[過去ログ] 石田三成の挙兵 ★10 (1002レス)
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899(2): 07/27(土)22:15 ID:P0xz+7id(2/2) AAS
AA省
900: 07/27(土)22:33 ID:owzwOfYo(1) AAS
>>899
女人の方々は皆さん仮病を使ってまで同行を避けるほど禿げ鼠を嫌悪している--と。
空気を読めよ、猿。
901: 07/27(土)22:54 ID:M/bzaYoQ(2/2) AAS
>>899
これ知らなかった
いいねいいね
902: 07/28(日)18:58 ID:3ffmMOhR(1) AAS
>>895
松尾山を取られさえしなければ、大垣で対陣はそこまでおかしくない。
大垣から後方を襲われることを考えたら、東軍も関ヶ原方面になだれ込むことは出来ない。
少々兵力が少なくても大垣城で防御側の有利を取りながら後詰に南宮山勢。
城攻めからの決戦になるか、逆に1~2ヶ月は睨み合いになるだろうから、
その間に田辺、大津、四国等の各方面の決着をつけるというのは悪い選択ではない。
まあ松尾山取られたら一瞬で瓦解するわけだが。
903(1): 07/28(日)19:54 ID:+9X3R2Nn(1) AAS
家康は来た。輝元は来てない。って時点でも大垣対陣は崩壊してるのよね。
西軍は勝ち目が無くなったんで家康が攻めだす前に逃げださないといけん
904: 07/28(日)20:03 ID:mnLlc7gK(1) AAS
>>903
「ゴール地点」は関ヶ原ではなく大坂城なのだから、輝元が動いてはダメなのでは?
905: 07/28(日)20:03 ID:b80BU4rO(1) AAS
承久の乱に負けた後鳥羽上皇みたいだな
906: 07/28(日)20:23 ID:HZzgfmMm(1) AAS
西軍の西国大名たちは大坂を捨てて自国に逃げるという選択肢を残しておきたいからね
あまりにも東に行って戦闘をしたら自国に逃げることができなくなる
関ヶ原や大垣あたりなら東国大名だけで戦ってほしいというのが西軍の多くの西国大名の本音だろう
907: 07/29(月)11:03 ID:Rv47Sl1C(1/2) AAS
いろいろ仮説は立てられるが、南宮山隊に連絡しなかったという点が作戦系仮説を崩壊させる。
連絡が行ってるなら、
東軍についた秀秋を攻撃する素ぶりを見せて
秀秋救援に出てきた東軍を関ヶ原で包囲殲滅するとか、
守りの薄そうな垂井方面から攻勢を掛けるとか
考えられるなと思ったが、
南宮山に連絡してないのでは作戦が成り立たない。
可能性としては大垣勢だけで足りるなんらかの作戦だったか、
単なる陣替えだったか。
大垣に守備隊を残し、かつ後詰に来た隊に無断で撤退とか考えられない。
もし撤退なら全軍で夜間のうちに近江に入るはず。
だれかがしんがりやることになるだろうけど。
あとは、大垣勢が毛利の不戦密約に気付いての行動だったか?くらい。
908(1): 07/29(月)11:08 ID:Rv47Sl1C(2/2) AAS
もうひとつ可能性があるわ、
実は作戦内容は大垣勢から聞いていたし南宮山も
連携する手筈になっていたが、
戦後毛利は、そんなことは知らないし聞いてなかったことにした。とかかな。
909(1): 07/29(月)12:15 ID:iMjMQKJt(1) AAS
>>908
それだと毛利吉川はともかく、安国寺や長宗我部が動かない理由がない。
少なくとも大垣への道が封鎖されていたわけではないし。
910(1): 07/29(月)16:23 ID:9f6eVbc6(1/2) AAS
>>909
作戦内容次第だと思うなぁ。
頃合いを見ての総攻撃、とかだったら、
抜け駆けすると作戦が台無しになる、
軍律違反でもある。
それと吉川の二重引きに見えた、
というのもよく考えるとおかしくて、
なぜお前は大垣勢の夜間行軍が「見えた」のかと。
それも二重引きに見えた、と、
なにか知っていないと夜間にそうは見えないのじゃないかと。
三角山の長曾我部陣の篝火を目標に行軍したならば、
行軍隊は灯火管制もしてたはず。
それを吉川は見えたのかと。
911: 07/29(月)16:29 ID:9f6eVbc6(2/2) AAS
ごめん、栗原山だったかな。
912: 07/29(月)23:38 ID:nRQ3cQ+1(1) AAS
>>910
数万もの軍勢が事故も起こさず進んでいけるほどの明るさで見逃すほうがおかしくない?
仮にそんな完璧な隠密行軍が出来るなら、赤坂・垂井を襲えばよかったじゃん。
見えない軍勢による奇襲、家康の首取れたでしょ。
913(1): 07/30(火)15:25 ID:7rBU2/xY(1) AAS
とりあえず大垣城出て栗原山を右折するまでは灯火管制しないとバレるだろ、
そこから先は多少松明つけても山影で見にくくなるが。
天候小雨なら大して月明かりもなかっただろうし
ほぼ暗闇だったんじゃないかと思う。
現代でも田舎の山あいとか行くと夜は真っ暗。
914(2): 07/30(火)18:20 ID:E3WxZ/8Z(1) AAS
>>913
そんな暗さで整備されてない道を集団で歩いてみ?
転倒、衝突、道迷いでまともに行軍になんてならないから。
そりゃあ鍛えた数百人程度の部隊なら出来なくはないかも知れないけど、
西国出身の土地勘もない農民兵が万単位だぞ?
現実はゲームのようにはいかんよ。
915: 07/30(火)20:07 ID:853+p6hA(1/2) AAS
>>914
昔から疑問だったんだが農民兵だったのか?
戦闘職種に農業を副業としている人間はいただろうが
外部リンク:clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp
この一連の木曽義昌の書状読むとそう思えないんだよね
(小牧長久手絡みかな)参戦して戦働きすれば
百姓なら中間に、中間ならかせもの(悴者、侍身分の武家奉公人)になすと書かれている
実際に首一つ取って中間として取り立てられた人、やはり中間の夫丸になった人の朱印状もある
非常時だから米ばらまいて身分のエサもつけたが、普段は農民は(荷物運び除いて)参陣することがなかった証拠だと思うんだよね
逆にいえば普段は悴者以上の武士身分だけが戦闘に参加していた
916: 07/30(火)20:16 ID:MfT64OrN(1/2) AAS
戦闘員は基本的には農民じゃないね。
軍勢の半分を占める非戦闘員のうち輸送員とかしてる陣夫などは農村から集められる農民
917(1): 07/30(火)20:20 ID:MfT64OrN(2/2) AAS
ただ身分が流動的な時代だし本百姓階級の足軽レベルなら暇なら当たり前に農業も手伝うだろうし
918(1): 07/30(火)23:48 ID:853+p6hA(2/2) AAS
>>917
書いたことや引用した史料を理解してる?
悴者からいわゆる「足軽」といえる最下級の武士身分
身分の流動性が高いことと身分を一緒にしちゃいけないよ
それに百姓が戦働きしても中間にしかなれないという規定
919: 07/31(水)00:16 ID:nk78Xt53(1/2) AAS
武田の軍役衆だと税金を半分は軍役で半分は年貢で払ってる者もいるねー
920: 07/31(水)00:18 ID:nk78Xt53(2/2) AAS
>>918
その百姓は本百姓ではないんじゃないの
921: 07/31(水)02:43 ID:rXHo8YuT(1) AAS
いくら戦国時代でも足軽は武士じゃない
雑兵って言われる類の者を武士と呼ばない
922(1): 07/31(水)03:11 ID:CsLxP3UY(1/2) AAS
誰か家康と刺し違えて豊臣家を救う忠臣はいなかったのか
923: 07/31(水)08:07 ID:wA4RsW5P(1) AAS
別に家康が朝鮮を攻めろ・関白を殺せと強要したわけでもないのに
無関係な家康と刺し違えろなんておかしな話だろう
あくまで秀吉と奉行がやりたい放題やって豊臣家を傾かせただけに過ぎない
既に秀吉は死んでいるから、やるなら奉行と刺し違えて豊臣家を救うしかない
それは福島を始めとした東軍の忠臣たちが実行している
924(1): 07/31(水)08:18 ID:0pCCB+qj(1/3) AAS
>>922
本当に豊臣を救いたいのなら、むしろ西軍の挙兵を止めるべき
「政権崩壊を起こしかねない天下大乱を誘発するような暴挙はやめろ!」って
そもそも関ヶ原前の家康の立場や権威は豊臣政権が保証しているんだから、
別に家康が豊臣政権を否定する理由がない、政権内での権勢さえ高めれば徳川は安泰なのだから
ところが西軍の挙兵はその前提をぶち壊したわけで、豊臣政権内での権勢拡大=徳川の安泰に
繋がらなくなった以上、徳川が豊臣政権を見限るのは当たり前だ
豊臣政権の継続って観点で見れば、西軍は本当に余計な事しかしていない
925: 07/31(水)09:04 ID:GBvHo3QU(1/2) AAS
>>914
基本、先頭は道案内役でしょ、先頭は石田隊だったようだし
東軍木曽川渡河上流組の道案内役は一柳、
かなりの損害を出したようだけど。
それとそれなりの期間大垣にいたら
少なくとも見える範囲くらいの地形は嫌でも覚えるでしょ。
926(2): 07/31(水)09:32 ID:CsLxP3UY(2/2) AAS
大河ドラマ「葵徳川三代」が放送された頃は、三成が豊臣家を守ろうとする忠臣で、家康が
豊臣家を簒奪せんとする奸臣。これが他のドラマや小説にもよく採用されていたのに、なぜ今は
三成が悪者になっているのだろうか……
927: 07/31(水)10:03 ID:dP2mkWbD(1) AAS
三成の挙兵の発端は、豊臣家への忠誠だったかもしれない。でも、西軍のやったことは秀頼のことより、自己の利益を優先し、豊臣政権を崩壊に追い込む内容が多いからな。
多数派工作のうちに変わっていってしまったのか。
928: 07/31(水)10:18 ID:GBvHo3QU(2/2) AAS
荷駄隊は荷駄捨てさせて戦闘参加させることもあるんだから、ニ線級部隊戦力として捉えておけばいいと思うが。
929: 07/31(水)11:18 ID:iF7RYlkz(1) AAS
>>926
今も変わらないと思うけど
家康が野心というより自己防衛のために豊臣家から簒奪したって感じで動機は変わってきたと思うけど
930(3): 警備員[Lv.7][芽] 07/31(水)11:35 ID:z7wttsyE(1) AAS
>>924
関ヶ原の戦いがなければ
大阪の陣はなかったのですかね
そして令和の時代でも豊臣の子孫が政治に?
931: 07/31(水)11:55 ID:0pCCB+qj(2/3) AAS
>>926
徳川が藤原氏ポジションに収まってる以上、推戴する秀頼を否定する理由が別にないので
秀頼が神輿役を受け入れる限りは秀頼VS家康で大坂の陣が起きる事はないだろう
勿論子孫の代で関係が破綻する可能性はゼロではないがそれを言い出すとキリがない
後最後の行は夢見すぎだと思う
932: 07/31(水)11:56 ID:0pCCB+qj(3/3) AAS
あ、間違えた>>930ね
933(1): 07/31(水)17:16 ID:Ke9wd2A9(1) AAS
>>930
秀吉の姉の系譜が今生天皇まで繋がってはいるから、滅びなければ直系が繋がった未来は普通にありえたと思うよ。
934: 07/31(水)20:26 ID:hIcn4KYT(1) AAS
>>930 > 豊臣の子孫が
>>933 > 直系が繋がった未来
豊臣(?)秀頼「そう。子孫だ。直系だ。繋がっている。余計なことは考えるなよ。いいな?わかったな?」
935: 07/31(水)21:12 ID:0YHo5t3O(1) AAS
秀頼のことなら秀吉が公認して家督も継いでるから
血の繋がりなど当時はどうでも良かった
現代だと異論が出たろうけど
936: 08/01(木)17:18 ID:d0MT0i/S(1) AAS
どこに所属してるかが重要であって血の繋がりどうでもいいのはまじだよな
だから養子に出したりするし
937: 08/01(木)19:24 ID:b5qQHTWw(1) AAS
どうでもよくはないだろ
確実に確かめるすべがなかっただけや
938: 08/01(木)19:31 ID:5+0JqZLc(1) AAS
血の繋がりがどうでもいいなら関白になれない幼童に固執しちゃダメだったろう
トップの関白不在が政権動揺と崩壊の原因にもなったんだから
まあ他に養子にして関白にできる奴いるかって話になるし
そもそも幼童ではなれない役職を政権トップにした秀吉のミスだったわけだが
939(1): 08/01(木)22:05 ID:vuWxUAQi(1) AAS
三成は豊臣家最高の忠臣であったが、その義と忠に対して力が無さ過ぎた
奸臣家康は野心も実力も超級だった
940(1): 08/01(木)22:51 ID:N6eJKyc+(1) AAS
三成が大谷吉継の膿が落ちたお茶を気にせず飲み干したてエピソードて出典不明なんですか?どの軍記物にもないと聞きました。
941: 08/01(木)23:11 ID:+8l1L+Nw(1) AAS
>>939
病気の方は信忠スレに引き籠もっていて下さいね
942(1): 08/02(金)08:17 ID:sdTNviLN(1/2) AAS
>>940
忘れたけどあるはず
ただ最初は秀吉が飲み干したのがいつの間にか三成になったらしい
943: 08/02(金)13:06 ID:yqzZ3qb0(1) AAS
大谷の茶の逸話はそんな状態で茶を飲む大谷の常識の無さのほうが際立つ
自分が大谷なら気を使って茶を飲む真似事でやり過ごすとか気を使う
944: 08/02(金)13:58 ID:5mXaGy4D(1) AAS
そもそも癩って伝染する(と思われてた)のに集団に混じるのがおかしいよな
945: 08/02(金)15:11 ID:eD2v9MW8(1) AAS
言われると確かにw
家で寝てろよな
それをドヤ顔で飲む奴もキモいわ
946: 08/02(金)15:46 ID:21bD5/Dn(1) AAS
そもそも創作話で叩くのがおかしいよ
947(2): 08/02(金)22:52 ID:eELSFyUE(1/2) AAS
>>942
大谷吉継の茶会のエピソードについて知りたい
回答
・本郷和人『戦国武将の明暗』(新潮社、2015年) 31p
→「あるとき、秀吉の茶会に招かれた諸将が、名物の茶碗に入った茶を一口ずつのみ、次の者へ回していきました。けれど吉継が口をつけると、あとの者たちは飲むふりをし始めました。彼がいわゆる業病にかかっていたため、感染を怖れたのです。しかし、石田三成だけは、なにごともないように茶を飲んだ。感激した吉継は、三成と刎頸の交わりを結びました」
茶会エピソードの出典について
・本郷和人『戦国武将の明暗』(新潮社、2015年) 32p
→「この茶会のエピソードは、よく人口に膾炙しています。歴史を好きな方なら、ご存じではないでしょうか。ところが、ところが。これまた、典拠がわかりません。調べてみたのですが、江戸時代に遡ることが難しい。明治から大正にかけてのジャーナリストであり、政治家であった福本日南の本(『英雄論』1911年刊)では、三成ではなく、秀吉の話として載っている。これがぼくが知っているものとしては一番古い」
これは出典といえないよ
948(1): 08/02(金)23:05 ID:sdTNviLN(2/2) AAS
>>947
つまりそこが出典なんだろ
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