[過去ログ] さやか「黄金の……狼……」 牙狼―GARO―魔法少女篇 第二夜 (1002レス)
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921: ◆ySV3bQLdI. [ saga] 2012/12/31(月)23:48 ID:kS6KKwzDo(1/5) AAS


 一人の女がいた。
 女には恋心を寄せる男がいて、男も女の想いに応えた。
 仲が危うくなることも多々あったが、二人はそれすら糧にして愛を育んだ。
ひとつ荒波を乗り越えるたび、互いの絆は強固になったと信じられた。
 
 彼はヴァイオリニストで、将来を嘱望されていた。
 道半ばで限界を感じて挫折した女は、彼の才能を信じ、夢を託した。

 せめて自分は支えになろうと、献身的に尽くす女。
 期待を背負い、才能を開花させていく男。
 二人は幸せだった。
 
 しかし、幸せ過ぎた時間は唐突に対価を求める。
 幸せは長く続かない。月並みな台詞だが、優しく緩やかな時間は何の前触れもなく終わりを告げる。
それも考え得る最悪の形で。
 
 ある時、男が事故に遭った。
命に別状はなかったが、ヴァイオリニストの命である手――左手の感覚が失われた。

 互いに依存し合う関係は、一方が崩れると共に大きく揺らぐ。
 それでも女は男を懸命に彼を励ましたが、必死のリハビリの甲斐なく、
左手は永遠に戻らないのだと医師に告げられ、男は絶望した。

 そして遂に、その日が訪れる。
 夕方、街外れに佇む廃ビル。その屋上、フェンスの外側に男は立っていた。 
 冬の寒風に晒されながらも微動だにせず、諦めきった寂しげな瞳で遠くの空を見つめる。
落ちかける夕陽が妙に眩しくて、男の頬を一筋の涙が伝う。
922: ◆ySV3bQLdI. [ saga] 2012/12/31(月)23:50 ID:kS6KKwzDo(2/5) AAS
 何分くらい、そうしていただろう。
 靴を脱ぎ揃え、いよいよ死への一歩を踏み出そうとした、その時。
 屋上のドアが勢いよく開かれた。

 現れたのは女。
 フェンスを挟んで、涙ながらに説得を始める。
 だが、男は拒んだ。それどころか女を激しくなじった。
 
 お前が好きだったのは俺の才能だろう、と。
 自分が諦めた夢を押し付けるな、と。
 俺はお前の代理でも夢の道具でもない、と。

 そんなふうに思われていたことは内心ショックだったが、女は怯まなかった。
 彼は正常な精神状態ではない。
 だから、すべてが本心だとは思えない。いや、思いたくなかった。

 押し問答が続いて数分。
 このままでは埒が明かないと、女もフェンスを乗り越えた。
 一歩進めば墜落死は間違いなしの狭い足場。強風も相まって、足の震えが止まらない。
 そんな場所でも、女は呼びかけ続けた。

 もう一度、抱き合えば心がわかると思った。
 想いは伝わると思った。
 これまで、ずっとそうだったから。きっと、今度もそうに違いないと。

 男は女を突き放した。
 だが、それは彼女の為というより、静かに迎える最期の時を邪魔されたくない感情が強い。
 すれ違う気持ちに打ちのめされ、女も平静さを失っていく。
923: ◆ySV3bQLdI. [ saga] 2012/12/31(月)23:51 ID:kS6KKwzDo(3/5) AAS
 
 感情を爆発させた女は抵抗にも構わず、必死に、半狂乱の勢いで男に迫る。
 縋る女と、拒む男。
 二人は不安定なビルの外縁で揉み合い――。

 不意に、女の両手が男を押した。
 踏ん張りが利かず、男はぐらりと揺れ、そして。 
 後退ったそこには、何もない。

 男の身体が空中に投げだされた瞬間、時間が止まった。
 いや、止まっていたのは時間ではなく、女のすべて。
 ただただ、景色だけがスローモーションで流れていく。

 視線が交差する。
 その目は驚愕に歪んでいた。
 何が起こったのか理解できていないのは、彼も同じ。
しかし、ほんの一瞬、理解が追い付いた彼の瞳に浮かんだ感情。
 
 烈しい怒り。
 絶望と諦めを凌駕する怒気は、男の最後の尊厳すら奪ってしまったからなのか。
 言い訳も謝罪も許さず、男は女の前から消え去った。
 永遠に――。
924: ◆ySV3bQLdI. [ saga] 2012/12/31(月)23:53 ID:kS6KKwzDo(4/5) AAS
 男は女の希望そのもの。
 その希望が今、自身の手で、音を立てて壊れた。
 想像よりもずっと小さく呆気ない落下音。それだけに現実味を伴って耳に響く。

 下を覗く勇気もなく、金網を握り締めて放心していた女だったが、
やがて曖昧な足取りで左右に揺れながら一階に下りる。

 自分の目で確かめるまで信じない。
 もしかしたら、もしかしたら、まだ息があるかもしれない。
いや、男が事故に遭った日からすべてが悪い夢だったのかも。

 甘い期待は、玄関を抜けた瞬間に砕け散った。
 そこに転がっていたのは、物言わぬ姿になり果てた男。
血溜まりに横たわる恋人に、女は掛ける言葉を持たなかった。
 
 抱き起そうと後頭部に触れると、ぬるりとした感触。
 手にはめた白い手袋が、見る見るうちに赤く染まっていく。

 ようやく実感した。
 愛する者は死んだ。
 自分が殺したのだと。
 
 女は跪き、声にならない嗚咽を漏らした。
噛み殺した慟哭は低く、獣染みた唸り声にも感じられる。
 女は悲しむ以上に、恐れていた。

 男がいなくなったことを。
 その手に掛けてしまった事実を。
 そして、自身のこれからを。
925: ◆ySV3bQLdI. [ saga] 2012/12/31(月)23:55 ID:kS6KKwzDo(5/5) AAS
 男が死んで、夢も希望も消えてなくなった。
 けれど、自分には後を追う資格すらない。
もしも死後の世界なんてものがあるとして、そこで彼に会ってしまったら――などと考えたりもした。

 こんな世界に意味はない。世界は終わったも同然だった。
 でも現実は違う。誰が死のうと世界は回る。
また明日は来る。愛した男のいない、暗く、重く、辛いだけの明日が。

 そこで、彼を殺した自分に課せられる役割は何か。
単に社会的な裁きだけでなく、自分を取り巻く世界はどう変わるのか。
 想像した女は、辛うじて嘔吐を堪えた。
 声を張り上げて泣き叫ばなかったのも、その恐れに起因していた。
 
 数分後、幽鬼のような表情を浮かべた女は行動を始めた。
無我夢中で、それでも手だけは別の生き物のように丁寧に。

 自分が、その場にいた痕跡を消していた。

 頭の中で冷静さを保ったままでいる意識の一部が急き立てる。
 日没までに済まさなければ。
 内なる声に従って、女は動く。証拠の隠滅が困難でない間に手早く。
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