムの中の新進画家として評価が高まった時期であった。
時代的には、印象派全盛の時代であったが、
黒田はコランの印象派の明るい外光表現とアカデミックで堅実な描写に新しさを感じ、受け入れたのであろう。
また黒田は画業の始まり頃からバルビゾン派の画家ジャン・フランソッワ・ミレーに惹かれ、ミレーに傾倒した時期があった。
26 2016/11/16(水) 20:52:04.36 ID:5R5P2LH4(1)
一方、小説『永遠の0(ゼロ)』の第九章「カミカゼアタック」では、新聞記者の高山に対して、
「夜郎自大とはこのことだ――。貴様は正義の味方のつもりか。私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」
と決めつけた主要な登場人物の一人で元社長の武田は、話題を太平洋戦争から日露戦争の終了時へと一転して、こう続けていました。

以下、近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』、
第二部第三章〈「巧みな『物語』制作者」徳富蘇峰と「忠君愛国」の思想〉より引用します。

*   *   *

「講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った」ことから
「国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった…中略…反戦を主張したのは?コ富蘇峰の国民新聞くらいだった」。

そして、『国民新聞』が焼き討ちされたことを例に挙げて、「私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺(ぶんすいれい)だと思っている。
この事件以降、国民の多くは戦争讃美へと進んでいった」と断言したのである。

徳富蘇峰の『国民新聞』だけが唯一、講和条件に賛成の立場を表明していたのはたしかだが、
ここには戦時中と同じような「情報の隠蔽」がある。
なぜならば、日本政治思想史の研究者・米原謙が指摘しているように、
「戦争に際して、『国民新聞』は政府のスポークスマンの役割を果たし」ており、
「具体的には、国内世論を戦争遂行に向けて誘導し、対外的には日本の戦争行為の正当性を宣伝」していたのである

つまり、思想家・徳富蘇峰の『国民新聞』が焼き討ちされたのは彼が「反戦を主張した」からではなく、
最初は戦争を煽りながら戦争の厳しい状況を「政府の内部情報」で知った後では一転して
「講和」を支持するという政府の「御用新聞」的な性格に対して民衆の怒りが爆発したためであった。
http://www.stakaha.com/?p=6487
27 2017/02/02(木) 17:03:35.63 ID:SqCJNfBh(1)
oburo
全国図書祭(知識の父・文化の母)11月1日 この日、図書を神と崇めてお祭りいたしませう。
.....この日、蔵書・書棚を整理し、本の破れをつくろひませう。第一回図書祭は昭和8年に実施されたとのこと。
徳富蘇峰、新居格、長谷川如是閑等の書物エッセイの他「吾輩は書物である」等々.....
http://pbs.twimg.com/media/C3oYexVUMAATL4s.jpg
2017年2月1日
28 2017/02/12(日) 12:51:36.63 ID:4ULmgxH6(1)
『必勝国民読本』毎日新聞社、1944年。

「日本国を知る第一義は日本の神国たる事を知る事である。 日本の神国た
る所以は、万世一系の皇室が日本を統治し給う為である。即ち日本は神に
よりて建てられた国である」
29 2017/03/15(水) 18:32:20.64 ID:q3A5EpAJ(1)
明治国家形成期における井上毅の事績
〜福澤諭吉の時代から井上毅の時代へ〜
大久保啓次郎

「明治 14 年の政変」以降、福澤諭吉は、時の政府に対して(伊藤博文に対し
ても)教育方針の変更がもたらす日本国および日本国民の損失を訴え、再変更
を求めたが、明治 23 年に発布された(井上毅起草の)「教育勅語」は、第二次
世界大戦終了時点(昭和 20 年)まで国民教育の礎として長期間(明治・大正・
昭和)存続したのである。この政変で井上毅が果たした役割は甚大であった。
極端な言い方をすれば、福澤諭吉の国家及び国民への影響力は、「明治 14 年
の政変」の時点で終わったのである。そして再び福澤諭吉が見直されるのは、
昭和 20 年以降となる。そういう観点から捉えると、「明治 14 年の政変」は、
当時の日本の進路を決定した重大な事件であった。

総理大臣山県有朋は、明治 23 年 5 月、文部大臣芳川顕正に命じて、元田永
孚と井上毅の協力を求め、教育勅語作成の事業を開始させた。

渡辺俊一は著書『井上毅と福澤諭吉』(日本図書センター)で次にように言っ
ている。
「井上毅がここで撲滅しようとしているのは、政変の原因となった大隈陰謀の
首謀者としての福澤に留まることではない事である。・・・幕末の『西洋事情』、
『学問のすゝめ』以来の福澤の言論活動の影響力全てを否定すべき政策の目標
としていたのである。即ち、福澤の著作が現れる以前の、人民が長上の権威に
従順していた状態に復帰することこそ井上毅の最終目標であった。」

昭和 31 年に行われた近代日本史研究会主催の「大隈研究」座談会(聞き手:
渡辺幾治郎、話し手:徳富蘇峰)で、徳富蘇峰は次のように語っている。
「この政変における争いの主なる一人は井上毅であろうと思う。元来井上の
考は福澤の政治主義とは根本的に異なっており、福澤の政治主義は日本の政治
には良くない、何とかして福澤の政治思想を叩き直さねばならないと云うので
ある。先達『明治文化史論集』において大久保利謙さんが、「井上毅文書」に
よって詳細に紹介されました。」
30 2017/10/15(日) 22:20:18.33 ID:yuK2tKDD(1)
苑田 健
俺は司馬の小説をあらかた読んだファンの端くれだが、ある程度歴史の理解が深まるにつれ、そのアンフェアさが鼻につく様になった。
「小説家と歴史家」の仮面を使い分けるズルさに。『噂の真相』が私生活を曝露したときも、なるほど司馬らしい話だと思ったものだ。
そして本書の著者である磯田道史は、司馬を頼山陽や徳富蘇峰の系譜につらなる、「文学的な歴史家」として評価する。
見立てがおもしろく、非常に期待させる。
だが本書の実質は「シロウト評論家による文藝評論のマネゴト」にすぎず、司馬遼太郎とゆう二面性の妖怪を取り逃がしている。
2017/06/10
31 2018/03/29(木) 20:19:52.64 ID:qWvnYIs/(1)
キツネヅカ
笹岡恒子さんの写真展は昭和20年代の記録的側面が強かったけれど、肖像写真も良かった。
棋士の升田幸三と徳富蘇峰、幸田露伴の写真は特に。
こうして撮られたら満足だろうなというくらいに見えた反面、どうやったらこう撮れるんだろうという深い疑問も。
やっぱり徹底したコミットなんだろうなあ。
2010年9月29日

タカラカニ・エンゼッツ
明治期の集成社という出版社はなかなか色々な本を出している。
1886中江兆民『理学鉤玄』、1887徳富蘇峰『新日本之青年』1888福沢諭吉『尊王論』など。
明治の半ばから昭和の初め頃まで活動していたのだろうか。西暦に直すと1885-1925といったあたり。
2011年10月22日

上符達紀
蔵書の整理をしていたら『富永有隣伝』が出てきたけどいつどこで入手したか記憶にない。
これ今でも入手可能なのだろうか。
昭和初期に存在したらしい「富永有隣先生事蹟顕彰会」の賛助員の一人には徳富蘇峰がいる。
2018年2月13日
32 2018/05/04(金) 21:05:48.47 ID:4m0dTWUm(1)
徳富蘇峰と大日本言論報国会 (日本史リブレット)
赤澤史朗 (著)
出版社: 山川出版社 (2017/4/27)

《十五年戦争期の徳富蘇峰の政治観の特徴……第一点は、反共こそ正義という考え方である。
……中国共産党がリードする抗日の動きを撃破することは、
日本政府からみると、各列強の共通の利益であり、国際正義の立場にほかならない。

日本政府にとってコミンテルンの動きを封じ込める防共は、
ドイツ・イタリアのみならず、英米などの諸国とも一致できる点と考えられていた。/ 
しかしこういった考え方は、同じ反共的立場といっても、
米英のいだく反共思想と日本の反共主義とでは大きな違いがあったことを見落とすものである。

米英のそれは、のちの冷戦型思考につながる論理に立つもので、
自由や民主主義を守るために全体主義を排撃するという理論に基づいていた。
これに対してその当時の日本政府や徳富蘇峰は、
自由主義・個人主義などの米英思想こそが共産主義の温床という考え方に立っており、
抗日の中国をリードする

共産党も米英の支援を受けて抵抗する国民党も、同根の思想的そのものであった。》
33 2019/06/11(火) 15:33:03.10 ID:WpvRJy20(1)
徳富 蘇峰(青空文庫での公開中作品:3点)
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1369.html
徳冨 蘆花(同11点)
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person280.html
34 2019/07/20(土) 20:13:49.67 ID:ELmN4CpG(1)
かきくけ89
35 2019/12/07(土) 20:16:38.85 ID:AiblZzAs(1)
双極凝固鑷子
(昨日になるが)8月30日の歴史:1910年8月30日、「韓国併合」後、朝鮮総督府は『大韓毎日甲報』を『毎日甲報』に変更した。

総督府は併合後以前から存在していた多様な新聞雑誌を全て廃刊した後、
『京城日報』と『(大韓)毎日甲報』という総督府機関紙だけを残すという厳しい言論統制政策を実施し、
統治イデオロギーの徹底した宣伝、刷り込み、それを通じた植民統治の定着を図った。

社是の一つ「毎日申報の新聞紙として存在する理由は我が天皇陛下至仁至愛日鮮人一視同仁の思召を奉戴し
之を朝鮮人に宣伝するにあり」から、どのような紙面であったか想像出来る。

「朝鮮の「二千余万の同胞」が「帰向」するところは「帝国の忠良なる国民」であり、
そうなったとき「悠々無窮の幸福を享有」できるということである。『毎日申報』にとって、
当時の朝鮮人にそのことを知悉させ」ることが「新聞紙として存在する理由」であり「大目的」であった」。

その主導的役割を果たしたのが、徳富蘇峰であった。 [1910年代朝鮮総督府機関紙と徳富蘇峰]
2014年8月30日
36 2021/10/05(火) 07:14:50.43 ID:LoMq45MG(1)
age
37 2023/06/19(月) 01:49:00.63 ID:U8sNcn0I(1)
佐佐木頼綱
熱海の老舗店で世間話をしていると、
「この前、信綱さんのご親族が買いに来て〜」、
「〇〇さんは蘇峰さんに名前をつけていただいて〜」と、
信綱(没後60年)、横山大観(没後65年)、徳富蘇峰(没後66年)
といった人々がまるで近所のおじさんのように話題に出ます。
2023年6月11日
38 2023/07/01(土) 01:23:00.94 ID:M6zSfsjw(1)
『東京』 ( 大正14年7月号 )に「文士の所得税しらべ」 ( 忙中閑人 )

1位   徳富蘇峰   23,250円 
2位   菊池寛    7,500円 
3位   水上滝太郎   7,200円 
4位   巌谷小波   6,500円 
5位   久米正雄   6,000円台
6位   長田幹彦   6,000円台
7位   永井荷風   6,000円台
8位   坪内逍遥   4,500円 
9位   岡本綺堂   4,000円台
10位   小山内薫   4,000円 
10位   徳田秋声   4,000円台
10位   上司小剣   4,000円台
10位   田山花袋   4,000円 
39 2023/08/11(金) 00:39:19.29 ID:4/yjF5X3(1)
前坂俊之オフィシャルウェブサイト
2018/12/01
知的巨人の百歳学(114)

一昔前では『近世日本国民史」で知られる徳富蘇峰(一八六三−一九五七)で、『近世日本
国民史』(一〇〇巻)の政治論、人物評伝、史論、随筆など三百冊は書いており、著述の総
計は四百冊に達する。蘇峰が明治以降の明治以降では最多量の作家ではないか。

蘇峰は女秘書の八重傑東香(本名祈美子)が昭和十八年にガンで死亡するまで、百四十七日
間に連続百三十通のラブレターを送った。八十一歳の時である。
40 2023/09/05(火) 20:04:33.93 ID:LVhG+RX4(1)
荷風が言うほど菊池寛は俗物ではないし、戯曲、小説
など、面白いものが多い。
蘆花のような通俗大衆小説家よりは徳富蘇峰は読みごたえがある。
41 2024/03/29(金) 23:51:58.76 ID:dPapq5gA(1)
太田鳴雪
今月発売予定の新刊、吉岡亮『文明論と伝記の近代』(文学通信)。既発
表の論文「島田三郎『開国始末 井伊掃部頭直弼伝』−歴史・伝・小説
−」(『国語国文研究』122・123)、「評伝の誕生−徳富蘇峰『吉田松
陰』論−」(『札幌大谷大学社会学部論集』8)などを再録。
2024年3月3日

礫川外史
やはり4月にずれ込んだ、我が師・飯田泰三先生の『近代日本思想史大
概』。集中講義ではほぼ最終バージョンを使いました。これのおかげで、
竹越三叉・山路愛山・徳富蘇峰・陸羯南・三宅雪嶺のどれかをやらねばい
かん、と再度思いました。どれやるかはまだ未定。
2024年3月14日

古活字探偵
『日本古書通信』に連載中の「古活字探偵事件帖」15回目は、徳富蘇峰と
池上幸二郎。
成簣堂文庫にある古活字版の『句解南華真経』(南宋の林希逸による荘子
の注釈書)の一つは、伝来の異なる三つの本を補配し、揃いの丹表紙が掛
けたものだが、それをしたのは、池上幸二郎である。
2024年3月17日
42 2024/03/30(土) 22:38:24.70 ID:S8SOU+RQ(1)
徳富蘇峰を取り上げるぐらいなら、中江兆民や幸徳秋水が何増倍も偉いわな。土佐人がいれば、九州全部が無くても良いぐらい。
九州人の内輪誉め主義ほど手に負えないものはないwwww
43 2024/05/07(火) 01:11:26.98 ID:PdarszJN(1)
Kanji
徳富蘇峰が戦前に出版した『近世日本国民史』の日本人奴隷の話が扇情的
だったんで、当時は大騒ぎになったんだけど、100年近く前の粗雑な記事
を今でもこうやってときどき記事にする人がいるんだよねえ、売れるから

戦後この辺りの研究はかなり進んで、本当はこんな雑な文章書ける余地は
ないんだけど。
2021年6月8日

徳富蘇峰が戦前に出版した『近世日本国民史』の話を、いまだに真に受け
てる人が多くてウンザリ

19世紀と16世紀では欧米人の地位も国力も全然違うんですよ

日本におけるポルトガル人の軍事力なんて大したことなくて、そんなこと
できるわけない

日本人が売った戦時捕虜を買って奴隷として売ってただけ
2024年5月1日
44 2024/06/11(火) 02:08:27.61 ID:QuruG9CN(1)
飛び出しあずにゃん
今、徳富蘇峰の『吉田松陰』読んでるけど、江戸時代に首都をカムチャッ
カに遷都すべきとか漢字は煩雑だからアルファベットに変えるべきだとか
主張した学者がいたんだな。本多利明っていうんだけど。やっぱ歴史はお
もしれーわ。
2024年5月13日

新釈漢文大系プロモーション【公式】
○今月の漢文(六月)
我孫子にて友に贈る  徳富蘇峰
薫風掠面水紋斜 薫風面を掠めて水紋斜めなり
雨足湖塘長葦芽 雨は湖塘に足りて葦芽を長ず
孤棹何須尋去路 孤棹何ぞ須ひん去路を尋ぬるを
緑陰深處是君家 緑陰深き處 是れ君が家

『新釈漢文大系46 日本漢詩下』718頁

本詩は近代日本を代表する言論人、徳富蘇峰が昭和二年、六十五歳の時に
千葉県の我孫子を訪れ、その友に贈った作品。入梅の時節、のどかな田舎
の景観を愛でながら、ぶらり友の家へ赴くという詠いぶりは、「水を渡り
復た水を渡る/花を看て還た花を看る/春風江上の路/覺えず君が家に到
る」と詠じた
2024年6月4日

昼寝猫
戦前最大の機密費流用は田中義一の政友会総裁300万円支度金かな。陸軍
機密費4000万円の時代。原資はシベリア出兵の臨時軍事費。大臣・次官・
軍務局長が長州閥だから出来た。陸軍機密費にたかった連中は平泉澄、徳
富蘇峰、安岡正篤、大川周明、北一輝。
2024年6月10日
45 2024/07/08(月) 22:08:22.78 ID:cPa2xH13(1)
4310
#80年前
聽け 民一億の叫び(1944/7/19朝日)
《「まさに、戰爭はこれからである」―サイパンの痛報にこたへる徳富蘇
峰翁の一句だ》

高村光太郎氏
《敵は調子にのつてわが方の思ふ壺へ落ちこんでくる。絕対信頼する皇軍
は一擧にたゝきのめしてくれるに違ひない》

急げ!衣料疎開
燒くな!衣料は國の寶
2024年7月7日

筋田秀樹
鹿島守之助編著日本外交史が
なかなかの名著。外交文書の
精密な解読と客観的立場に基
づく公平な歴史記述。竹越与
三郎や徳富蘇峰みたいな独創
性には欠ける。しかし信頼で
きる通史という印象。鹿島は
実業家として傑出していた関
係で外交史家としての膨大な
業績が看過されがち。几帳面
な学者だ
2024年7月6日
46 2024/08/06(火) 19:05:14.47 ID:nQLI6BLT(1)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/601
47 2024/09/17(火) 19:52:47.58 ID:QTH0d3Ln(1/2)
大島鏡介
ゆっくり歴史解説動画製作者ってホントどうしようもねえなあ、というこ
とを痛感させられるポスト。
終戦直後に「明治天皇と比べて今上陛下の統帥は全然ダメで、それが敗戦
の根本原因だ」という趣旨を日記に書いた徳富蘇峰の方がはるかにマシ。
2024年9月5日

Yoshitaka Nakamura
「(略)我が周囲は世界的大戦争に従事し、
生死岩頭の苦痛を満喫しつつあるにも
かかわらず、我が国民のみは(略)実力
乏しくて、うぬぼれのみ多く、勉強少なく
して、欲心のみ旺盛なり(略)」

1916年、徳富猪一郎(徳富蘇峰)が著書で
語った、当時の現状に対する危機感。

令和でもイケるな、これ🤔
2024年9月7日

副羊羹書店
小室翠雲、徳富蘇峰、秋山光夫、津田青楓、大隅為三、藤田嗣治、大槻憲
二、後藤朝太郎、有島生馬、谷川徹三、入江たか子、川路柳虹、黒田鵬
心、石井柏亭、川島理一郎、森口多里 ほか『南画鑑賞 昭和10年1〜8月
(第4巻第1〜8号) 計8冊』ほか入荷しました。
2024年8月28日
48 2024/09/17(火) 19:53:39.26 ID:QTH0d3Ln(2/2)
kskao
徳富蘇峰という人は別に特異な人ではなく典型的日本人。
彼が自己批判した、自国卑下、外国崇拝が高じたあげく逆説的に己惚根性
に至る、というのは今もイデオロギーに関わらず真逆に見える存在の双方
にあるのでは。
2021年9月7日

ビン・シン『評伝徳富蘇峰』に、日本を西欧の同輩とみることを熱望した
蘇峰が「白人の責務」の東洋版「黄人の責務」を1906年自らの国民新聞に
発表したが、これは本人の四海同胞主義に矛盾し、日露戦争の勝利に舞い
上がって西欧の選民思想を追いかけた末があの戦争だったと。
2022年5月2日

「今でも忘れられないのは、初めて蘇峰文書を二宮に見に行った時、差出
人別になっていた書簡の「な」の箱を見たら、まず中江兆民の手紙があっ
て、そのすぐ下にはのちにインタビューをする中曽根康弘さんの手紙があ
ったことです。」

伊藤隆『歴史と私』

Kogachi Ryūichi
夭折の天才書誌学者 島田翰(しまだ・かん) - 書物蔵
高野静子『続・蘇峰とその時代 小伝島田翰』(徳富蘇峰記念館、
1998.10)。読んでみたい。
2020年7月3日
49 2024/09/20(金) 19:02:25.24 ID:lV89dbjH(1)
城下町佐伯国木田独歩館
明治26年の8月21日は、矢野龍渓が徳富蘇峰に、佐伯での1年間の英語教師
の紹介を依頼する書簡を送った日でした。これによって独歩は佐伯へ来る
事になったのです。
国木田独歩のデビュー作は佐伯を舞台にした「源おじ」です。
2023年8月21日

明治26年9月5日、独歩は民友社にて徳富蘇峰から佐伯市での教師の仕事を
勧められます。
翌日推薦状を持って、矢野龍渓を訪ねており、何度か手紙のやり取りの
後、17日矢野家にて、教師として赴く事が決まりました。
その日の午後、友人を招いて牛鍋とビールを涙ながらに囲み、友情を固く
誓った模様です。
2024年9月14日

艸Βιβλίο
社団法人日本文学報国会は、第二次世界大戦中の1942年5月26日設立、国
家情報局の実質的外郭団体。会員になるのを拒否した中里介山、内田百??
以外は旧プロレタリア文学の宮本百合子や蔵原惟人、中野重治等も入会。
永井荷風は無断で入会させられた事、会長の徳富蘇峰を嫌いと日記に書く
←多くの人が賛同
2024年9月10日

はやおき(休業中)@勝小吉と『夢酔独言』
メモメモ。若かりし頃の勝海舟について載ってる本。
・『勝海舟』山路愛山著(明治四十四年)
・『勝海舟伝』徳富蘇峰著(昭和7年)
リストアップしたら2冊しかなかった…『勝海舟』は、小吉についてもけ
っこうページが割かれています。『夢酔独言』中の描写について解説があ
るのが参考になります。
2024年9月18日
50 2024/09/23(月) 19:03:28.43 ID:0M+IT5LX(1)
講談社学術文庫
534『読書法 : 読書九十年』徳富蘇峰
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