[過去ログ] ♪宇多田ヒカル統一スレ・パート384♪ (1001レス)
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(4): 名無しの歌姫 [sage] 2013/02/12(火)03:01 ID:tYKJaLY/0(2/3)
>>434つづき

〜中略〜
音楽はどんどん好きになっていった。
ある日、自分で歌作ってみなよ、って言われて、好きな曲を 
いくつか研究して、現代のポップミュージックがだいたい
こういう構成で、こう展開して…みたいなことが分かってきた。
学校の勉強よりも難しくて面白かった。
どうにか一曲できた。10才。
おそるおそる親に聴かせると「良いじゃん!」と褒めてくれた。
私が発信者となり、親は受信者となった。それは禁忌的な快感だった。
初めて私の訴えが親に届いた気がした。
しかも、 それは音楽にさりげなく隠されていた。
ニンジン嫌いの子供をだまして、巧みにニンジンを隠した料理を
食べさせたような、密かな勝利だった。
〜中略〜
EMI USA話、14才で三宅Pとの出会い、東芝EMIでアルバム制作話等

【15才デビューから最初の二年】 
放課後と週末は制作に費やした。
シングル“Automatic/time will tell”としてリリースが決まった。
じわじわチャートを登っていった。なんだか信じられなかった 。
嬉しかった。デビューしたという実感は全くなかった 。
まだ電車で通学してた。
アルバムの制作も佳境に入り、大晦日の夜は“First Love”という
バラードの歌入れをしてた。結局、スタジオで新年を迎えた。 

1999年3月10日、私のデビューアルバム“First Love”が発売された。
大ヒットになって、大騒ぎになった。 
実は藤圭子の娘だった!とか、大きく取り上げられ始めた。
家から出るところ、学校を出るところ、いたるところを
写真に撮られて週刊誌に載るようになった。 
車に乗ってる時に隣を走る車から写真を撮られたこともあった。
電車通学もできなくなり、どこへ行くにもスタッフの車で
送り迎えされるようになった。とても窮屈だった。
とにかく毎週週刊誌に載った。
昔の写真、プリクラ、友達が売ったとしか思えないものや、
身近な人が記者に話したとしか思えない内容も、でたらめもあった。
人間としての尊厳を踏みにじられるような気がした。
仲の良い友達がお金を渡されて、私にインタビューをさせる為に
校内へ案内した時は、さすがに驚いた 。
彼女たちにさほど悪気はなかったんだろう。 

慣れなきゃいけないんだ・・・。それは有名人である母を間近で
見て育った私にも想像しえなかった重圧とストレスだった。
デビューしたことを後悔した。好奇の目で見られることは、
16才の私にはとてつもなく怖かった。 
で、昔からそうしてきたように、耐えることにした。
外の世界に振り回されたくない。逃げ場はない。
すると、自分が随分とつまらないプライドを持っていたことに
気付かされた。自分の置かれてる状況は何も特別なものではない。 
己の未熟さと格闘するうちに、酷いことを言われても、誤解されても
世間にカッコ悪いところを見られても、あまり気にならなくなった。
それは全て一時のことだった。他人も、カッコ悪い自分も、
許すよう努力した。そこまでに約二年かかった。
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