[過去ログ] 現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む48 (625レス)
前次1-
抽出解除 レス栞

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
212: 132人目の素数さん [sage] 2017/12/17(日) 20:17:15.02 ID:YpPuPyFW(9/11) AAS
[続き]

以下、件の関数の存在の有無を、「稠密版」と「そうでない版」で条件を場合分けして見ていく。

稠密版
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「R上に稠密に分布する非可算無限個の点でのみリプシッツ不連続」は可能であるが、非可算無限集合は
第二類集合になり得るので、例の定理の適用範囲外になり、そういう例が実在しても おかしくない。

「R上に稠密に分布する可算無限個の点でのみリプシッツ不連続」は不可能であるが、可算無限集合は
常に第一類集合だから、例の定理が適用でき、それゆえに不可能である。

「R上に稠密に分布する有限個の点でのみリプシッツ不連続」も実は不可能である。なぜなら、
有限個の点はそもそもR上で稠密に分布できないから。

★ 従って、稠密版では、「非可算無限集合」のみが "可能になり得る" のであり、
可算無限以下では常に不可能となり、実はキレイに条件が分かれる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

稠密という条件を取り除いた版
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「単に非可算無限個の点でのみリプシッツ不連続」は可能である。なぜなら、
「稠密に分布する」という強い条件の時点で既に存在するからだ。

「単に可算無限個の点でのみリプシッツ不連続」は可能である。なぜなら、
たとえば「整数点」でのみリプシッツ不連続であるようにすればいいからだ
(そのような関数は明らかに構成できる)。

「単に有限個の点でのみリプシッツ不連続」は可能である。
実際、1点でのみリプシッツ不連続な例を既に挙げてある。

★ 従って、稠密という条件を取り除いた版では、可算・非可算に限らず "可能になり得る" 。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[続く]
320
(2): 132人目の素数さん [sage] 2017/12/20(水) 07:46:11.02 ID:Nqvofmza(1/6) AAS
おっちゃんです。
リプシッツ連続は高度な概念だと思っていたけど、リプシッツ連続って、
大学一年の微分積分の本である 杉浦 解析入門 に書いてあるみたいだよ。
よく分からないけど、杉浦 解析入門 を読めばいいんじゃないかい。
332: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [sage] 2017/12/20(水) 11:30:24.02 ID:ptKBLDJz(7/20) AAS
>>330
おっちゃん、どうも、スレ主です。
私は、制御理論以外ではあまり記憶に残っていないね
507
(1): 132人目の素数さん [] 2017/12/24(日) 20:59:42.02 ID:ndfap2+C(2/4) AAS
>>504
>そろそろ例の証明を読んでみたらどうだね。
同感です
583
(2): 132人目の素数さん [sage] 2017/12/26(火) 20:34:25.02 ID:BhzQ/YUm(3/8) AAS
[続き]

>2)補集合R−Bfが、R中で稠密である場合:この場合は、どこにもBfを満たす区間(a, b)は、取れない。
>3)上記場合分けにおいて1)2)とも、ほぼ自明。1)2)とも、証明の必要がない。だから、定理1.7は、証明の必要がない自明なことしか言っていない

ここは全てが間違っていて、理屈が滅茶苦茶である。
スレ主の(2),(3)の理屈を成り立たせるためには、例の定理の結論が

「どこにもBfを満たす区間(a, b)は取れない」

という結論になっていなければならない。もしこうなっていたら、(2)の場合は、
スレ主の言うように自明であり、証明の必要が無い。しかし、実際には、例の定理の結論は

「 f は ある(a, b)の上でリプシッツ連続である」

という結論なのだから、「(2)の場合は証明の必要が無い」などというスレ主の理屈は全く成り立っておらず、
何かを致命的に勘違いしている。もしかしたら、スレ主は次のような勘違いをしているのかもしれない。

「 (2)の場合、例の定理と組み合わせると、"そのような f は存在しない" ことになるので、
 存在しない f を考えるのは無意味なことであり、ゆえに、この(2)は証明の必要がない。」

これの何が勘違いなのかは明白である。(2)の議論はそもそも、例の定理を「証明する」という前提での議論であるのに、
そこで「例の定理と組み合わせると」などと言って例の定理を適用してしまうなら、

「例の定理を証明するという前提の議論で、例の定理を適用する」

という循環論法に陥っていることになり、これでは何がしたいのか意味不明なのだ。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.043s