「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って? (675レス)
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264: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:VB4kOzGK(1/5) AAS
「継続は力なり」といいますが、塚原氏ぐらい継続するとやはり一つの境地に至るのでしょうね。
これからも続けて走り続けて欲しいですね。
さて「動画文化」についてですが。
なんだろう、まず「動画」のメインカルチャーというのを考えたとき、
それは「テレビ」なのだろうと思います。
そして、それでまかないきれない需要が潜在的に多く存在したために、
サブとしてのFLASH文化が、個人にパソコンの普及が進んだ2000年代初頭に花開いた。
自分はそう捉えています。
日刊氏がいう「灰色や黒としての楽しみ方」も、私なりの「一つの世界、コンテンツとしての楽しみ方」も、
おそらくはその範疇に入れることができるのではないかな、と思います。
そこで、情報を次々と消費していく「情報の大量消費社会」の現状において、
「動画文化」は、その役割を終えかけているということが言えるのではないでしょうか。
それは、「動画が面白い」「動画で楽しむ」という「情報」が、既に一般的な人々の中で消費されてしまったからではないかと私は考えます。
テレビを見る人が少なくなっていく。本や新聞を読む人が少なくなっていく。
頻繁に更新するブログやmixiが少なくなっていく。家庭用ゲームが売れなくなっていく。
ここら辺は、そうなっているものもありますし、自分の予想でもあります。
まあ、原因はインターネットの進歩、そして現在は携帯電話の進歩が大きなものであると考えられますね。
要するに、情報に接する手段は動画に限らずいろいろ移り変わっており、その流れの一部分として「動画文化」も流されようとしている。
何となく、ゲーム業界と重ね合わせると今の「PS3」や「Wii U」の現状とかぶる気がします。
「別にそれ、面白そうじゃないじゃん?」と言われたら、返す言葉がないというか。
また、他人にやってもらって(見てもらって)「で、これのどこが面白いの?」と言われると説明に困る部分があったりする。
現在の飽和した作品群は興味を持ってもらえず、たとえその作品に触れても理解してもらえない。
サブカルチャーにおける動画文化は、そういう状況に直面しているといえるのではないでしょうか。
265: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:VB4kOzGK(2/5) AAS
そして2000年代後半にはFLASHは衰退し、ニコニコが流行りました。
しかしそのニコニコですらも、すでに大体の創作形態は出尽くしたといえます。
つまりは強力な推進力を失った船のようなもので、
「動画を見ることが面白い」という文化自体の潮流に抗えるだけの力はもはや失ったとみていいでしょう。
御三家以外も、もはやミリオン再生は相当少なくなったのではないでしょうか。
なんていうのかなあ、結局は、
制作側は「動画作りって別に面白くもない気がしてきた」「労力に合わない」
視聴者側は「別に、動画って生活になくても困らない」「そもそも動画って何か知らない」
という「無関心」層が増えたわけです。
「好きの反対は嫌いではなくて無関心」というのを、地でいく流れですよね。
「動画」は生活必需品でないわけですから、この「無関心」を何とかしなくては「動画文化」そのものの浮上はありえない。
客観的になっているかわかりませんが、なるべく広い視野で「動画文化」について考えるとすれば、そこにたどり着くのだと思います。
ですから「別にこのままでいい」「ひっそり自分がやれればいい」という人が多ければ、ニコニコにしても、このままゆっくりと消滅の流れをたどるでしょうね。
何か新たに「これは面白い!」というコンテンツが生まれ、情報の流れが作り出されば別ですが。
まあ、文化的な消滅が悪いということではありません。
文化としては消滅しても、そのもの自体がなくなるわけではありませんから。
そうしたら、楽しめる人だけが楽しむようになる。それだけのことなのでしょう。
266: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:VB4kOzGK(3/5) AAS
つまり、現時点で視える展望としては楽観でも悲観でもなく。
「そうなっていくんだろうな」というある種の諦念が入った文化的消滅の未来です。
もちろんこの世から完全に消滅するかどうかというと「しないんだろうな」とも思いますが。
しかし、今より縮小することは社会的な現状の流れから言って確実でしょう。
かつていわゆる「文化としてのFLASH」を消滅させないために、
FLASHは「サブカルチャー」から「メインカルチャー」の移行を図りました。
しかし「サブカルチャー」はその性質上「カウンターカルチャー」とも呼ばれるように、
「メインカルチャー」に対抗する性質を根底に持った文化です。
そう簡単に受け入れてもらえるはずはありませんでした。
ニコニコにおいては、初音ミクは「かわいいキャラクター」としてはメインカルチャーと若干馴染んだ感はあります。
「汎用性の高い、かわいいキャラ」という立ち位置で、ファミリーマートとコラボしたのはそこそこうまくいったと思います。
しかし、歌に関しては若い世代でさえ好みが相当分かれますからね。みんなミクの歌が好きかというと、そうでもない。
ただ歌業界も衰退しているので、ある程度カンフル剤的に使われはするでしょうが、ブームの域は出ない気がします。
では、その衰退に面した文化は、この先生きのこるにはどうすればいいのか。
たとえば、もっとメインカルチャーとの親和性を高めたコンテンツが出来れば、それは生きのこれるかもしれません。
FLASHも、たとえば鷹の爪団は、辛うじてメインに食い込んだ・・・いや、まあ見方によりますが・・・気がします。
おそらく「独特の世界観を持った、汎用性を持つ宣伝媒体」として存在意義を得たのでしょう。
267: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:VB4kOzGK(4/5) AAS
要するに「汎用性、一般性を持つ」もしくは「社会に対し有意義な効果が認められる」ものであれば、
場合によってはメインと親和出来るやもしれないということです。
この参考になるのは、「ニンテンドーDS」です。端的に言えば「脳トレ」ブームです。
これは、「脳トレ」の超大ヒットにより「ニンテンドーDSそのものが社会的に認められそうになった」時期が一時期ありました。
具体的には「脳トレ」や「もっと脳トレ」の累計は500万本を越えるという、社会現象として認められるところまでいったのはなぜか。
それは「しょせんゲーム」が「社会的携帯ツール」になりえる条件がそろっていたからです。
「頭が良くなる」というのは「社会の役に立つ」ということですし、
「子ども」だけでなく、「大人」も有用だとする「汎用性」があるということですよね。
「社会から『必要な存在』だと一般人から認められる」ことによってはじめて、
「サブカルチャー」は「メインカルチャー」の一部となりえるのです。
塾などでも英単語練習などに取り入れられ始めるなど、本当に当時はメインカルチャーの一部となりかけていたんですよね。
しかし、任天堂はそのチャンスを生かしきれなかった。
その地位を守るための後続をフォローし切れなかったんです。
「えいご漬け」あたりまではよかったのですが、後は社会的責任を放棄したといってもいい。
「責任」というのは多少言い過ぎかもしれませんが、
ニンテンドーDSを買った「メインカルチャーの担い手」の興味は当然一気に離れていった。
その結果「しょせんゲームはゲーム」というサブカルチャーのレベルに落ち込み、3DSの絶不調に到ります。
そりゃ「メインカルチャー」の人びとは買い換えません。必要性を感じるわけがない。
「ニンテンドーDSは社会的なインフラとして必要だ」という空気が偶然出来ていたのに、それを手放してしまった。
結局「動画文化」がもし「メインカルチャー」と共存する方向に行きたいのならば、
「一般性・汎用性があり、社会貢献になる動画」が何かのきっかけで脚光を浴び、
それに対して十分なフォローが継続的になされる状況」が創り出されなければならないということになります。
頑張ってほしいですね!
268: Now_loading...774KB [sage] 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:VB4kOzGK(5/5) AAS
そこで、「メインカルチャー」との共存をあきらめ、
あくまでもサブカルチャー内部での生き残りを図るならば。
そこには「継続的なコミュニケーションがなされる環境」が保持されなければなりません。
各々が全く個別に行為する状況では、社会の中では文化的に消滅しているということですので。
「動画文化」という視点からは最低二人以上のコミュニティが複数形成されることが必要であるわけです。
そこで、だれとだれがコミュニケーションするのか?
もちろん、それは「観客」と「制作者」です。
そこで観客同士のコミュニケーションでブレイクスルーを成し遂げたのが、FLASHに対するニコニコであるといえます。
しかし、もはやそれすら新鮮味はなくなってきているわけなんですけどね。
まあ、FLASH制作者同士のオフ会は開かれてきているようで、その日記などを見るとこれからに希望が持てます。
どちらにせよ「動画は面白い」という観念を共有できる場が必要になります。
まとまりが小さくなった分、「密度」「質」の面で保てなければ、そのまとまりは容易に飛散しますからね。
改めて書きますが、もちろん飛散したから即ダメということではないのです。
個人レベルになり「文化」を捨てることで、かえって「動画」そのものの存続につながるという、
ある意味逆説的な考え方も、決して捨てたものではない。
ピンチの時は発想を逆転させるのよ、なるほど君。
近代社会に押しつぶされ、現代社会に居心地の悪さを感じるならば。
そもそも「社会」「文化」というしがらみを避けるというのも、一つの道ですからね。
個人的な意見はこれまで紅白スレにも書いてきた通りだけれど、
「文化」の行方は、その直接の担い手こそが決めるもの。
私は、ふと緑が生い茂る山の頂上に登り、そこから見えた景色を呟くのみです。
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