Pythonのお勉強 Part76 (178レス)
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(1): (ワッチョイ 1fc0-q6Sd) 11/11(火)10:40 ID:Ucbt2Fbj0(1/2) AAS
思想性というのは、オブジェクト指向とか関数型への拘りとかそういう方面ではなくて(むしろ、そういうパラダイム的な話にはPytnonは無節操な方だと思う。)、明白な方法が1つだけある方が良いとか、オフサイドルールとか、pythonic という価値観とかの話だよね。
たしかにオフサイドルールとかは(個人的には結構好きなんだけど)嫌いな人は徹底的に受け付けないみたいだから、思想性が「強い」かどうかはともかく、合う合わないはある言語だと思う。

個人的にはpythonic という言葉はあまり好きではないんだよね。技巧的でなく分かりやすいコードを指してpythonicと表現するというのは分かるんだけど、何をもって技巧的とするかは人によって異なるから、具体的なコードに対する表現としてはあまり適切でないことが多いように思う。
111: (ワッチョイ 1fc0-q6Sd) 11/11(火)14:09 ID:Ucbt2Fbj0(2/2) AAS
技巧的でないことを良しとする価値観自体は(個人的には)共感できるし、そういう抽象的な価値観を表す語として用いるのは全然構わないんだけど、具体的なコードとか仕様を対象にそれがpythonicであるとかないとかいうのは、どこからを技巧的と考えるかが人によって違いすぎるのであまり意味がないと思うんだよね。

たとえば内包表記なんかはPythonの特徴的な(といってもHaskellから取り入れたものらしいけど)言語機能を使っているという意味ではPython的(pythonic)なコードだけど、初心者にはなかなか馴染めない人もいるらしいし、そういう人にとっては技巧的でないという意味でのpythonicなコードではないことになる。
また、ライブラリに新仕様が追加されたときなんかにも、新仕様はpythonicではないように感じるというコメントがされているのを見たことがあるけど、自分は別にそんなふうには感じなかったし、本当に人によると思う。
pythonicという言葉が独り歩きすることによって、そういうマジックワード的な使われ方をするようになっているのがあまり良くないんではないかとはわりと思っている。
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