【イエス】統合・修道スレ122【キリスト】ワッチョイ (261レス)
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164: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)14:01 ID:yvwa/yU10(1/7) AAS
>>162
まあ俺の考えが妄想としても…
自己の信仰の在り方によって全ての事が掛かっているように
心構えし、用心警戒し、常に悔い改めておく、
のは悪いことではないかと…

ああしかしまた
「偶然という形での超自然的示現」
を求めてしまったのは間違いだったと
改めてカルメル山登攀読みしみじみ反省

超自然を求めるなかれ
主はそれを憤り給う
御子によってすべての答えは出されているのに
その上で超自然的示現を求めるのは十字架上にて息引き取る時
旧約時代での預言者に尋ねたり神に超自然的示しを請うのを含め終わったという、
「事なれり」と言ったキリストに、もう一遍死ねと言うのも同じ、と
165
(1): 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)14:06 ID:yvwa/yU10(2/7) AAS
8月27日(水)

今日の出来事
フランシスコ会員ペドロ・バウチスタ神父来日。豊臣秀吉に謁見(1593年)/
ジェロニモ「・デ・ジェズースたちフィリピン総督の第3次使節団として平戸着(1594年)/
ルチュルデュ、オーギュススタン高と共に那覇を去り香港に帰る(1848年)
ロシア国使節、条約文言からキリスト教禁止条項を除去させる(1857年)/
長崎のフランシスコ第3会員ら殉教(1627年)/
幕府、諸大名の老臣にキリシタン禁制と蛮船追放の法令厳取を命じる(1639年)/
聖ヴィンセンシオの宣教会来日(1949年)/
聖パウロ女子修道会、大阪に修道院設立(1951年)/
ブラジルのカマラ大司教帰天(1999年)

今日のことば
イエスさまが求められるのは、 偉大なわざではありません。
委託と感謝だけです。
果てしない愛に信頼してすべてを主にささげる人は、 なんと少ないことでしょう。 手紙 196

今日の聖人
聖モニカ
外部リンク[php]:www.pauline.or.jp
今日の聖書個所と一言
外部リンク:seseragi-sc.jp
166: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)14:32 ID:yvwa/yU10(3/7) AAS
常に主イエズスの御言葉と常識的判断と照らし合わせ
答えを探さねばならない…のか

「どんな形であるにせよ、
例外的な道によって何かを受け取るようなことがあるならば、
直ちにはっきり率直に、全部包み隠さず霊的指導者に告げることである」

ああ…神との・聖書との一人問答や
信仰過程での幻覚・幻聴・不思議な感覚・偶然あれこれなどについて
1年365日神父と寝起きしいちいち忠告と指示仰ぎたい

「私の名において二、三人集まる所には私はその内にある」
であって
「ただひとりいるとき、わたしはそこにある」
とは言われなかったことである、とカルメル山登攀に書いてある

今はとにかくもっとこの本読まねば
169: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)19:19 ID:yvwa/yU10(4/7) AAS
週日の福音解説〜水曜日編〜
白く塗られた墓、暴かれる信心(年間第21水曜日)
外部リンク:www.sanpaolo.jp
イエスが律法学者とファリサイ派に向けて語る「七つの災い」の中の一部であり、
その言葉の鋭さ、怒りの熱さは、
単なる宗教的論争を超えた
神の義と人間の宗教の衝突を象徴する場面です。

信仰が「自己を神の前に開く謙遜な応答」から、
「他者に対して閉ざされた支配の道具」へと
堕落する危険がここに描かれています。

しかしイエスはその自己免罪的態度こそが偽善だと断じ、
「あなた方は殺した者たちの子孫だ」と宣告します。

 最後の一言、「あなた方は、先祖の升(ます)を満たすがよい」は、
神の裁きの時がすでに満ちようとしていることを暗示します。
人間が積み上げてきた偽善と拒絶の歴史が、
やがて神の怒りを招くに至るという、
終末的預言的語りがここに凝縮されています。
170: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)19:24 ID:yvwa/yU10(5/7) AAS
ファリサイ派や律法学者たちの問題は、
律法を大切にしていたからではありません。
むしろ、律法という神の贈り物を
「自分たちの義」を確立するためのツールに変えてしまったからです。
信仰はいつでも、神に仕える営みから、
人を裁く手段へと変質しうる危険を孕んでいます。

 イエスは「白く塗られた墓」という比喩で、
外側の清さと内側の腐敗という対比を通して、
形式的敬虔さの危険性を暴き出します。これは単なる道徳批判ではありません。
むしろ、神の目に見える真実とは何かという、存在論的な問いを突きつけるものです。
 また、預言者の墓を飾る行為は一見敬虔でありながら、
過去の神の声に形式だけ応答しつつ、
今を生きる神の声には耳を塞いでいるという皮肉を浮き彫りにしています。

 ここにあるのは、
宗教的アイデンティティの安定を求める人間の傾向
に対し、
神が絶えずそれを破壊しようとされる姿です。
神は、自己正当化や形式の内に安住する私たちを、
「心の中心」での応答にまで導こうとされます。
171: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)19:26 ID:yvwa/yU10(6/7) AAS
 このたとえは、現代に生きる私たちにとっても
極めて挑戦的な問いを突きつけます。
私たちは、外側をどれほど整えていても、神の目には内側が見えているという現実を、
どれほど真剣に受け止めているでしょうか。
 私たちは、自らの信仰を「白く塗った墓」にしてしまっていないでしょうか?
礼拝に出席し、奉仕をし、祈りを捧げながらも、
内側では他者を裁き、赦さず、心を閉ざしている。
神の言葉に耳を傾けるふりをしながら、
自分の価値観の枠内でしか神を受け入れようとしていない。
そのような自己欺瞞こそが、イエスの語る「偽善」の本質です。

 また、過去の信仰者を尊ぶ一方で、現在の預言的な声、
すなわち社会の周縁から語られる叫びや、
既存の教会構造を揺さぶるような批判に対して、
私たちは耳を塞いでいないでしょうか?
預言者の墓を飾りながら、生ける神の声を殺す——それが、この世代の信仰の危機です。

172: 怒りの子 (ワッチョイ 0398-4hEK [2400:4050:a960:6400:*]) 08/27(水)20:35 ID:yvwa/yU10(7/7) AAS
予報で涼しいらしいので
明日免許更新行きたいがさて
夜になっても顔がボカボカする熱さ
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