[過去ログ] ♪宇多田ヒカル統一スレ・パート384♪ (1001レス)
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(6): 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)02:54 ID:tYKJaLY/0(1/3)
4年前のエッセイから親関連の記述のみ抜粋

【0才〜8才】
「藤圭子さんですよね?」と気付かれると母はいつも
すごく困ったようだった。少し傷ついているように見えた。
有名であることはいやなことにしか思えなかった。
色々な目的の人がいつも私たちの周りにはたくさんいて、
私はその人たちが嫌いだった。
お金や人間関係のトラブルが絶えなかった。
親は普通の生活をしていなかったし、激情的で、世間から
いつも異分子扱いされていた。娘の私からしても、なんて
非常識な人たちなんだって理解に苦しむことが多かった。
夜、寝る前に「明日から日本に帰ることにした」と告げられ、
クラスメイトにお別れも言えないまま引っ越すことも頻繁にあった。
そんな親に対して自分の無力さを思い知らされ続けた。

トランプカードで神経衰弱、パズル、読書、お絵描き、
空想ごっこ、ぬいぐるみと遊ぶのが好きだった。
5才位までは、ピアノがうまく弾けなかったりした時、
悔しくて泣いた記憶がある。それがだんだん、悔しい時も
悲しい時も泣かない子になった。
母の前で泣くと、ひどく怒られたから。
なぜか彼女の方が泣いて、私を責めた。 
泣くよりも深い悲しみを知って、泣く気が失せた。
私は体の芯からひんやりしていくようで怖かった。
それは子供には辛い、母親からの拒絶、というものだった。 
でも彼女に悪気はない。彼女は本当に純粋で美しい人だから。
そして父は「弱音は吐かない、甘えは禁物、愚痴などもっての他」
という武家の名残を感じさせるような人だった。
私はどうしたらいいんだろう。文句なんか言える立場ではない…。
親の前ではもちろん、人前で決して泣かないことにした。

9才の時、怒りとか不満といった感情が完全に無くなって
いることに気付いた。
外界の出来事にいちいち心を振り回さるのは、無意味に思えた。
外の世界のことは、ただ「知る」だけでよかった。
自分の内側の世界のほうが大事だった。そこには自由があった。
想像と思考は無限で、最強だと思った。
うちに秘めた想いには、神聖なものが宿るようだった。
〜中略〜

【十代の始まり】
私は、外界に振り回されたくない、と言いながら自分の殻の中で
必死にもがいてるだけだった。ただ現実を無視しようとしてた。
でも、初めは「殻」が必要だったんじゃないかな。
内と外の境界線を見つけて、自分の分泌物で紡いだ繭の内側で、
静かに成長する時間がほしい。私だけの、小さな部屋。
私を振り回す大人も入ってこない、争いごとを持ち込まれない、
私だけの小さな、家…。   
〜中略〜
今は、もう内と外を区別してない。どこにも家はない。私が私の家。
435
(4): 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)03:01 ID:tYKJaLY/0(2/3)
>>434つづき

〜中略〜
音楽はどんどん好きになっていった。
ある日、自分で歌作ってみなよ、って言われて、好きな曲を 
いくつか研究して、現代のポップミュージックがだいたい
こういう構成で、こう展開して…みたいなことが分かってきた。
学校の勉強よりも難しくて面白かった。
どうにか一曲できた。10才。
おそるおそる親に聴かせると「良いじゃん!」と褒めてくれた。
私が発信者となり、親は受信者となった。それは禁忌的な快感だった。
初めて私の訴えが親に届いた気がした。
しかも、 それは音楽にさりげなく隠されていた。
ニンジン嫌いの子供をだまして、巧みにニンジンを隠した料理を
食べさせたような、密かな勝利だった。
〜中略〜
EMI USA話、14才で三宅Pとの出会い、東芝EMIでアルバム制作話等

【15才デビューから最初の二年】 
放課後と週末は制作に費やした。
シングル“Automatic/time will tell”としてリリースが決まった。
じわじわチャートを登っていった。なんだか信じられなかった 。
嬉しかった。デビューしたという実感は全くなかった 。
まだ電車で通学してた。
アルバムの制作も佳境に入り、大晦日の夜は“First Love”という
バラードの歌入れをしてた。結局、スタジオで新年を迎えた。 

1999年3月10日、私のデビューアルバム“First Love”が発売された。
大ヒットになって、大騒ぎになった。 
実は藤圭子の娘だった!とか、大きく取り上げられ始めた。
家から出るところ、学校を出るところ、いたるところを
写真に撮られて週刊誌に載るようになった。 
車に乗ってる時に隣を走る車から写真を撮られたこともあった。
電車通学もできなくなり、どこへ行くにもスタッフの車で
送り迎えされるようになった。とても窮屈だった。
とにかく毎週週刊誌に載った。
昔の写真、プリクラ、友達が売ったとしか思えないものや、
身近な人が記者に話したとしか思えない内容も、でたらめもあった。
人間としての尊厳を踏みにじられるような気がした。
仲の良い友達がお金を渡されて、私にインタビューをさせる為に
校内へ案内した時は、さすがに驚いた 。
彼女たちにさほど悪気はなかったんだろう。 

慣れなきゃいけないんだ・・・。それは有名人である母を間近で
見て育った私にも想像しえなかった重圧とストレスだった。
デビューしたことを後悔した。好奇の目で見られることは、
16才の私にはとてつもなく怖かった。 
で、昔からそうしてきたように、耐えることにした。
外の世界に振り回されたくない。逃げ場はない。
すると、自分が随分とつまらないプライドを持っていたことに
気付かされた。自分の置かれてる状況は何も特別なものではない。 
己の未熟さと格闘するうちに、酷いことを言われても、誤解されても
世間にカッコ悪いところを見られても、あまり気にならなくなった。
それは全て一時のことだった。他人も、カッコ悪い自分も、
許すよう努力した。そこまでに約二年かかった。
436
(3): 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)03:04 ID:tYKJaLY/0(3/3)
>>434>>435つづき

【15才デビューから最初の二年】
同時期、家庭でも変化が起きていた。
しばらく安定していた親の関係がまた荒れ始めた。
親の離婚や再婚には慣れてたけど(彼らは今日までに6回
そのセットを繰り返してる)今回はわけが違った。
父と母は、私にそれぞれの言い分を話した。
あまりにも食い違う内容に、なにが本当でなにが嘘なのか
分からなくなった。心が乱れた。
私は中立な立場であろうとした。それぞれに理由や感情があって、
真実は一つではないと思った。とかなんとかクールに言ってるけど
正直、できるだけ関わりたくなかった。
争いごとを私の仕事場に持ち込まれるのがイヤだった。迷惑だった。
母が家を飛び出してから間もなく、私も家を出てホテル暮らしを始めた。
17才。そんな中、新しいアルバムの制作が進んでいた。
セカンドアルバム“Distance”
438: 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)03:16 ID:+2NIesY70(2/4)
>>434
これ思い出したわ…
何か今読んでると泣けた

藤圭子は今からでもヒカルをたくさん抱きしめて欲しい
理由なんかなくていい
そんでヒカルも藤圭子を抱きしめればいいんじゃないかな
444: 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)09:14 ID:FFumYriF0(5/13)
>>434>>435>>436
乙。長文大変でしたでしょう。
あなたのヒカルへの愛情を感じましたサンクスです。
468
(1): 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)21:44 ID:wPNYt8DM0(2/4)
>>434>>435>>436
しかし藤さんは子育て放棄したり家出したり実親と絶縁したり
カジノで数億円使ったりしてもヒッキーに愛されてて裏山
60年代のスターってぶっ飛んでるんだろうね
507: 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/13(水)22:53 ID:nYPHIZaC0(1)
>>434-436
これマスコミとかで話題になってないですよね?
4年前なら花男の曲とかヒットしてた頃じゃん
宇多田ヒカルは芸能人の子供らしいし苦労知らずで
自由気ままなお嬢様かと思ってた
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