●松井秀喜と言えばWBC辞退● (356レス)
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302: 2017/03/16(木)16:33 ID:U6kpOxdC(1) AAS
定期復習↓
松井秀喜によるWBCの思い出。

2005年11月27日の段階では、「何も考えていません」と答えていたが[404]、
29日の段階では、「みんなが『WBCに出てください』という感じになれば、そりゃ、出ますよ」
と発言する[405][406]など、前向きな姿勢を示すようになっていた。

12月7日には、ヤンキースのキャッシュマンGMが松井のWBC出場を容認する意向を示したと報じられた

その後、1次候補選手に名前が入るという情報[注釈 7]を知らされると、
「返事してないのに、俺の名前を入れちゃうわけ!?」と困惑しきりであった[409]。
さらに3日後の11日には、「(WBCに)出たくない」という松井の本音が報じられた[410]。

一部メディアではヤンキースのキャッシュマンGMからWBC欠場を要請する“親書”が届けられていたことが報じられた[423]。
しかし、地元紙ニューヨーク・デーリーニューズの報道によると、ヤ軍がWBC事務局に不参加を要請した選手は
年齢や故障が理由とされた先発投手マイク・ムシーナ、捕手ホルヘ・ポサダなど4名のみであり、松井への不参加要請は無かったという[424]。
約2週間後には、ヤンキースのスモール球団代表もそのような文書の存在を否定した[425]。
この“親書”報道については、2008年にキャッシュマンGM自身が「まったくのデタラメ」だと語っている。

結局出場要請から約1か月後となる12月26日、正式にWBC辞退を表明した。
その際には、「王貞治殿」と宛名を書いた便箋15枚の手紙を記者を通じて王の元へ送り、辞退の理由を説明した。

それでもやはり、同年秋に王を訪問する時まで、WBC辞退には心を痛めたままだったという[432]。
大会期間中、松井は日本代表の試合をテレビ観戦していた[317]。
しかし、既にWBC辞退とそこに至るまで二転三転した経緯から、一部では松井批判が強まり、バッシングの様相も呈した。
米国の全国紙USAトゥデイは、紙上で「WBCでイチローは勝利し、松井は“ルーザー(負け犬)”になってしまったようだ」[433]と評した。
このことを振り返って、松井の広報を担当する広岡勲は、後に自らの広報戦略の失敗を認めている。

松井「チャンスがあればやりたいし、国の誇りを感じられるんじゃないかと思う」

松井秀喜のWikipediaより
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