「辺野古」基地建設の、呪い(のろい) (79レス)
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抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん
69: 2024/12/08(日)17:34 ID:3+sovWOE(1) AAS
>>67
逆だな。実際はオール沖縄の沖縄教員と米軍が、日本兵を虐殺しまくっていた。米軍は
ナチのように今のキャンプシュワブなどに強制収容所を作り、生き残った県民20万人を
国際法違反の住民の強制収容やって、飢えとマラリアで1/4の5万人を大虐殺した。
米軍には既にディート(強力虫除け)やDDTがあってマラリアで氏ぬ米兵など皆無だったのに
自分達がやった違法な強制収容で、一般人がマラリアで苦しんで氏ぬのを笑って見てただけ。
それがオール沖縄の主張する『米軍の人道主義』だぜ、おおおぞましい(オェー
病的なウソつきのオール沖縄は自分達の戦争犯罪隠ぺいのために、米軍やオール沖縄による
凶悪犯罪を、ウソにウソを重ねて日本軍に責任転嫁しているだけ。どこまで卑怯なんだ??
鬼畜オール沖縄の沖縄教員は、自分達の安全のために老人・子供・少年を平気で殺害した。
オール沖縄は昔も今も、弱い立場の人を虐殺しないと気が済まない兇悪な殺人鬼集団(オェー
■「沖縄出身の日本兵」のこと
外部リンク[html]:wildhorse-depot.seesaa.net
◇日本兵を殺した沖縄人
さて、自分のことも云わなければなりませんが、米軍が本部半島や今帰仁に上陸すると
同時に、本部村と今帰仁村の村民は米軍によって全て今の名護市、もとの久志村に収容
されました。故に久志村に行った人々は飢えてましたが、今帰仁や本部は無人の村となり、
芋をはじめとする食べ物が沢山ありましたので、私達は久志村の山を越えて、四、五日おきに
本部や今帰仁の畑に芋掘りに行ってましたが、久志村の山では南部から生き延びてきた日本
の敗残兵が四、五人ずつグループをつくり、二百人近くいました。私達が歩いていると、飢えた
日本兵がよく「芋を下さい」と云って私達少年に頭を下げてきました。
ある日のこと元学校の先生が「山には日本兵がいるでしょう。その日本兵にこの手紙を渡して
下さい」と私達四、五人の少年が手紙を預りました。手紙の内容はよく分かりませんでしたが、
私達は本部に芋掘りに行く時に、途中の山に立て籠もっている日本兵に渡したのです。
その翌朝午前三時頃、激しい機関銃の音がするので、夜が明けてから行ってみると、昨日私達
が手紙を渡した日本兵です。後で知ったことですが、私達に手紙をことづけた元学校の先生は
手紙に「食べ物はあるから村まで取りにお出で」というような内容を書いていたようです。翌朝、
自分達がきのう手紙を渡した日本兵が田圃の中で死んでいました。昭和二十一年の秋でした。
沖縄は年に二度米が取れますが二回目の稲が青々と茂ってましたので、秋だと私は思ってます。
また島民を殺した日本兵と云えば、皆本土出身の日本兵と思うでしょうが、本土出身の
日本兵は沖縄の地形はよく知らず、同じ沖縄人をスパイ容疑で殺したのは現地で入隊した
防衛隊であり、護郷隊です。沖縄出身の日本兵です。
だから沖縄の作家達は、沖縄戦記を書く場合には「沖縄出身の日本兵」とは書かないの
です。ただ「日本兵」と書けば日本人は「本土出身の日本兵」と考えるでしょう。このように
沖縄人は自分達に都合のいい沖縄戦記を書いています。
私が一番今でも悲しい思いをしているのは、四、五十人の村人が大きな壕に避難していました。
一番奥には学校の先生や村の有志達が一番安全な所に坐り、子供達やお年寄りは弾除けのように
壕の入口に坐っている訳です。そのようにして犠牲になった子供やお年寄りが沢山います。
また或る日のこと、元学校の先生が、或いは村の有志が、私達十二、三歳の少年達に「喉が乾
いたので砂糖黍を取って来い」と云ったので、私達3人で砂糖黍を取りに行きました。その時に
二人の少年は、米軍によって艦砲射撃で殺されましたが、それがきっかけで、私は村人の壕に
帰らず、一人で居るハンセン氏病のお爺さんと沖縄戦を生き延びたのです。
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