[過去ログ] 第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-12 (546レス)
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328: 【戦国時代支援 辞世の句紹介3/7】 2008/06/13(金)20:20 ID:Llbrstvu(4/13) AAS
『大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流』
武田信玄(1521-1573)甲斐(現山梨県)の戦国大名。甲斐守護の名門武田家の当主として信濃国をほぼ平定
信濃を巡っての、上杉謙信との五度に渡っての川中島の合戦は特に有名。第四次川中島は双方死闘となる
その後も今川・北条・徳川等と戦い勝利を重ねるが、将軍による信長征伐令に応じて上洛(京へ上る)途中に病没
『四十九年一睡夢 一期栄華 一杯酒』
上杉謙信(1530-1578)越後(現新潟県)の守護代、長尾家の生まれ。大の酒好きと伝えられる。北条氏康に追われた
関東管領上杉家に頼られて管領と家督を相続して上杉を名乗り、北条・武田と激戦を繰り広げる
後に織田家と対立し、手取川の戦いで信長の軍勢を撃破するが、その次の遠征準備の最中に急死。
『なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして』
今川氏真(1538-1614)桶狭間で信長に打たれた父、今川義元の後を継いで今川家の当主になるが、
武田家に攻められ大名家としての今川家は滅亡。徳川家に庇護されて生き長らえる事となる
和歌や蹴鞠などの技芸に優れた文化人であった。父の仇の信長の前で、得意の蹴鞠を披露したとの逸話も残っている
『思ひ置く言の葉なくてつひに行く 道は迷はじなるにまかせて』
黒田孝高(1546-1604)通称・官兵衛。優れた智謀を持ち、秀吉の家臣時代は竹中半兵衛と共に両兵衛と並び評された
信長横死の際に秀吉に「御運が開かれる機会が参りましたな」と言い、秀吉にその野心を恐れられた
関ヶ原の役では東軍として九州で挙兵。一説では九州を平定した後に、家康と対決するつもりだったとも伝えられる
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