[過去ログ] 安倍ちゃん「日本人は水銀を克服した」→水俣病患者「克服できてねーよ」 アンダーコントロール! (937レス)
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(1): 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [sage] 2013/10/10(木)10:42 ID:WIfM5Skd0(1/2) AAS
http://www.nhk.or.jp/archives/kankyo/library/detail01_08.html

ETV特集 苦渋の決断 〜水俣病 40年目の政治決着〜

放送当時、水俣病の確認から40年近くが経過していた。しかし、水俣病と認定された人と同じ症状を示しながら
水俣病として認定されない、いわゆる未認定患者の問題はまだ解決されていなかった。
この問題を解決するべく、1995年に政府が提案したのが、一定の補償金と医療費の補助を行う代わりに、
更に認定申請や訴訟を取り下げ国などの責任を問わないといういわゆる政治決着であった。
国が示した案について、未認定患者の中からは納得がいかないという声も上がった。
しかし、長い歳月水俣病に苦しめられ、高齢化によって将来に不安が募る未認定患者達は、
受け入れもやむを得ないという思いにかられるのであった。
番組は、年老いていく患者たちが、苦しい決断をくだすまでの無念の思いや葛藤を彼らの日常とともに追った。

ETV特集 ヒューマンドキュメントシリーズ
この海を忘れない 〜水俣病と闘った13年〜

熊本県水俣市の対岸にある御所浦島は、長い間、水俣病患者が自ら患者であることを名乗り出なかったため、
正式な患者の確認が遅れた島である。小林洋一郎さんは13年前にこの島に移り住み、潜水漁師として生計をたてながら、
未認定患者が水俣病と認定されるよう、患者たちを支えてきた。その小林洋一郎さんが、平成9年島を離れることを決意した。
平成6年に国が提示した患者救済のための和解案を島の人々が受け入れたことで、自分の役目が終わったと感じたからである。
小林さんは、最後の仕事として、患者たちの話を聞き取り、文章にまとめている。水俣病患者たちと共に歩んだ13年間を振り返り、
家族とともに島を離れるまでの日々を描く。
771: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [sage] 2013/10/10(木)11:22 ID:WIfM5Skd0(2/2) AAS
>>766
これか

http://p.twipple.jp/Tyuht
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