雑談はここに書け!【67】 (498レス)
雑談はここに書け!【67】 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/
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307: 132人目の素数さん [] 2025/09/17(水) 07:14:35.55 ID:xGNccJij 『沼』か。見たことも 読んだこともないが・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC_(%E6%BC%AB%E7%94%BB) 沼 (漫画) 『沼』(ぬま)は、つげ義春による日本の短編漫画作品[1]。全28頁からなる[1]。1966年2月に、『ガロ』(青林堂)にて発表された[2]。 解説 つげのその後の表現上の転換となる画期的な作品。それまでの漫画界にはなかった表現主義的な作風が、さまざまな議論を巻き起こした。つげ自身、発表の翌年に初めて会った権藤晋(高野慎三)に対し「完璧に仕上がった」と自負している。ギャグ漫画の「ノンコ&甚六シリーズ」の『兄貴は芸術家』と同月に発表されたが、作風は全く異なる[2]。 それまでの作品とは絵柄も突然変って硬質なものへと変化し、説明としてのコマを一切排除し、丁寧なコマ割りとなり、非常に凝縮された構成をとる。内容的には成熟する手前の少女特有の神秘性、エロティシズム、少女の性的な存在感などがテーマとなっているが、つげ自身は具体的に何を描こうとしたのか説明できないと述べている。作中では少女と義理の兄との怪しい関係を匂わせているものの、ついにその実態は明かされず、唐突なラストシーンで終わる。 この終わりのないラストシーンの描き方は『李さん一家』、『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』などに受け継がれるが、読者が受けるその不思議な感覚やあいまいさこそが、つげが意図したものであった。 この作品は、白土三平との千葉県大多喜への旅行で寿恵比楼旅館に宿泊した際に、旅館の当時17-18歳の少女の、千葉の方言丸出しの言葉遣いがヒントとなり生まれた。つげはこの美しい少女の外観と言葉遣いとのギャップにエロスを感じたものの、作品にする際には千葉の方言では身近すぎてイメージが膨らまず、井伏鱒二の「言葉について」という作品に使われた山陰地方の方言を真似て使用した。実際は、つげが引用したのは井伏の造語であったが、後に井伏は「井伏鱒二全集」発刊時に正しい山陰弁に修正してしまう。つげが読んだのは、文庫本の古い版であった[2]。 ストーリーに関しては永島の影響は全く受けておらず、つげ独自の世界を余すことなく開陳した[2]。 当時のつげは生活苦に加え、精神的にも混乱し閉ざされており、虚無的であった[2]。 あらすじ ハンチング帽を被り森に狩りにやってきた主人公の青年は、沼のほとりで、おかっぱ頭の無表情な少女に出会う[1]。撃ち落としたはずの雁を探す青年に少女は、雁の胴体から切り離した頭を差し出す[1]。少女は青年を自宅へ案内し、2人きりにすると扉を閉め切って身の上話をする[1]。少女は部屋の中でヘビを飼っている[1]。少女は、このヘビは少女が眠っているときに首をしめにくると語り、「夢うつつなれど 蛇にしめられると いっそ死んでしまいたいほどいい気持ちや」との言葉を残して眠りに就く[1]。その夜、眠れない主人公は、そっと少女の首を絞める[1][2]。翌朝、少女の義兄は、見知らぬ男を家に泊めたことで少女を責めるが、少女はヘビが逃げたことをしきりに訴える[1]。主人公は1人、沼のほとりに立ち、対岸に向けて猟銃の引き金を引く[1][2]。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/307
318: 132人目の素数さん [] 2025/09/18(木) 20:50:45.87 ID:7g5jIWxi >>307 つづき マンガ週刊誌の前に、マンガ月刊誌の時代があった その一つに、月刊『少年』があった(下記) 1952年に手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』の連載が開始 横山光輝の『鉄人28号』 (横山光輝さん 晩年のマンガ『三国志』が有名 (1991年(平成3年)、『三国志』により第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞[6] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%85%89%E8%BC%9D)) 藤子不二雄A(当時は藤子不二雄)の『忍者ハットリくん』なども (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A6%E5%88%8A%E8%A1%8C%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C%E4%B8%80%E8%A6%A7 かつて刊行された日本の漫画雑誌一覧 光文社 少年(光文社 1946-1968) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4_(%E9%9B%91%E8%AA%8C) 少年 (雑誌) 『少年』(しょうねん)は、光文社発行の月刊少年漫画雑誌。1946年(昭和21年)11月に創刊、1968年(昭和43年)3月号をもって休刊。 歴史 創刊当初は戦前の『少年倶楽部』等の流れを汲み、A5判の読物中心の編集であった[1]。その中で江戸川乱歩作の読物として少年探偵団シリーズが連載され[注 1]、怪人二十面相と闘う名探偵・明智小五郎と、その助手の小林少年の話が喝采を浴びた。 しかし、『少年画報』や『冒険王』、『おもしろブック』などといった後発の少年雑誌が漫画や絵物語を中心とした編集で急成長を遂げると、同誌も漫画に力を入れるようになり、1952年に手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』の連載が開始され、1954年1月号からは他誌に追随しサイズがB5判に拡大される[2]。 昭和30年代(1955年 - )に入ると横山光輝の『鉄人28号』、堀江卓の『矢車剣之助』といった漫画の連載で弾みをつけ、さらに30年代の後半には白土三平の『サスケ』、関谷ひさしの『ストップ!にいちゃん』、藤子不二雄A(当時は藤子不二雄)の『忍者ハットリくん』といった人気漫画作品を次々と生み出し、少年雑誌No.1の地位を『少年画報』から奪い取った。また、同誌は付録にも力を入れ、別冊付録としての小冊誌(漫画,ノンフィクション小説)が何冊も付いた他、様々な小物が付録として付けられる時もあった。 このように一世を風靡した少年月刊誌のひとつであったが、昭和40年代(1965年 - )に入ると他の月刊誌同様、テレビと少年週刊誌の台頭によって売れ行きが伸び悩むようになり、1968年3月号限りで休刊を余儀なくされた。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/318
378: 132人目の素数さん [] 2025/09/25(木) 13:39:20.09 ID:Ok/MwhnH >>307 沿革レスすまん google検索:もっきり屋 とは (こういう回答は、AIは かしこそう ですね) AI による概要(AI の回答には間違いが含まれている場合があります) 「もっきり屋」とは、お酒(主に日本酒)をグラスからなみなみと注ぎ、溢れるくらい提供する「もっきり」という提供方法や、その提供を行う店・酒屋などを指す言葉です。また、特定の店舗名として使われることもあり、コーヒー店や古書店などにも「もっきり屋」という名称の店舗が存在します。 「もっきり」とは 由来:江戸時代、日本酒が量り売りされていた頃の「盛り切り」という習慣から生まれた言葉です。 意味:お店のサービス精神として、コップから溢れるまで日本酒をなみなみと注ぐことです。 地域性:主に東北地方などで「もっきり」という言葉が使われていました。 「もっきり屋」の使われ方 1.提供方法・店名:日本酒を「もっきり」で提供する店、またはそのような店を指す言葉として使われることがあります。 2.特定の店名:特定の店名として「もっきり屋」という名前が使われている場合もあります。例えば、金沢には喫茶店兼バーの「もっきりや」があり、大阪には古書店の「もっきりや」があります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1736754850/378
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