サラワク王国について教えてほしい (2レス)
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1: 2024/07/22(月)20:46 ID:0(1/2) AAS
wikiより情報多く載ってるサイトとか、おすすめの書籍とか教えて欲しい
2: 2024/07/30(火)18:20 ID:0(2/2) AAS
ボルネオ島北部、マレーシアのサラワク州とブルネイ両国にまたがる地域に、19世紀半ばから100年以上にわたり、イギリス人を王に戴くサラワク王国が存在しました。
ヨーロッパ列強がアジアで覇権を争った19世紀、ビルマ(ミャンマー)での戦いで負傷したイギリス軍のジェームズ・ブルックは、父親の遺産で船を仕立て、1839年、新天地を求めてボルネオ島を訪れました。当時、島の大部分はスルタン(イスラム教国の君主)の統治下にあったものの、先住民の反乱や海賊の横行で混乱状態にありました。イギリスの支援のもと、事態の収拾に貢献したブルックは、報奨としてスルタンより1841年に島北部の一部を割譲され、「白人王(ホワイト・ラジャ)」の称号を授かりました。こうして「白人王国」のサラワク王国が成立したのです。その後、甥のチャールズ、その息子のチャールズ・ヴァイナーと、3代にわたる王朝が1946年まで続きました。
ブルック王朝は、西洋の技術による開発を進め、インドや中国から移民を積極的に受け入れて国際化を図る一方で、諸外国による経済的搾取から住民を保護するなど開明的な政策を敷きました。王国末期には、チャールズ・ヴァイナーが王制から立憲君主制への移行を宣言しています。
しかし、第二次世界大戦中の1941年、日本軍がクチンに上陸して占領下に置いたことで、サラワク王国は事実上崩壊しました。戦後、サラワク王国はイギリスに移譲され、1963年までイギリスの直轄植民地となりました。
かつて白人王を戴いたサラワク一帯は、民族、言語、歴史、文化、社会の多様性と、それを取り巻く深く豊かな熱帯雨林によって、多くの旅人の好奇心を掻き立ててきました。
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