【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10 (521レス)
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339: 2021/03/09(火)22:18 ID:eTgY/MWt(1/4) AAS
今回は乙夜之書物から、前後に分かれている本能寺襲撃シーンをつなげて記します
一つ、明智弥平次、斉藤内蔵助は2000余騎にて本能寺に押し寄せると、早くも夜はほのぼのと明けた。水撒きの下郎(中間)が水桶を担いで外に出ると、敵が押し寄せている陣を見た。寺内に入って門を閉めようとすると「あの門を閉めさせるな」と押し詰め、門を打ち破って乱入した。
当番の衆が「これは何事だ」と慌てて出てくると、すでに敵は門内に押し込んぢた。おのおの鑓を持って縁側の上下で攻め合い、信長公は白い帷子姿で髪を乱して出てきて、弓にて座の敵を射た。弓の弦が切れたようで、弓は投げ捨て、十文字の鑓を持って攻め合った。そんなとこりに傷を負ったようで、白い帷子に血がついていたように見えた。鑓を捨てて奥に入ると、ほどなく奥の方から焼け崩れた。
一つ、番衆も随分働いたが、思いもよらぬことだったのでいずれも素肌でわずかの人数だった。敵は具足兜に弓鑓鉄砲を備え(以下は朝日新聞写真が途切れて不明)
ここまでが前半パート。番衆以下の部分はわかりませんが、その前の部分は明智方(というより斉藤利宗)の見た本能寺襲撃と明確に読めます。水撒きが出てきてから戦が起こり、信長が縁側の上から弓や鑓で戦い、けがを負ったようで白い帷子に地が染まり、奥に入ったら時間をさほど置かずに出火した経緯を明智方から目撃しています。乙夜のすごいのは次の、別部分に記された描写です
340: 2021/03/09(火)22:38 ID:eTgY/MWt(2/4) AAS
こちらのパートは本能寺内部から見た描写です
信長公は傷を負ったようで、明け方になって居間へ帰った。台所の方から焼亡したようで、煙がやってきた。信長公はどのように思ったのか、畳をあげて四方に立て掛けた。女房衆が4、5人(近くに)いたが、「いずれも出ろ出ろ」と声を掛けたので逃げでた。女房衆だったからか、敵も構わずに逃げることができた。
右の女房衆のうち、長生きしたものから聞いたと恒川斎仁が語った。
信長の(ほぼ)最後を見た人の証言がソースつきで残っている超重要史料です!恒川斎仁という人物については別スレ(信忠スレ)で詳述したのですが、身元の確かな人物です。こちらでものちに記そうと思いますが。
まず、惟任退治記と比較すると、十文字の鑓が共通(惟任退治記の原文では鎌で、後世の編者が鑓か?と付記)。ただし、付記はあくまで後世なので、乙夜が惟任退治記を参考にした可能性は考えられますが、やはり斎藤利宗からの情報と考えたいところ。信長公記では単純に鑓としており、肘に傷を負ったというのが惟任退治記、乙夜よりも詳しい点。
信長公記と乙夜の共通点は、女房衆に逃げろといっているところです。細かい文言は違いますが。こちらも乙夜が信長公記を参照した可能性はありますが、生き残りから恒川が直接話を聞き、それを乙夜著者の関屋政春に話している部分が目新しい
341: 2021/03/09(火)22:44 ID:eTgY/MWt(3/4) AAS
信長公記の情報元がだれなのかは謎ですが、逃げ落ちた女房衆とも容易に想像できます
少なくとも4、5人落ち延びた誰かから事件から遠くない時期に聞いたのでしょう
恒川は、長生きしたと特記している女房衆から聞いているので、同一人物か別人かは定かでないですが、太田牛一よりかなり遅れて聞いたのは間違いない
しかし、一つ言えるのは両史料ともかなり信憑性が高いといえそうだということです
また、内容も酷似しています
そこも信用がおけそうなポイント(信長公記から丸パクリしたとは思えない記述があるので)
342: 2021/03/09(火)23:00 ID:eTgY/MWt(4/4) AAS
とともに、惟任退治記とも大筋は同一である(愛妾と遊びふけって、ついでに殺したという部分以外)
いままでも陰謀論者以外はおおむね、信長が弓、鑓で戦った、けがをして奥に引きのいて火をかけた、という展開は信じられてきたと思います
そこにソースが(名前なし、間接とはいえ)示されたことが乙夜の画期ではないでしょうか
細かい話でいえば、信長が畳をあげて四方を囲ったところ
前後、原文では「信長公いかが思召たるか、たたみあげて四方に立かけたまう」
女房衆はその意味を理解していないんですが、なぜそんなことをしたのか
祖父物語では、森乱が信長の遺骸に畳5、6帖をかぶせたという記載があります
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