【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】 (651レス)
上下前次1-新
1(1): 世界@名無史さん [] 2023/12/25(月)23:06 ID:0(1/651)
前スレ
【資料】カルタゴについて語るスレ4【少な過ぎ】
2chスレ:whis
(⚫︎ω・`)<試しに立ててみるよ
552: Donguri! [] 07/05(土)21:36 ID:0(552/651)
>>539
こんなんもほぼフェニキアよなあ
他国の暗黒時代に栄え、それが終わった時にはフェニキア系文字と共に歴史の面に出てくる
553(2): ウムウル [] 07/06(日)00:52 ID:0(553/651)
ウルブルンかと思ったが
違うやつか
>>539
鉛同位体分析によれば、銅のほとんどまたはすべてがキプロス産であることがわかります。
2022年には、錫の3分の1がウズベキスタンのムシストン鉱山産であることが判明しました。残りはトルコのタウルス山脈にあるケステル鉱山産である可能性が高いです。 [ 19 ]これらのインゴットは腐食や汚染の影響を受けています。
しかし、地中海東部の他の錫インゴットとは異なり、コーンウォール産の錫のプロファイルには当てはまらず、サルデーニャ島の鉱石と概ね一致しています。[ 20 ]最近の研究では、これらの結果に異議が唱えられています。[ 21 ]
554: 世界@名無史さん [sage] 07/06(日)02:11 ID:0(554/651)
>>553
こちらの記事です
https://edition.cnn.com/2019/09/19/uk/cornwall-tin-israel-intl-scli-gbr
元の論文ではあくまでも可能性の一つという論調です。
555(1): ウムウル [] 07/06(日)10:00 ID:0(555/651)
イスラエル沖のやつも有名だったはず
名前は思い出せんが
年代微妙なとこですね
556: ウムウル [] 07/06(日)10:06 ID:0(556/651)
記憶にあったのはゲリドニャ岬の方か
カナン人の難破船という名前らしい
557(2): ウムウル [] 07/06(日)12:08 ID:0(557/651)
1. 衝角の初期の示唆(間接的な証拠)
紀元前12世紀頃(約3200年前):エジプトのレリーフ
メディネト・ハブにあるラムセス3世の葬祭殿のレリーフに描かれた「海の民」の船には、船首に鋭く突き出た突起が見られ、これが衝角の初期の形態である可能性が指摘されています。これは、衝角の概念が古代エジプトや周辺文明にも存在した可能性を示唆します。
紀元前9世紀~8世紀頃:ギリシャの幾何学様式期の陶器
この時代のギリシャの陶器にも、船首が鋭く尖った船が描かれています。これが直接的な衝角であったかは議論がありますが、船首を攻撃的に用いる発想の萌芽と見なされることがあります。
紀元前8世紀頃:アッシリアの壁画
サルゴン2世の宮殿の壁画には、明確に衝角を備えたフェニキア船が描かれており、この時期には中東の海洋民族が衝角を兵器として使用していたことを示しています。
2. 衝角の発展と実用化(主要な兵器としての確立)
紀元前6世紀~5世紀頃:古代ギリシャの三段櫂船(トライリーム)
古代ギリシャ、特にアテネで発達した三段櫂船は、衝角を主要な攻撃手段としました。高速性と機動力を活かした体当たり戦術で、海戦の様相を一変させました。
サラミスの海戦(紀元前480年) は、三段櫂船と衝角戦術がその時代の海戦でいかに重要であったかを示す代表的な例です。
3. 最古級の実物衝角の発見
紀元前4世紀後半:アトリート・ラム(Athlit Ram)
イスラエルのアトリート沖で発見された青銅製の衝角です。
考古学的に実物として発見された金属製衝角としては最古級であり、古代の衝角の構造や材質を直接知る上で極めて貴重な資料です。
558: 世界@名無史さん [] 07/06(日)17:32 ID:0(558/651)
>>557
紀元前12世紀のエジプトのレリーフに描かれた「海の民」の船に、衝角っぽい突起があるって話だけど、あれを衝角と断定するのは正直微妙だね。攻撃用なのか、ただの装飾なのか、それとも船首の強度を高めるためなのか、はっきりしない部分が多い。あくまで「可能性が指摘されてる」レベルの話だから、過度な期待はしない方がいいんじゃない?
次に、紀元前9世紀〜8世紀頃のギリシャの幾何学様式期の陶器の話だけど、これも似たようなもんだね。「船首が鋭く尖った船」って言われても、それが現代でいうところの「衝角」と同じ機能を持ってたかっていうと、議論の余地がある。発想の萌芽ってのはそうかもしれないけど、直接的な兵器としての衝角とは違うって考えるのが妥当なんじゃないかな。
で、紀元前8世紀頃のアッシリアの壁画に描かれたフェニキア船の衝角については、これはわりと信憑性高いね。サルゴン2世の宮殿の壁画にハッキリ描かれてるって話だから、その頃には中東の海洋民族が衝角を兵器として使ってたっていうのは、まあ間違いないんじゃないの。
本命は紀元前6世紀〜5世紀頃の古代ギリシャの三段櫂船だね。サラミスの海戦とか、まさに衝角戦術の代表例でしょ。高速で体当たりして船体を破壊するって、シンプルだけど強力な戦術だったわけで。これはもう、衝角が主要な兵器として確立されてたってことでFAなんじゃない。
最後に、紀元前4世紀後半のアトリート・ラムの発見だけど、これはガチでしょ。実物の青銅製衝角が発見されてるんだから、そりゃあ古代の衝角の構造や材質を知る上で貴重な資料だって言われるのも当然だよね。考古学的な裏付けもあるし、これは疑いようがない事実だよ。
まあ、まとめると、初期の示唆はちょっと怪しいのもあるけど、アッシリアの壁画以降はかなり確実な情報って感じだね。特にギリシャの三段櫂船とアトリート・ラムは、衝角の歴史を語る上で外せない重要なポイントだね。
559: ウムウル [] 07/08(火)18:05 ID:0(559/651)
これやったけど、
そんなに昔のじゃなかったです
>>555
マアガン・ミカエル沈没船
沈没年代: 紀元前400年頃
発見年: 1985年
場所: イスラエル、ハイファ沖(地中海)
概要: 古典期。カナン(フェニキア)またはキプロス起源の船と推定され、当時の造船技術の貴重な情報源。
560: 世界@名無史さん [sage] 07/08(火)21:40 ID:0(560/651)
イスラエルのカルメル海岸沖で22隻の難破船が発見されているようです。
私が話しているのは、カエサリアの難破船から発見された紀元前1200年から1100年の青銅器時代後期の鉛のインゴットです。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X21005332
561: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)06:49 ID:0(561/651)
https://www.timesofisrael.com/groundbreaking-study-ancient-tin-ingots-found-in-israel-were-mined-in-england/
“An earlier find of a 13th‐century BCE shipwreck at Hishuley Carmel in 2012”
難破船は2012年に発見されたようです
錫の分析の論文は
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0218326
562: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)13:31 ID:0(562/651)
https://sicambre.seesaa.net/article/202507article_9.html
【カルタゴの遺伝的起源】
563: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)16:12 ID:0(563/651)
標本抽出された各ポエニ遺跡では、ほとんどの男性が異なるYHgを有しています。全体的に、遺跡全体で優勢になる単一系統はなく、最も一般的なYHgとして、58個体のうち、E1b(14個体)とR1b(10個体)とJ2a(8個体)とG2a(7個体)とJ1a(5個体)が含まれます。
ケルクアン遺跡とカルタゴ遺跡とモティア遺跡の3個体はROHによって網羅される350cM超のゲノムさえ有しており、これは両親が2親等の親族(姪とオジもしくは両親の一方のみを共有する半キョウダイ同士)だったことを示唆しています。検出された近親婚のこの割合(分析された86個体のうち11個体)は、他の青銅器時代および鉄器時代の地中海の状況より高く、例外は、同様に近親婚の割合が高かった後期青銅器時代の「ミケーネ人」です。
564: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)16:41 ID:0(564/651)
>>557
海の民のは明らかにガレー船ではない
重要なのはオールの漕ぎ手を完全に隔絶して、弓などの攻撃も喰らわないようにすること
アッシリアのレリーフに書かれたフェニキア船は確実に衝角つきガレー船
その後の海戦戦術でもわかるが「衝角つきガレー船に対してはガレー船でしか対処できない」これが鉄則
まずギリシャ海賊が出てきて、それをフェニキア人が片っ端からガレー船で沈めまくった
で、ギリシャ暗黒時代、フェニキア隆盛、地中海完全制圧、ソロモン王の栄華、フェニキア文字からあらゆる文字が派生
アッシリアにフェニキアが海岸部を取られて、でギリシャが暗黒時代を終え、フェニキア文字と共に歴史に躍り出てくる
多段櫂船と共に
565: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)16:44 ID:0(565/651)
ヒストリエみたいな漫画もっとでてこんかな
ガレー船というやばい発明が失われていってるの違和感
566(1): 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)17:10 ID:0(566/651)
ポンペイのローマ帝国期噴火犠牲者のゲノムデータの解析の結果、現代イタリア人および鉄器時代と後期鉄器時代のイタリア人口集団やローマ帝国期エトルリア人から離れている、と分かりました。代わりに、ポンペイの5個体は地中海東部とレヴァントとアフリカ北部のユダヤ人集団とよりまとまるようです。
567(1): ウムウル [] 07/09(水)20:42 ID:0(567/651)
>>566
みんな焼け死んだと思っていたのだが
生の人達もいたのか、、、
>>539
キプロスの銅貿易は
ミュケナイ人からシフトしたぽくはあるのだが
キプロス産の銅がサルディーニャ専用になったのは訳わからんな
というか銅が加工されなくなったというのは
銅鉱石の輸出に切り替わったと言いたいんだろうか、、、
568(1): 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)23:26 ID:0(568/651)
>>567 さん
サルデーニャ島の銅については、おそらく以下の論文を読んだ記憶からです。
https://www.researchgate.net/publication/318723190_Revisiting_Late_Bronze_Age_oxhide_ingots_Meanings_questions_and_perspectives
年代ごとに銅の分布図が記載されています。
サルデーニャ島にだけ輸出されたのではなく、「サルデーニャ島で発見された銅インゴットは、牛皮型(oxhide)も含め、すべて現地で製造されたものと考えられていますが、鉛同位体分析から、この形状の銅インゴットはすべてキプロス産の銅(主に Apliki 地方)で作られていたことが判明しています。」が正しい内容でした。
他に自分で調べたことでサルデーニャ島で判明したことは、
「サルデーニャ島の S'Arcu'e Is Forros は、古代のサルデーニャの地名 Interrabbas で知られていた、Villagrande Strisaili 村にある考古学的遺跡です。
この遺跡には銅、鉛、鉄の鉱物を溶かすのに使われた2つの円形の炉の跡があり、建物には、金属を鍛錬するために使われた炉が保管されていました。
青銅、鉄、陶器、エジプトのスカラベ、ペリシテ人の碑文が刻まれたカナン人のアンフォラなどがこの遺跡から出土しています。」
569: 世界@名無史さん [sage] 07/09(水)23:55 ID:0(569/651)
スウェーデンで発掘された3600年前のオノを分析したところ、オノの原料にスウェーデンからはるか離れたキプロス産の銅が使われていることが判明しました。
キプロス島とサルデーニャ島、琥珀とコーンウォール産の錫は、カルタゴを含む交易圏とは別の交易圏が存在したと私個人の考えです。
この交易におそらくエトルリア人、また後のローマに繋がる集団が関係があるのではないかと思っています。が特に調べてはいません。
570: ウムウル [] 07/10(木)03:43 ID:0(570/651)
>>568
ありがとうございます
その説明なら矛盾はないですね
おもしろい話だと思います
おいらも琥珀と錫には
独特なルートがあったと考えていますので
571: 世界@名無史さん [sage] 07/10(木)04:08 ID:0(571/651)
ローマの住民の遺伝的構成
紀元前2300〜紀元前900年頃となる青銅器時代の標本はありません。
紀元前900〜紀元前200年となる共和政期を含む鉄器時代では11人のゲノムデータが得られました。鉄器時代の個体群の遺伝的構成は銅器時代と明らかに異なっており、草原地帯系統の追加と、新石器時代イラン農耕民系統の増加として解釈されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけて、イタリア中央部集団は、ポントス-カスピ海草原起源の遊牧民集団より30〜40%程度の遺伝的影響を受けたとモデル化でき、これはヨーロッパの多くの青銅器時代集団と類似しています。
紀元前27年〜紀元後300年までの帝政期48人の最も顕著な傾向は、地中海東部系統への移行と、ヨーロッパ西部系統の少ない個体群が存在することです。帝政期48人は遺伝的に、ギリシア・マルタ・キプロス・シリアなど現代の地中海および近東集団とほぼ重なります。鉄器時代個体群と比較して、帝政期個体群は青銅器時代ヨルダン人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています。
572: 世界@名無史さん [sage] 07/10(木)04:52 ID:0(572/651)
新石器時代イラン農耕民系統はエトルリア人と関係があるのか?(アナトリア半島からヨーロッパに渡ってきた人々?)
青銅器時代ヨルダン人は、いわゆる地理的に「フェニキア」と呼ばれる地域に住んでいた人々が、(カルタゴではなく)帝政期のローマの住民と結び付いている?
573(2): 世界@名無史さん [] 07/11(金)14:36 ID:0(573/651)
カトリック系施設から乳幼児の遺体約800体、専門家が鑑定へ アイルランド
ロイター 7/9(水) 15:56
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/reuters_newsvideo_jp/world/reuters_newsvideo_jp-tag_reuters.com_2025_newsml_OWjpvC3NONLEBIDD7ZHBPNJ09ELRA25
ユダヤ・キリスト教の正体はバアル崇拝であり、フェニキア人の習慣である
子供の人身御供も、裏で脈々と受け継がれてきたのではないか。
574: 世界@名無史さん [] 07/11(金)15:02 ID:0(574/651)
チャールズ・H・H・ライト著 『エジプトのパピルスからの光』
「ネブカドネザル王 [新バビロニア王、前605〜562年] がエルサレムを破壊した後、
ユダヤ入植者の一団がエジプトの南側国境のアスワンに進んだ。そこで彼らは、
自分達の家と土地を手に入れた。
金貸しとしての商売を営む者もいた。銀行家とも言えるかもしれない。
これらは、L印の付いたパピルスから分かる。L印パピルスには、お金の貸付の
通例の契約が、正式に記録されている。貸したお金に対して月々返済される利息
のために、契約書が慎重に作られた。五名の証人が書類に署名を書き添えた。
それらのパピルスの中にヤフ(エホバ)の家や、毎日生け贄が捧げられたという
祭壇についての記述がある。この頃ユダヤ人は、大っぴらに黄金の神である
バアル神を崇拝していたが、祭壇の前で行われた飲めや歌えの祭礼が
あまりにも下劣で猥褻なものであったために、世間の人々に忌み嫌われ、
地下に潜ることを強いられた。バアル神の偶像は溶かされ、ユダヤ人はそれを
ヤフすなわちエホバと改名した。このようにしてユダヤ人は、世間に隠れて
バアル神崇拝の祭儀の多くを続けたのである。」
575(1): 世界@名無史さん [sage] 07/12(土)15:51 ID:0(575/651)
エジプト東部のナイルデルタで栄えた古代都市イメットの発見により、厚く頑丈な壁構造に支えられた多層階式の「タワーハウス(塔型住居)」は、(古代エジプト・プトレマイオス朝)後期からローマ帝国時代にかけて建てられた、エジプトの他の地域ではほとんど見かけないものであり、建築や都市計画、またイメットの守護神としてまつられていたコブラの化身・女神ウアジェトについてなど、新たな知見が掘り起こされることとなった。
プトレマイオス朝中期にあたる紀元前200年頃の建造物も新たに発見されている。石灰岩の漆喰で塗り固められた床と、スタッコ(化粧漆喰)を施された特徴的な柱をもつ建物だ。ウアジェットの神殿へと続く、かつての参道を跨ぐようにして建てられていたことから、この頃すでにウアジェット信仰が下火になっていたものと推察され、古代エジプトにおける宗教の変遷を知るための手掛かりになると研究者たちは見ている。
当時のイメットを彩った宗教文化については、エジプト第26王朝(紀元前664〜紀元前525年)の時代の陶磁器製のウシャブティ(葬儀で死者とともに埋葬された小型の立像)、蛇を抱いて2頭のワニの上に立つハルポクラテス神(古代エジプトのホルス神がギリシャ神話に転じた沈黙の神)のステラ(文様の施された石碑)、音楽と豊穣の女神ハトホルの双頭をあしらった青銅製のシストラム(神を崇拝する時に用いられる楽器で、女神ハトホルの持ち物の一つ)などの発見によって研究が進んでいる。
>>541
ハルポクラテス神がフェニキア人の神パタイコス ?
576: 世界@名無史さん [sage] 07/13(日)00:42 ID:0(576/651)
>>573
https://archive.archaeology.org/9703/newsbriefs/ashkelon.html
元々の人間の習慣に嬰児殺しがあって宗教的意味は後付けだろう
古代世界の様々なところで(イスラム以外)男女比で男が多かった
女児が生まれたら確認して殺されていたため
577: ウムウル [] 07/13(日)09:23 ID:0(577/651)
>>553
これの産地が記憶と違う気がするな
>>575
シストラム気になるんよな
なんでタンバリンの原型なんだろう
578: 世界@名無史さん [sage] 07/13(日)18:34 ID:0(578/651)
>>573
アイルランド・ゴールウェー県チュアムの、未婚の母親のためのカトリック系母子施設の跡地から、およそ800体の乳幼児の遺骨が見つかった。
2021年に同様の施設を対象に行った政府の調査によると、アイルランド全域でおよそ9000人の子供が死亡しており、カトリック教会による養護施設運営の暗い歴史の一端が露呈した。
カトリックは「人工妊娠中絶」を禁止にしてる話だろう
579: 世界@名無史さん [sage] 07/13(日)18:37 ID:0(579/651)
子供の死に関しては、カトリック教会による養護施設運営の問題
580(1): 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)09:53 ID:0(580/651)
イタリア半島中央部個体群は、YHg-R1b系統が青銅器時代に草原地帯関連集団の移動とともにイタリア半島に拡大したことを示唆します。
紀元後千年紀には、YHg-R1bの頻度は40%程度と減少し、YHg-Jのような近東関連Y染色体系統がより高頻度となります。(地中海東部祖先系統が、ローマ帝政期にエトルリア人関連の遺伝的特性の大部分を置換しました)
581: 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)10:13 ID:0(581/651)
イタリアには、古代ローマ時代にティリンスの城壁で有名な「サイクロプス式壁」と呼ばれる巨石で作られた壁がいくつか存在します。
アラトリの城壁が有名です。
582(1): 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)15:42 ID:0(582/651)
イタリアの遺伝子は中東?
583: 世界@名無史さん [] 07/15(火)16:42 ID:0(583/651)
>>582
>>580 の続き
ヨーロッパ北部祖先系統からのかなりの遺伝的流入が、中世初期におそらくはゲルマン部族のイタリア半島への拡大を通じてもたらされました。
イタリア半島中央部および南部の現代の人口集団の遺伝的構成は、紀元後千年紀の末までにほぼ形成されました。
584: 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)17:49 ID:0(584/651)
誤) 紀元後千年紀 → 正) 紀元後1000年
585(1): 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)18:31 ID:0(585/651)
1868年、クロアチア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国の一部)のザグレブ博物館が、古代エジプトの女性のミイラを手に入れた。ミイラを包んでいた布は前の所有者によってほどかれていたが、ミイラと一緒に引き渡された。
ミイラになった女性は王族や聖職者ではなく、一般人だった。しかし、彼女を包んでいた亜麻布には、非常に興味深い謎があった。亜麻布に書かれていた文字が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)ではなかったのだ。
亜麻布を調べたオーストリアのエジプト学者ヤーコプ・クラールは、謎の文字の解読に成功した。文字は、一部の人が推測していたコプト文字ではなく、ローマ帝国以前にイタリアを支配していたエトルリア人が使っていたエトルリア文字だった。このミイラは、エトルリアの亜麻布の書を裂いた布で包まれたことになる。
現在のイタリア中部トスカーナ州(州都はフィレンツェ)は、古代エトルリア人の故郷とほぼ一致している。紀元前8世紀に現れたエトルリア人はギリシャ人と交易して、金属加工、絵画、彫刻などの高度な文化を発達させた。交易によって、エトルリアの品々、ギリシャの神々、それにエウボイア島で使われていた西方ギリシャ文字が各地に運ばれた。エトルリア人は、このアルファベットを用いて、右から左に書く独自の文字を作った。
実は、このミイラを包むのに使われていた文書はエトルリアの亜麻布の書だけではなかった。エジプトの「死者の書」のパピルスも使われていたのだ。このエジプトの書物にはネシ・ホンス(「家の女主人」)という女性が登場する。今日の学者たちは、この女性こそがミイラになった女性だと信じている。20世紀後半には、彼女が生きていたのは紀元前4世紀〜前1世紀の間で、30代で亡くなったことが判明している。
586: 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)20:00 ID:0(586/651)
一方で、古代エジプト人のゲノム解析
>>551
古王国時代のゲノムを後の時代のエジプト人と比較したところ、第三中間期(紀元前787〜544年)のエジプト人ではレバント地域からの遺伝的影響が大幅に増加していました。現代エジプト人のゲノムはさらに複雑で、この古王国時代の祖先に加え、レバント青銅器時代の祖先、そしてより最近になって東アフリカや西アフリカからの祖先が混じり合って形成されていることが示されました。
587: 世界@名無史さん [sage] 07/15(火)21:21 ID:0(587/651)
>>551 「NUE001」の Y 染色体ハプログループ は E1b1b1b2b
中世シチリア島のイスラム教徒とキリスト教徒との間の遺伝的差異
Y染色体ハプロタイプは墓地間の差異を示唆しており、イスラム教徒墓地の個体群はアフリカ北部と関連するE1b1b1b1a(M81)およびE1b1b1b1(M310.1)と、地中海東部と関連するJ2b2a(M241)だったのに対して、キリスト教徒墓地に埋葬された9個体のうち4個体はR1b1a1b(M269)で、これは現在ではおもにヨーロッパ西部で見られるYHgです。
イスラム教徒墓地に埋葬されたSGBN2のmtDNAハプロタイプはL3e5で、これはおもにサハラ砂漠以南のアフリカで見られます。
588: 世界@名無史さん [sage] 07/17(木)05:23 ID:0(588/651)
研究者たちは、チュニスの郊外にある丘の上に位置するタファト・エル・ボニー神殿の遺跡付近で、埋葬跡と5枚の金貨を発見しました。この神殿は、かつてバアル・ハモンとタニトの神々に捧げられた地方の記念碑でした。
発見された金貨の直径は2.5センチメートル(約1インチ)未満で、カルタゴ人にとって豊穣と母性の象徴である古代の女神タニトを描かれていました。
過去1世紀にわたるカルタゴでの発掘調査では、新生児から4歳までの子どもの遺骨を含む数千の墓石と壺が発見されました。
キリスト教の聖書には、カルタゴの神バアル・ハモンへの子供の人身供犠に関する記述があり、ギリシャとローマの伝説にも乳児の殺害の残酷な場面が伝えられている。しかし、疑わしい供犠場で見つかった遺骸の精密な分析結果から、その場所は乳児と胎児のための通常の墓地であったことが示唆されています。
589: 世界@名無史さん [sage] 07/17(木)05:40 ID:0(589/651)
考古学者が20世紀に古代文明の発掘を開始した際、トフェトと呼ばれる墓地で、数千人の赤ちゃんの焼骨、若い山羊や羊の焼骨が入った壺を発見しました。この墓地は紀元前700年から300年にかけて使用されていました。最盛期には、トフェトはサッカー場よりも広かった可能性があり、9層の埋葬層を有していたと考えられています。
2010年にシュワルツとその研究チームは、540人の歯の遺骸を用いて、その遺跡が主に儀式的な子供殺害のためのものではなかったと主張しました。
研究チームは、トフェトで発見された多くの歯の断片は、実際には胎児や死産児の顎から発達途中の歯の芽であり、生贄として捧げられたものではなかったと主張しています。証拠として、彼らは歯の半数に「新生児線」と呼ばれる出生時の痕跡が欠如していることを示しました。出生時のストレスは新生児の歯の成長を一時的に停止させ、歯の芽に小さな暗い線を生じさせますが、この線は出生後1週間から2週間経ってから形成されます。
スミス氏の研究チームは2011年に、シュワルツ氏の歯の分析を疑問視する論文を発表しました。彼女は、火葬時に発生する驚異的な熱と圧力により、新生児の歯の線は通常消えてしまうため、その欠如は年齢を判断する信頼できる指標ではないと指摘しました。スミス氏は、シュワルツ氏の研究チームが火葬時の歯の収縮率を誤算したため、乳児の年齢を過小評価する結果になったと主張しました。
590: 世界@名無史さん [] 07/18(金)14:35 ID:0(590/651)
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
591: 世界@名無史さん [sage] 07/20(日)02:35 ID:0(591/651)
古代の多くの地域では男女人口比が歪だった
女は障害者扱いで生まれてすぐ殺されていた
日本はそれがなく、イザベラバードなんかも男女同じくらい、みたいなことが書いてた気がする
592(1): 世界@名無史さん [sage] 07/20(日)17:21 ID:0(592/651)
中世シチリア島西部に位置するセジェスタ遺跡のキリスト教徒の被葬者墓地である17号墓に埋葬されていたのは、全員男性乳児であった。
古代マヤで最も栄えた都市の1つチチェンイツァの貯水槽「チュルトゥン」とそこにつながる洞窟で、考古学者たちが多数の人骨を発見した。このチュルトゥンは8世紀にわたって若い成人や子どもの生贄の埋葬に使われ、遺体のほとんどが若い女性とされてきた。
しかし、2024年6月12日付けで学術誌「ネイチャー」に発表された論文が定説を覆した。回収された64体の遺骨のDNAを分析したところ、すべて男児で、多くが3歳から6歳だったのだ。
意外だったのはそれだけではない。埋葬されていた子どもの多くが近親者だった。少なくとも4分の1の遺体が、同じ洞窟に埋葬された別の少年の兄弟かいとこで、一卵性双生児が2組も含まれていた。
アルゼンチン北部のジュジャイジャコ火山(標高6739メートル)の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見された。古代インカの生贄の儀式カパコチャで生き埋めにされたミイラは、保存状態が極めて良く、非常に安らかな表情で知られている。
イギリス、ブラッドフォード大学の法医学と考古学の専門家アンドリュー・ウィルソン(Andrew Wilson)氏はまず、13歳の少女のミイラについて生化学分析を行った。
少女は死を迎えるまでの1年間、トウモロコシやリャマ肉といった栄養価の高い食事が与えられ、栄養状態が劇的に改善していた。加えて今回、同時期のコカ摂取量の大幅増加が判明し、特に死の1年前と半年前にその傾向が顕著に表れている。
コカは1年間を通して多量摂取が続いたようだ。対照的にアルコールが著しく増加するのは、死の数週間前になってからである。
593: 世界@名無史さん [] 07/24(木)18:59 ID:0(593/651)
(⚫︎ω・`)<試しに立ててみるよ
594: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:42 ID:0(594/651)
イギリスの王室とロシアの起源は同じ
595: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:45 ID:0(595/651)
どちらもノルマン人によってもたらされた
ヨーロッパ大陸の民族と国の複雑な絡み合いを感じずにはいられない
日本にはそういうものはないイメージ
596: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:46 ID:0(596/651)
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
597: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:47 ID:0(597/651)
墨子って何で儒学に代わって国学にならなかったん?
598: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:48 ID:0(598/651)
清朝末期に西洋の技術を取り入れるために、科学技術を重んじた墨子を国学にしなかったのはなぜなのかねー?
599: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:48 ID:0(599/651)
墨子の思想は反体制側
600: 世界@名無史さん [] 07/24(木)19:49 ID:0(600/651)
日本にはもと王あり、そのしたに関白と称する者ありて最も尊し。時に山城州のかしら、信長をもってこれと為す。 たまたま猟にいで、一人の樹下にガするものにあう。驚起して衝突す。とらえてこれをなじる。みずから言う 「たいらの秀吉、薩摩州の人のやっこたり」と。ユウケンキョウショウにして口弁あり。信長、これをよろこび、馬をボクせしめ、名づけて「木下人」という。のちにようやく事を用う。信長のために画策し、二十余州をあわす。ついに摂津の鎮守大将となる。
601: ウムウル [] 07/24(木)19:58 ID:0(601/651)
時空が繋がったのかw
602: 世界@名無史さん [sage] 07/25(金)00:20 ID:0(602/651)
チュニジアの Zita は紀元前5世紀から西暦450年まで居住されていた考古学遺跡です。 Zita のトフェ内の壺や穴から発見された12体の遺体(乳児と子供を含む)の骨格分析に焦点を当てています。
分析対象の12人のうち、9人に壊血病の疑いがある所見が認められました。壊血病はビタミンC欠乏症による疾患であり、子どもとその授乳中の母親の両方に栄養不足が反映されている可能性があります。
さらに、6名が貧血と関連する疾患であるクリブラ・オービタリウムの症状を示し、2名は重度の貧血に典型的な頭蓋骨の病変を呈していました。
この研究が特に興味深い点は、調査対象の遺骸に死前外傷や暴力の直接的な証拠が欠如している点です。
603: 世界@名無史さん [sage] 07/25(金)02:12 ID:0(603/651)
誤)クリブラ・オービタリウム → 正)クリブラ・オルビタリア(=眼窩篩)
604: 世界@名無史さん [] 07/26(土)11:00 ID:0(604/651)
クリブラ・オルビタリア(=眼窩篩)
605: 世界@名無史さん [] 07/26(土)11:01 ID:0(605/651)
昔は上が普通だからなあ
606: 世界@名無史さん [] 07/26(土)12:39 ID:0(606/651)
誰も用いてくれなかった私の策を
607: 世界@名無史さん [] 07/26(土)12:40 ID:0(607/651)
先生と呼ばれるようになっただけで自分は偉くなったと勘違いする人もいるくらいだから、絶大な権力を持つと人は狂っちゃうよね…。
608: 世界@名無史さん [] 07/26(土)12:42 ID:0(608/651)
短期間にできたこととは思えないし、部下がついていったとは考えにくい。暴君だったのだろうか。
609: 世界@名無史さん [] 07/26(土)12:45 ID:0(609/651)
俺がもっとも望むもの
610: 世界@名無史さん [] 07/26(土)12:45 ID:0(610/651)
それは…………
611: ウムウル [] 07/26(土)20:54 ID:0(611/651)
>>549
コシャルはクレタとの
関連性が述べられていたが根拠は不明
もうちょい追ってみるか
612: 世界@名無史さん [sage] 07/28(月)11:04 ID:0(612/651)
(⚫︎ω・`)<カルタゴワインうめぇ
スパイスがガッツリ効いたツマミが欲しいなぁ
613(1): 世界@名無史さん [sage] 07/29(火)06:05 ID:0(613/651)
はいよ!
カルタゴ名物赤ん坊の丸焼き一丁!
614: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:41 ID:0(614/651)
羂索が領域展開後も夏油を乗っ取り続けていたし希望はある…と思いたい
615: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:41 ID:0(615/651)
海の民のは明らかにガレー船ではない
重要なのはオールの漕ぎ手を完全に隔絶して、弓などの攻撃も喰らわないようにすること
アッシリアのレリーフに書かれたフェニキア船は確実に衝角つきガレー船
その後の海戦戦術でもわかるが「衝角つきガレー船に対してはガレー船でしか対処できない」これが鉄則
まずギリシャ海賊が出てきて、それをフェニキア人が片っ端からガレー船で沈めまくった
で、ギリシャ暗黒時代、フェニキア隆盛、地中海完全制圧、ソロモン王の栄華、フェニキア文字からあらゆる文字が派生
アッシリアにフェニキアが海岸部を取られて、でギリシャが暗黒時代を終え、フェニキア文字と共に歴史に躍り出てくる
多段櫂船と共に
616(1): 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:42 ID:0(616/651)
「日本の建国はいつですか」「建国したのは誰ですか」について答えられる高校生がわずかで、日本は「マッカーサー」が建国したと答える生徒もいた。
作家、竹田恒泰さんが先日の仙台「正論」懇話会の講演会で、高校生を対象にした調査の話題をあげ、戦後歴史教育を危惧していた。
617: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:42 ID:0(617/651)
ウクライナ軍が“ロシアの中枢”を一斉破壊!火薬&化学工場・鉄道22路線・8空港をドローンで同時制圧、戦争インフラが完全消滅へ!補給断絶で兵站壊滅、迎撃ミサイルは住宅地に落下し国民パニック!
618: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:43 ID:0(618/651)
ローマの住民の遺伝的構成
紀元前2300〜紀元前900年頃となる青銅器時代の標本はありません。
紀元前900〜紀元前200年となる共和政期を含む鉄器時代では11人のゲノムデータが得られました。鉄器時代の個体群の遺伝的構成は銅器時代と明らかに異なっており、草原地帯系統の追加と、新石器時代イラン農耕民系統の増加として解釈されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけて、イタリア中央部集団は、ポントス-カスピ海草原起源の遊牧民集団より30〜40%程度の遺伝的影響を受けたとモデル化でき、これはヨーロッパの多くの青銅器時代集団と類似しています。
紀元前27年〜紀元後300年までの帝政期48人の最も顕著な傾向は、地中海東部系統への移行と、ヨーロッパ西部系統の少ない個体群が存在することです。帝政期48人は遺伝的に、ギリシア・マルタ・キプロス・シリアなど現代の地中海および近東集団とほぼ重なります。鉄器時代個体群と比較して、帝政期個体群は青銅器時代ヨルダン人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しています。
619: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:44 ID:0(619/651)
新石器時代イラン農耕民系統はエトルリア人と関係があるのか?(アナトリア半島からヨーロッパに渡ってきた人々?)
青銅器時代ヨルダン人は、いわゆる地理的に「フェニキア」と呼ばれる地域に住んでいた人々が、(カルタゴではなく)帝政期のローマの住民と結び付いている?
620: 世界@名無史さん [] 07/30(水)06:44 ID:0(620/651)
チャールズ・H・H・ライト著 『エジプトのパピルスからの光』
「ネブカドネザル王 [新バビロニア王、前605〜562年] がエルサレムを破壊した後、
ユダヤ入植者の一団がエジプトの南側国境のアスワンに進んだ。そこで彼らは、
自分達の家と土地を手に入れた。
金貸しとしての商売を営む者もいた。銀行家とも言えるかもしれない。
これらは、L印の付いたパピルスから分かる。L印パピルスには、お金の貸付の
通例の契約が、正式に記録されている。貸したお金に対して月々返済される利息
のために、契約書が慎重に作られた。五名の証人が書類に署名を書き添えた。
それらのパピルスの中にヤフ(エホバ)の家や、毎日生け贄が捧げられたという
祭壇についての記述がある。この頃ユダヤ人は、大っぴらに黄金の神である
バアル神を崇拝していたが、祭壇の前で行われた飲めや歌えの祭礼が
あまりにも下劣で猥褻なものであったために、世間の人々に忌み嫌われ、
地下に潜ることを強いられた。バアル神の偶像は溶かされ、ユダヤ人はそれを
ヤフすなわちエホバと改名した。このようにしてユダヤ人は、世間に隠れて
バアル神崇拝の祭儀の多くを続けたのである。」
621: 世界@名無史さん [sage] 08/01(金)23:27 ID:0(621/651)
【ローマ時代の「教会」、シナゴーグだった可能性 スペイン南部】
スペイン南部のある遺跡について、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)だった可能性を示す証拠が浮上した。
現場の遺跡はこれまで、4世紀の教会と考えられていた。発掘調査に当たる専門家たちは遺物や建築上の証拠を発見し、この建物が実際にはシナゴーグだったとの仮説を導き出したという。今月発表された研究で明らかになった。
スペイン南部の旧ローマ人居住地カストゥーロでの発掘調査では、オイルランプの破片やメノーラー(ユダヤ教の儀式で使用する燭台<しょくだい>)の装飾を施した屋根瓦などの遺物が見つかった。一方でキリスト教信仰と明確に関連のある遺物は見つかっていない。
対照的に町内の別の遺跡では、キリスト教の礼拝の証拠が見つかった。
622: ウムウル [] 08/03(日)08:35 ID:0(622/651)
>>585
おいらの記憶だと
最も古いフェニキア語の記録が
エジプトのミイラの布にあった気がするな
内容はおまじないだったかな
623: 世界@名無史さん [sage] 08/05(火)09:08 ID:0(623/651)
スキタイ人の古代ゲノムデータの分析により、スキタイ人氏族の構成員間のROH(同型接合連続領域)から推定されるように、スキタイ社会における高水準の近親婚が明らかになりました。
族内婚は以前には、一部の古代の人口集団で報告されてきました。この社会的慣行は青銅器時代においてエーゲ海社会では一般的で、カルタゴ人(紀元前700〜紀元前400年頃)とサルマティア人とサカ人で報告されています。
624: ウムウル [] 08/06(水)07:38 ID:0(624/651)
近親婚で有名なエジプトと
族内婚で有名なユダヤ人社会を差し置いて
カルタゴと遊牧民で見つかるのか
何でだろう、、、
625: 世界@名無史さん [] 08/14(木)10:23 ID:0(625/651)
カルタゴって結局ローマに滅ぼされたんでしょ?第三次ポエニ戦争でボロボロにされて、住民は奴隷にされたり虐殺されたりして、都市も徹底的に破壊されたんだよね。なんか、その滅亡の仕方がすごい悲惨すぎて、現代でも語り継がれるくらいやばい。ローマの執念が強すぎたというか、もうライバルを完全に消し去るって感じだったのかな。カルタゴの領土はローマのアフリカ属州になって、それから一世紀くらい経ってからカエサルとかによってローマの都市として再建されたらしい。すごい歴史だよね。
626: Donguri! [] 08/16(土)03:37 ID:0(626/651)
何やそのAIみたいなコメ
627: Donguri! [] 08/16(土)03:37 ID:0(627/651)
何やそのAIみたいなコメ
628: Donguri! [] 08/16(土)03:37 ID:0(628/651)
何やそのAIみたいなコメ
629: 世界@名無史さん [] 08/20(水)11:40 ID:0(629/651)
(⚫︎ω・`)<>>613おお、美味そ…って
食うかんなモン!あと名物どころか存在せんわ!
630: 世界@名無史さん [] 08/24(日)11:31 ID:0(630/651)
【資料】カルタゴについて語るスレ5【少な過ぎ】
631: ウムウル [] 08/24(日)11:49 ID:0(631/651)
>>616
大国主だろう
チャーチルはイギリスの建国は
カエサルが上陸したときって言ってましたね
632: 世界@名無史さん [sage] 08/24(日)12:11 ID:0(632/651)
イタリア中央部のローマ共和政期の男性個体のゲノムデータ
タルクイーニアのファルガリ村遺跡で発見された1個体(BSP71)からDNAが抽出されました。
古代の個体群を現代の個体群と比較したY染色体分析は、個体BSP71と他共和政の4個体(R437、R10337、R10341、R850)の東地中海祖先系統の手がかりを示します。
個体BSP71のYHgはR1b1a1b1b(M269/Z2105)で、おもに後期青銅器時代/鉄器時代アルメニアの東方の数個体とクラスタ化します(まとまります)。個体R437は姉妹単系統群のYHg-R1b1a1b1a1a2(M269/P312)に属しており、このYHgは現在ではヨーロッパ西部において高頻度ですが、青銅器時代のクロアチア人でも観察されます。個体R10337のYHgはR2(M479)単系統群で、現在のアジア西部集団および古代の中東の人々で観察されます。最後に、個体R10341のYHgはJ1a2a1a2(M267/P58)、個体R850のYHgはT1a(M70)です。これらの系統は今ではおもに中東の人口集団で観察されますが、おもにギリシアとアナトリア半島の古代の東地中海個体群にも存在しました。個体BSP71のmtHg-T1a1はシチリア島のヒメラ遺跡のギリシア植民地の1個体で見つかっており、これは恐らく、母方の遺伝的繋がりを示唆しています。
紀元前2世紀〜紀元前1世紀に属する標本の数は少ないものの、この結果は、帝政期ではなく共和政後期にイタリア中央部で東地中海の遺伝的影響の拡大が始まった可能性を示唆しているかもしれません。
633(1): 世界@名無史さん [sage] 08/26(火)16:10 ID:0(633/651)
イベリア半島の古代のウマのゲノムデータを報告した研究が公表されました。
ウマは中期更新世以降イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)に生息しており、イベリア半島は家畜化の中心地として提案されてきました。
イベリア系統の野生ウマが後期更新世以降にイベリア半島に生息していた一方で、ポントス・カスピ海草原地帯原産の家畜化されたウマがすでに紀元前1850年頃に到来していた、と報告されます。混合年代測定は、少なくとも紀元前350年頃までの継続的な野生ウマの補充を含む繁殖慣行が示唆されており、イベリア系統はその直後に消滅しました。
結果として、地球上に生息しているすべての現代の家畜ウマはポントス・カスピ海草原地帯原産の系統に属します。
交易網もしくは戦争に起因するウマの個体群規模の変動は、とくにイベリア系統の消滅と、地中海を戦域としてローマ人とカルタゴ人が対立した紀元前3世紀〜紀元前2世紀のポエニ戦争との間の広範な時間的重なりを考慮すると、重要だったかもしれません。
634: ウムウル [] 08/26(火)23:24 ID:0(634/651)
>>633
へー、けっこう後まで残ってたんですね
カルタゴと言えば馬だけに
なんか関係あったのかなぁ
635: 世界@名無史さん [sage] 08/27(水)00:23 ID:0(635/651)
ヨセフスあたりの時代まではフェニキアの歴史文献とか確実に、しかも大量に残ってたのにどこいったんや
636: 世界@名無史さん [sage] 08/27(水)16:48 ID:0(636/651)
(⚫︎ω・`)<実はバチカンあたりもってたりして
馬とヤシは硬貨にもよく使われるデザインだねー
637: ウムウル [] 08/28(木)01:48 ID:0(637/651)
ふーむ
>>592
シケリアの双子の神パリキ(en)に関して現在まで伝わっている話は、ギリシア神話の影響を受けている。シケリアの精霊タリアが火の神であるアドラヌス(en、ギリシア神話のヘーパイストスに相当する)の子供を身ごもるが、ヘーラーはこれに嫉妬して、大地の神ガイアにタリアを飲み込むように依頼した。その後大地が割れて双子の神が生まれた。
双子の神は、シチリアで航海と農業の後援者として崇拝された。ギリシア神話の古い形では、ティーターン族のティテュオスは母エラレーの胎内にいたころから巨大な身体の持主で、母の子宮を割ってしまったために、ガイアが代わりに生んだとされる。このような伝説に基づいた儀礼のため、食物の成長を願って、生贄として埋葬された二人の子供が発見されることがある。
638: ウムウル [] 08/28(木)02:33 ID:0(638/651)
>>367
その後、ニドハド王はネリケで眠っているヴォルンドを捕らえ、足の腱を切断してセーヴァルストード島に幽閉するよう命じた。そこでヴォルンドは王のために偽造品を作らされた。ヴォルンドの妻の指輪は王の娘ボズヴィルドに与えられた。ニドハドはヴォルンドの剣を身に着けていた。
復讐として、ヴォルンドは密かに彼を訪ねてきた王の息子たちを殺し、彼らの頭蓋骨からゴブレットを、彼らの目から宝石を、彼らの歯からブローチを作りました。彼はゴブレットを王に、宝石を王妃に、ブローチを王の娘に送りました。ボズヴィルドが指輪を修繕するためにヴォルンドに持っていくと、彼は彼女を騙して誘惑し、妊娠させます。その後、彼はニドハドの広間に飛び、そこで王の息子たちを殺し、彼らの死体から宝石を作り、ボズヴィルドとの間に子供をもうけた経緯を説明します。王は泣きながら、弓兵と騎兵がヴォルンドにたどり着けないことを嘆き、鍛冶屋は二度と姿を見せなくなります。ニドハドは娘を呼び、ヴォルンドの話が本当かどうか尋ねます。この詩は、ヴォルンドが自分よりも強すぎたため、ヴォルンドから身を守ることができなかったとボズヴィルドが述べるところで終わる。
639: ウムウル [] 08/28(木)02:47 ID:0(639/651)
>>367
ヘパイストスの象徴性は他の神話体系にも見られ、次のような類似点がある。
ウガリットの職人神コタル・ワ・カシスは、特徴的な歩き方で遠くからでも識別され、足を引きずっていることを示唆している可能性がある。[ 99 ]
ヘロドトスが理解していたように、エジプトの職人神プタハは小人の神であり、しばしば裸で描かれていた。[ 100 ]
北欧神話では、ウェイランド・ザ・スミスは身体に障害を持つ青銅細工人でした。
ヒンドゥー教では、職人の神であるトヴァストルが同様の役割を果たしますが、より肯定的に描かれています。[ 101 ]
オセチアの神クルダラゴンも同様の起源を共有している可能性がある。[ 101 ]
640(1): 世界@名無史さん [sage] 09/03(水)13:56 ID:0(640/651)
イベリア半島青銅器時代末集団のゲノムデータ
イベリア半島北東部における青銅器時代から鉄器時代への移行は、主要な埋葬慣行としての火葬の出現によって特徴づけられます。骨壺墓地文化として知られる集団の文化的属性は、紀元前1300〜紀元前850年頃となる末期青銅器時代にイベリア半島北東部に拡大しました。この集団の出現についてさまざまな仮説が存在しますが、火葬がDNAの保存を妨げています。
本論文は、土葬と火葬が末期青銅器時代にともに見られるロス・カステレッツ2遺跡(スペイン)の集団埋葬塚から発掘された24個体と、ロス・ピオホス遺跡(スペイン)の前期鉄器時代1個体のゲノム規模データを提示します。
同じ集団塚の個体の2/3は1〜6親等と生物学的に密接な親族関係にあり、男性1個体に最も多くの遺伝的親族がいました。家族集団内の近親婚の痕跡が検出され、すべてまとめると、この塚が家族の壮大な墓として用いられていたことを示唆しています。
ロス・カステレッツ2遺跡におけるすべてのY染色体系統が、典型的なイベリア半島のYHg-R1b1a1b1a1a2a1b(Z198)と一致するようです。
641: 世界@名無史さん [sage] 09/03(水)14:20 ID:0(641/651)
ちなみに古代日本の埋葬文化について
2025年春に国立科学博物館で開かれている特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の監修者である神澤秀明さん
「岩手県の蝦(えび)島という縄文晩期の遺跡からは多くの人骨が出てきます。その中で、埋葬小群といって、近くに埋葬されていた個体や、頭の形態の変異に共通性がある個体、抜歯の特徴が似ている個体などを選んで、ゲノムを見たんです。すると、不思議なことに、実は全然血縁がありませんでした。縄文の埋葬や墓制論の専門家、山田康弘先生(東京都立大)は、『これらは絶対、血縁だろう』と予想されていたんですけど、まさかの結果で、かなり驚いてらっしゃいました。その後、ほかの遺跡でも分析を進めていくと、やはり、あまり血縁は出てこないんです。すぐ近くに埋葬されていても血縁関係がないことが多くて、今まで議論していた埋葬原理にちょっと修正が必要かもしれないと、山田先生はおっしゃってましたね」
642: 世界@名無史さん [sage] 09/03(水)14:21 ID:0(642/651)
垢版
|
0333 日本@名無史さん 2025/08/07(木) 23:27:50.80
岡山県津山市の久米三成4号墳の被葬者の家族関係を、DNA解析に基づいて推測した研究が取り上げられています。
1977年,現在の岡山県津山市にある丘陵で石を並べて作った石棺が出土し,中から人骨が見つかった。発掘調査を行ったところ,それは全長35mの前方後方墳の一部で,後方部と前方部の中央にそれぞれ石棺があることがわかった。
後方部にある第1の石棺には,30代から40代の男性と,やや若い20代から30代の女性が埋葬されていた。さらに,前方部にある第2の石棺にも,2人の人物が埋葬されていることがわかった。1人は50代の高齢女性で,もう1人は11歳前後の子どもである。
古墳は古墳時代の前期後半から中期の初めごろのもので,比較的小規模な集団の首長のものだと推定された。第1の石棺に埋葬された男性が首長とみられるが,それ以外の3人が誰なのか,当時はまったくわからなかった。
近年,この4人の関係について,新たな手がかりが得られた。第1の石棺に埋葬されていた男性と女性の大臼歯から核DNAを取り出して解析したところ,親子である可能性が高いとわかった。また第2の石棺に埋葬された11歳前後の子どもは女児で,やはり第1主体部の男性と親子の関係にあると推定された。つまり,第1の石棺の女性と第2の石棺の女児は姉妹だったのである。
ところがこの2人のミトコンドリアDNAを調べたところ,ハプログループが異なっていた。ミトコンドリアDNAは母から子へと伝えられるため,母を同じくする姉妹ならハプログループも一致する。ハプログループが異なるこの2人は,異母姉妹ということになる。
ともに埋葬されていた高齢女性は他の3人と近い血縁関係がなく、3親等より遠い親族か、完全な非血縁者と考えられています。
643: 世界@名無史さん [] 09/03(水)15:04 ID:0(643/651)
カルタゴの都市伝説について語ってってマジか?
あそこってさ、ポエニ戦争でローマに滅ぼされた後、塩を撒かれて不毛の地になったって話、聞いたことない?
あれ、実は違うらしいよ。
ローマ軍がそんなことしたって記録はどこにもないんだって。
塩を撒くってのは、古代からある都市破壊の儀式みたいなもんで、実際にやったってより、象徴的な意味合いが強いみたい。
真実は、後の時代にローマの権威を貶めるために作られた、ただの作り話。 ローマのやり方はもっと巧妙だったってこと。
644: 世界@名無史さん [sage] 09/06(土)11:52 ID:0(644/651)
(⚫︎ω・`)<どうせ撒くなら、お金とか餅が良いなぁ
645: 世界@名無史さん [] 09/06(土)14:13 ID:0(645/651)
バブル時代に「日本≒カルタゴ」論がいろいろ言われていたな
646: 世界@名無史さん [] 09/06(土)19:06 ID:0(646/651)
>>640
AI作文をコピペする白痴。
647: 世界@名無史さん [] 09/07(日)17:52 ID:0(647/651)
ウムウルさん元気そうだね
またいろいろ書き込みしてください
648: 世界@名無史さん [sage] 09/13(土)11:12 ID:0(648/651)
(⚫︎ω・`)<FE新作にカルタゴっぽい都市が出るって、ま?
649: 世界@名無史さん [sage] 09/13(土)11:15 ID:0(649/651)
(⚫︎ω・`)<来ましたね、カルタゴの時代
て事はよ?
その都市の統治者のモデルは俺だったりする?
650: ウムウル [] 09/13(土)16:10 ID:0(650/651)
おまいは勝ってる時代は
ずっと下っぱだったので、、、
651: 世界@名無史さん [sage] 09/16(火)20:00 ID:0(651/651)
(⚫︎ω・`)<下っぱ言うな
一応将軍やぞ
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.054s