[過去ログ] キリスト教なんでも質問箱 (1001レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
333: 2011/08/14(日)07:50 ID:KSDmgIrs(3/11) AAS
神と物質が無関係に存在するだけなら、この世は死の世界である。
神と物質が関係することによって、生き物が誕生する。
 
この地上に人間や生き物がいるのは、苦しみ、罪にまみれるためではなく、
人間や生き物が神の目的になっているからではないのか。神の目的とし、
物質の目的としないのは、物質に意識があるとは考えられないからである。
ただし、意識の有無に関係なく、神と物質は対等な存在である。
334: 2011/08/14(日)08:12 ID:KSDmgIrs(4/11) AAS
神の目的は、この地上に人間や生き物を誕生させることにある?
そう考えないと、人間や生き物の存在を否定しなければならなくなる。
しかしこの考え方には異論もあると思う。
 
アミダ教やキリスト教やイスラム教は、ほんとうの人生は死後にあり、
極楽や天国や楽園での生活にあるのだと教えている。
グノーシスは至高神を設定し、この世を悪神の失敗作として切り捨てる。
省3
335: 2011/08/14(日)08:23 ID:KSDmgIrs(5/11) AAS
いずれにしろ、この世を否定する考え方には、基本的な欠陥があると思う。
いやなら死ねばいい。しかし簡単に死ねないのは、人間や生き物が元来、
この世で生きていくように設計されているからではないのか。
 
わりに現実肯定的な教えは、神道、ユダヤ教、儒教、道教などだろうか。
スキのない精緻さ、練り上げた宗教哲学は欠けるが、これらを土台に、
新しい宗教を構築していく必要があるのではないかと思う。
336: 2011/08/14(日)08:49 ID:KSDmgIrs(6/11) AAS
男と女は、この世(肉体・物質)に執着する度合いが根本的に違う。
一般的に言えば、弱い者、幼い者の方が自己愛が強く、この世に執着する。
なぜなら、そうでなければ、この世で育たないからである。
 
女性・子供・障害者・孤児などは、自己愛が強く、物質への執着心も強い。
それは当然なのであって、そうでなければ生きていけないからである。
こういった心の動きは、神が用意したものだろうと思う。
337: 2011/08/14(日)09:05 ID:KSDmgIrs(7/11) AAS
自己愛や執着心は、褒めるべきでもないが、けなすべきでもない。
それらは罪でもなければ、軽蔑すべきものでもない。
かれらは精一杯生きているだけである、などと思うべきなのだろう。
 
ただ、それが度を越せば、周囲は迷惑だなあ。
だんだん人が遠ざかって行くだろう。→ これが自然の流れである。
そうされたらかれらも軌道修正する。→ これが自然の流れである。
省3
338: 2011/08/14(日)10:26 ID:KSDmgIrs(8/11) AAS
弱い者、幼い者が自己愛が強く、執着心が強いのは当然である。
しかし、成長した時、自分が強くなった時、相手が自分より弱い時は、
自己愛から離れ、執着心からも離れるべきである。
相手への思いやりを学ばなくてはならない。これは男も女も同じである。
 
世間ズレした大の男が自分中心に行動するなら、
周囲にとっては危険きわまりがない。そういった男は周囲の災いである。
省2
339: 2011/08/14(日)11:03 ID:KSDmgIrs(9/11) AAS
男は家族を守り、所属する共同体のために戦わなければならない。
だから、死を直感し、生きる意味を探し始める。
男の重大な関心は、神探しであり、神がいるのかいないのかにつきる。
 
女は、子供を産み、育てなければならない。
そのためには、だれかの助けが欠かせない。自分の弱さを感じるがゆえに、
だれかに愛されたいという思いと、生活を成り立たせる物質への執着心に
省4
340: 2011/08/14(日)11:37 ID:KSDmgIrs(10/11) AAS
男は神探しをし、女は大地へと向かう。これは一般論に過ぎないが、
人類史上、ナントカ神と名がつく存在を考え出したのは、
すべて男だったのではないかと思う。
 
だからたとえば、ヒンズー教におけるシバ神の妻、パールヴァティーも、
ドゥルガーも、カーリーも、インドの男性が考え出したものであり、
男性の女性観がイメージされているのではないだろうか。
省3
341: 2011/08/14(日)11:56 ID:KSDmgIrs(11/11) AAS
女性が地母神として崇拝されたのは、土地が広く、自然が豊かであり、
子供がいくらでもほしい時代だった、からではないだろうか。
 
その後、人口が増え、土地を争うようになれば、働き手としても、
兵士としても男が必要であり、女の地位が低下していく。
地母神は見捨てられ、男神が信仰の中心になる。
 
省3
342
(1): Johannes 2011/08/14(日)14:07 ID:U4TijgGb(1) AAS
>>327の最初の前提に誤りがあれば、以後演繹された全ては誤りとなる。
そして最初の前提が正しいとは思えない。
343: 2011/08/14(日)18:24 ID:Pk98gFuU(1/5) AAS
>>342
もちろん絶対に正しいとは思わない。暫定的な仮説にすぎない。
女性の救い、女神や地母神など、ヨハネスに持論があるなら聞いてみたい。
こういったテーマは、宗教板になかったのではないだろうか。
344: 2011/08/14(日)20:25 ID:Pk98gFuU(2/5) AAS
すべての男性は、女性である母親から生まれ、育てられる。
もちろん例外はあるだろうが、男性は母親に対して恩恵を感じている。
   
あらゆる女性を将来の母親と思えば、女性に対する尊敬の念も湧き、
思いやりや優しさを示せるのではないだろうか。母親扱いせよ、ではなく、
母親に対するような思いやりや優しさを示せ、と言う話である。
そういう思いが常識になれば、女性だけでなく男性も大事にされるだろう。
省3
345: 2011/08/14(日)22:46 ID:Pk98gFuU(3/5) AAS
もう少し掘り下げるため、創世記3章「蛇の誘惑」を取り上げよう。
 
ここにある話は、パウロが原罪として指摘する、人類史上の大事件である。
もちろんキリスト教上の大事件だが、これがイエスの十字架による贖罪に
直結するのである。まさにキリスト教成立の土台と言っていい。
 
物質の魅力に負け、神の命令に背いてしまう。これが原罪である。
省2
346: 2011/08/14(日)23:01 ID:Pk98gFuU(4/5) AAS
しかし、四句分別で読めば、まったく違う話になる。
 
人間にしろ生き物にしろ、この地上に根付くのは簡単ではない。
簡単ではないから、地上に根付くように本能が備えられているのである。
自己愛とか、自分中心とかも、神によって備えられた本能である。
 
だから、そういった傾向は罪でもないし、仏教で言う無明でもない。
省2
347: 2011/08/14(日)23:41 ID:Pk98gFuU(5/5) AAS
とはいえ、生涯、自己愛と自分中心でいいかと言えば、そうではない。
そういった傾向から離れ、卒業しなければならない。
それが成人になる、大人になるという意味なのだろうと思う。
  
しかし実際には、なかなか卒業できない。
物質の円を生きているうちはダメ、神の円を知ることによって卒業できる。
言い換えれば、神を知るかどうかが分かれ道になる。
348: 2011/08/15(月)17:57 ID:sERY6JLW(1/5) AAS
神が人間に、自己愛や自分中心を備えたのである。
原罪など存在しない。あるいは仏教の無明など存在しない。
人間は常に、精一杯生きているだけだ。
349: 2011/08/15(月)18:23 ID:sERY6JLW(2/5) AAS
しかし成長するに従い、自己愛や自分中心から卒業しなければならない。
精一杯生きるだけでは足りない。上手に生きることも必要である。
  
精一杯描いたのだから、どの絵も値打ちがあり、どの絵にも上下などない、
という評価の仕方もあるだろう。その一方で、絵には上手下手がある。
同じ描くなら、上手に描きたいものである。
  
省2
350
(1): 2011/08/15(月)19:07 ID:sERY6JLW(3/5) AAS
自己愛や自分中心から、いずれは卒業しなければならない。
しかし卒業にこだわれば、それらは原罪だというパウロの主張につながる。
あるいは仏教の無明につながる。
 
だが、原罪や無明という発想には、神の偉大さへの謙虚さが欠けている。
自己愛も自分中心もなければ、生き物はすべて地上から消えてしまうだろう。
生きようとする気力がないから、みんな抜け毛のように死に絶える。
省1
351
(1): 2011/08/15(月)19:19 ID:sERY6JLW(4/5) AAS
パウロは旧約の創造神を否定しているような印象を受ける。
イエスを神の如く祭り上げるが、そのくせ生前のイエスには興味を示さない。
 
新興宗教を立ち上げようという、狂ったような情熱を感じるのだが、
旧約の創造神への信仰がほんとうにあったのかどうか疑問。
かれの信仰の深さを検証すべきかもしれない。
352: 2011/08/15(月)21:37 ID:sERY6JLW(5/5) AAS
もうひとつ注意すべきなのは、四句分別でわかるように、
人間は、AかつBという矛盾、神(いのち)と物質を同時に生きている。
それなのに、聖霊体験や霊魂体験ができる特殊な生物でもある。
 
こういった体験は、自己愛や自分中心から離れるために効果がある。
しかし体験した後は、再び矛盾した存在を生きなければならない。
それでは何も変わらないではないか、と言えば、そうではない。
省3
353: 2011/08/17(水)16:55 ID:nLURYv3z(1/4) AAS
★ ★ ★
 
キリスト教の原罪論、仏教の無明論(十二因縁)は間違っている。
人間の精神は、青虫→さなぎ→チョウという、変態にも似た成長をする。
あらゆる信仰はこの成長論を新しい土台にすべきである。
 
354
(1): 2011/08/17(水)17:11 ID:YMJwBaBS(1/3) AAS
>>350
イエスの教えには「隣人を自分のように愛しなさい」とある。
パウロも「キリストがしたように、夫は自分の体のように妻を愛しなさい」と教えた。
自分を愛せない人は他人を愛することなどできない。よって卒業しなくてよい。

>>351
ローマ書を読めば?
創造神を肯定し、イエスの役割の重要性を説いていることが分かるだろ?
省1
355
(1): 2011/08/17(水)17:12 ID:nLURYv3z(2/4) AAS
青虫の時期は成長のために欠かせない。
しかし問題なのは、いつまでも青虫の状態を続けることにある。
同じことは、自分に閉じこもる、さなぎ状態にも言える。
 
時期が来たら、自己愛や自分中心に生きることをやめ、
神を信じ、信仰の道に入らなければならない。
華麗に変身する、それを教えるのが真の宗教ではないだろうか。
省1
356: ターリ ◆gj/PBgopxU 2011/08/17(水)17:19 ID:iJEoi4cV(1/3) AAS
神中心って言ってる奴は自分中心ゆえの神中心になってないか気をつけてね。
357
(2): 2011/08/17(水)17:22 ID:nLURYv3z(3/4) AAS
>>354
大間違いです。
 
ヨハネ伝15−13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に
大きな愛はない。」自己愛を否定することで利他愛が成立する。
 
パウロは、イエスを神の如くに祭り上げ、十戒の第一に違反する。
358
(2): 2011/08/17(水)17:23 ID:YMJwBaBS(2/3) AAS
>>355
ローマ 12章 2節
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる
ようになりなさい。

この「変える」は字義的には「変態(青虫から蝶への変化)」を表す。
「いただく」とあるから自力でするのではなく、神に頼り、神主導で変わることを謙虚に認めるべき。
359
(1): ターリ ◆gj/PBgopxU 2011/08/17(水)17:23 ID:iJEoi4cV(2/3) AAS
>>357
その意味での利他愛を他人に勧めることは自己愛じゃないですか?
360: Johannes 2011/08/17(水)17:43 ID:TCo85n6d(1/3) AAS
基督教が偽善的と言われる所以だ。
361
(2): 2011/08/17(水)17:44 ID:YMJwBaBS(3/3) AAS
>>357
「隣人を自分のように愛しなさい」これは自己愛と利他愛が両立しているぞ。
イエスは隣人愛の最大のものについて語ったんですよ。常に命張れとは教えていないよ。
イエスはぶどう酒を飲み、食事も楽しんだ。逆にイエスは奇跡によってぶどう酒や
食べ物を人々にふるまった。これは両立していないでしょうか?

コリントの信徒への手紙一 11章 3節
ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、
省2
362
(1): 2011/08/17(水)17:47 ID:nLURYv3z(4/4) AAS
>>358
引用した章節もそうなのだが、パウロは肉体を否定することで一貫し、
死んだ者のように生きることを勧めている。
神はこの世を良しとするのだから、パウロの考えは誤りでしょう。
>>359
利他愛は簡単ではないと思う。奥の奥で自己愛と絡み合っている。
結局は自分のためというケースがほとんどでしょうね。
省1
363: Johannes 2011/08/17(水)17:51 ID:TCo85n6d(2/3) AAS
基督教徒は偽善の愛と一緒に必ず唯一創造神も押し売りする。
それを拒否すると殺戮神ヤハウェが姿を現して神の正義の名において異教徒を滅ぼせと猛り狂う。

それがキリスト教の有りの侭の姿に他ならない。
364
(1): シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM 2011/08/17(水)18:02 ID:abx5mKFU(1/2) AAS
旧約の幹にイエスの教えを無理やり接ぎ木するのは止めようぜw
その根幹を否定したのがイエスなんだよw
パウロの実存論的救済観(肉体を蔑視し、本性の救済を説く)も
グノーシスを含めた当時の時代思潮で、無理やり古臭いユダヤ民族主義で矯正して考える必要はねえよw
365: 2011/08/17(水)18:05 ID:WPbJvERE(1/11) AAS
>>361
十字架によって人間の罪が赦され、イエスには人間の罪を裁く力もある。
イエスは神の如き存在です。神とイエスと聖霊は一体だと言う、
三位一体の原点はパウロにあるのではないでしょうか。
366
(1): ターリ ◆gj/PBgopxU 2011/08/17(水)18:06 ID:iJEoi4cV(3/3) AAS
>>362
なに、その聖霊体験とか霊魂体験だとか。
その体験が無い人は自己愛しか出来ないとでも?
結局キリスト教徒を胡散臭い体験で上位に置く構図だね。
367: 2011/08/17(水)18:16 ID:WPbJvERE(2/11) AAS
>>366
人間は、神(いのち)と物質(肉体)という矛盾を生きている。
神のような愛を表現することは、物質(肉体)を否定することになる。
そんな愛は日常的に表現できるものではない。
 
話を誤解している。このスレの前の方も少し読んでほしい。
368: シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM 2011/08/17(水)18:20 ID:abx5mKFU(2/2) AAS
聖霊体験って自己啓発セミナーとかで洗脳されたやつが感じるあれでしょ?
369: Johannes 2011/08/17(水)18:31 ID:TCo85n6d(3/3) AAS
お帰り。シモン・グノーシス

君はいつもいいことを言う>>364は図星だ。
370: 2011/08/17(水)18:31 ID:WPbJvERE(3/11) AAS
ヨハネスが言うように、新約と旧約の神観は異なっている。
 
新約の神は実質イエスである。キリスト教徒はイエスに祈るのであり、
創造神に祈るのではない。イエスに祈るのは自由だが、個人的には、
イエスは地上で飲み食いした、ただの人間にしか見えない。
 
旧約は「唯一神がいる」というメッセージとして読むべきだろう。
371: 2011/08/17(水)19:10 ID:WPbJvERE(4/11) AAS
人間の精神は「青虫→さなぎ→チョウ」という成長過程をたどる、
という話は、昔からけっこうあるのではないだろうか。
プラトンにもあったような気がする。
かりにそうでなくても、静かに思えば多少の心当たりもあるだろう。
 
それがどうした? ではなく、繰り返しになるが、
この話は、キリスト教の原罪、仏教の無明を否定しているのである。
省1
372
(1): 2011/08/17(水)19:29 ID:WPbJvERE(5/11) AAS
★ ★ ★
さらに話を進めよう。問題は死後の世界である。
はたして霊体や霊界は存在するのか。輪廻転生はありえるのか。
 
あらゆる生き物は霊魂を持っている。
霊魂は神(いのち)に由来するから、肉体(物質)が滅んでも死ぬことはない。
死んだ肉体から抜け出して生き続ける。その場合、霊魂だけでなく、
省3
373: 2011/08/17(水)19:44 ID:WPbJvERE(6/11) AAS
精神の成長「青虫→さなぎ→チョウ」は死後の世界と関連させることで、
その意味内容がさらに明確になる。死ねば消えてしまうのではなく、
その人間の精神レベルがあの世に持ち越されるのである。
 
自己愛と自分中心でこの世の春を謳歌して何が悪い。
はた迷惑なこの主張は、死後の世界が登場することで粉砕される。
霊界では、生前の思いが徹底的に問われるのである。
省3
374: 2011/08/17(水)20:10 ID:WPbJvERE(7/11) AAS
見たこともないのに、どうして霊や霊界があると言えるのか。
実は見たことがあるのですね。坐禅には魔境体験と言われるものがあり、
霊や霊界を見ることがある。それは夢ではない。
 
こういうことは、自分で実際に体験しないと信じられないだろう。
魔境体験をしたいなら、まず聖霊体験が順序である。
 
省2
375: 2011/08/17(水)21:13 ID:WPbJvERE(8/11) AAS
死後に問われるものは、その人間の精神レベルである。
 
それは知識や処世術や技術を意味しない。こういったものは年を取り、
ボケてしまえば失われる。死ねばなおさらである。
 
そういったものではなく、その人の愛のレベルが持ち越される。
この日常は、ある一定のレベルの愛を元締めとして繰り返されている。
省1
376: 2011/08/17(水)21:21 ID:WPbJvERE(9/11) AAS
愛のレベルが変化しないから、昔の知人に会っても、吹き出したいくらいに
まるで同じ、ちっとも変わっていない。
 
しかし、愛のレベルを変えるのは至難の技である。人格を変えるようなもの。
そしてこの変え難いものが、霊界に持ち越されるのである。
 
霊界は夢のような世界である。この世でも変えられないのに、
省2
377: 2011/08/17(水)22:03 ID:WPbJvERE(10/11) AAS
いまの教育制度や社会制度を根本的に変えないといけない。
  
12歳ごろから、自己愛や、自分中心な生き方から離れることを教え、
15歳ごろから、心理学や哲学や宗教などの概略を教える。
18歳ごろから、さらに深く学ばせる。
20歳〜30歳、実社会で苦労すれば、霊的な頂点に到達するかもしれない。
  
省3
378: 2011/08/17(水)22:18 ID:WPbJvERE(11/11) AAS
霊的な成長を最優先する社会、
それが当たり前になったときに、日本民族の霊性が向上すると思う。
金儲けばかりでは、日本の明日はないだろう。
379: 2011/08/18(木)16:00 ID:albTRwMS(1) AAS
最優先すべきは金銭的豊かさ
その上に心の安定を図ることなどが可能になります
貧しくて働き詰めでは物質の上位概念についての思考など無理です
380: 2011/08/18(木)19:14 ID:aqBo0M8j(1/3) AAS
貧しくても考えることはできる。
たとえば、修行僧や修道者は、昔から必要最小限の生活をしてきた。
かれらにとって金銭的な豊かさは邪魔でしかない。
普通の社会人でも、求道心があれば、霊的成長を最優先するだろう。
働くよりも、自分の時間をできるだけ確保しようと考える。
381: 2011/08/18(木)19:33 ID:aqBo0M8j(2/3) AAS
ただ、長時間働かなければ、最低の生活も成り立たない場合もある。
生活が成り立たなければ精神が不安定になる。
こういった場合は、仕方なく、金銭的な豊かさが最優先されると思う。
 
ワープアが1000万人を超えているらしい。
こんな時代では、毎日の仕事と、仕事で疲れた体を癒すだけで一日が終り、
霊的成長を考える余裕などないのかもしれない。
省2
382
(1): 2011/08/18(木)20:13 ID:aqBo0M8j(3/3) AAS
聖霊体験は、精神的に追い詰められることが条件である。
人間は、神(いのち)と物質(肉体)という二重性(矛盾)を生きている。
神を知るには、物質(肉体)である自分を放棄しなければならない。
 
しかし、この肉体は自分の存在拠点だから、よっぽど追い詰められないと、
自分から放棄することなど思い至らない。それは考慮外なのである。
  
省2
383: 2011/08/18(木)23:29 ID:WqhA/F96(1/2) AAS
はたして自分で自分を放棄することは可能だろうか。
自分で自分を放棄するとは、自分の手で自分の首を絞めることに等しい。
自分の手で自分の首を絞めることなどできるわけがない。
霊性の重要性を自覚した修行者や求道者であっても同じことである。
384: 2011/08/18(木)23:53 ID:WqhA/F96(2/2) AAS
これに関してはヨブの場合が参考になる。
神の了解の下、サタンが陣を張り、ヨブを圧倒的な破壊力で追い詰めていく。
サタンの力を借りないと、自分を追い詰めることができない。
 
サタンを信じるかどうかは別にして、
自分の手で自分の首を絞められないことは理解できるだろう。
 
省2
385: 2011/08/19(金)00:10 ID:CwCMTwy6(1/2) AAS
自分を放棄したくなるような状況とは、貧困、病気、障害、職場のトラブル、
失恋、伴侶の死、家族の死などだろうか。
 
要するに、不幸であるときに、神(聖霊)に近づいていく。
幸福なとき、順風満帆であるときは、神(聖霊)から遠ざかっていく。
聖霊体験から言えば、幸福と不幸は世間の常識と真逆である。
386: 2011/08/19(金)00:44 ID:CwCMTwy6(2/2) AAS
聖霊体験をするにはどうするのか、その経緯がわかれば、
若い時の辛労は買うてもせよ、という意味もわかることだろう。
 
なぜ宗教者には、不幸な家庭の出身者が多いのか。
不幸の中で神に出会うから。
 
苦労が連続する中、かれらはなぜ発狂寸前まで行くのか。
省1
387
(1): 2011/08/19(金)20:05 ID:l+X5CNhg(1/6) AAS
★ ★ ★
残念だが、いまの日本には、安心して信じられるような宗教がない。
オリジナルの、日本人として誇れるような宗教がない。
そういう宗教がないなら、新しく考え出せばいいではないか。
いまの日本は、そういう時期なのかもしれない。 
388: 絶対神 2011/08/19(金)20:17 ID:SIepjoi9(1) AAS
>>387
「そもそもどんな宗教も他からかなり影響を与えられている訳で」

オリジナルな宗教なんてないけどね

   『それと誰かが自分で意図して考え出した宗教なんて』

           「誰が信じるつーの」w
もともと宗教が広まったのは

  「民衆が、それが本当に神の啓示だと思い込んでいたからで」
省2
389: 2011/08/19(金)20:28 ID:l+X5CNhg(2/6) AAS
強力な宗教が消え、宗教への信頼が失われている現代日本は、
新しい宗教を産み出すチャンスにあるとも言える。
 
ユダヤ教やキリスト教やイスラム教やヒンズー教や仏教などを
国教にする国々や、それが支配的な国々・・・
 
いまの日本がこういった国でなくて本当によかった。
省1
390: 2011/08/19(金)21:06 ID:l+X5CNhg(3/6) AAS
オリジナルより、オリジナリティの方が適切だったかもしれない。
 
信仰や宗教の土台は、人間の霊的直感や霊的体験にある。
自分の霊的直感で判断し、真実そうに思えるから支持するのだろう。
それが実際に真実であるかどうかは別の話である。
391: 2011/08/19(金)21:24 ID:l+X5CNhg(4/6) AAS
伝統宗教に関して言えば、
どれもこれも100%真実であるとは到底言えない。
しかし、霊的に学ぶべきものがないかと言えばそうでもない。
 
だから、新しい宗教の方向性が描ければ、
学ぶべきところは学び、切り捨てるべきところは切り捨てればいい。
これが他の宗教から影響を受けるということなのだろう。
省3
392
(1): 2011/08/19(金)22:15 ID:l+X5CNhg(5/6) AAS
神はいない。信仰は思い込みに過ぎない。宗教などはインチキであり、
別の目的の手段に過ぎない。確かに、そういった宗教があることも事実である。
そのインチキ性を暴くことも重要だろう。
 
しかし宗教板で、神を否定するのは、まちがっていないだろうか。
思想の自由だから、神を否定する考えを持つことも認められる。
それと同じように、思想の自由、信仰の自由から、神を信じる自由もある。
省2
393
(1): 2011/08/19(金)22:25 ID:dES2G0U6(1) AAS
>>392
お前は他スレでやれよ
394: 2011/08/19(金)22:42 ID:l+X5CNhg(6/6) AAS
見たり、触れたりすることのできる物質しか、信じない人々がいる。
かれらは、神を信仰する行為を馬鹿げたものだと考えている。
 
しかし、見たり触れたりできないものによって、人間は生きている。
心とか命である。もっと謙虚になり、心とか命を考えてみたらどうだろうか。
霊的な体験は、物質の世界ではなく、心の世界で体験する。
395
(1): 2011/08/19(金)23:22 ID:8RSyiWOI(1) AAS
肉体(脳を含めて)は物質的なもので、それ自体には思考力というものはなく、
霊魂こそ思考力をもっていることは、理性的に考えればだれでも分かることです。

古来より多くの賢者が、人間の霊魂とは、その人の霊的生命であって、それが不死で
あると、多くの書物に記しています。
霊魂はあらゆる面で不死であって、肉体の中で考えているのもこの霊です。

だから、主であるキリストも、こう言われました。
「命を与えるのは霊≠ナある。肉体は、何の役にも立たない。
省3
396: 2011/08/20(土)07:16 ID:wseg0NU+(1/5) AAS
>>393
どこが気に入らない? 具体的に指摘してくれる(^^)
 
397: 2011/08/20(土)07:28 ID:wseg0NU+(2/5) AAS
>>395
久しぶりに気持ちのいいレスを読ませてもらった。
神と霊魂を認めることが話の大前提ですね。
 
唯一神を説く聖書に学ぶべきことは多い。
この書は、新しい宗教の土台とも言うべきものです。
ただし100%の真実ではない。
省3
398: 2011/08/20(土)08:03 ID:wseg0NU+(3/5) AAS
新約は旧約を土台に成立する。新約の根っこは旧約にある。
旧約を否定したら、新約、キリスト教が成立しない。
 
律法中の律法、旧約の十戒に何とあるのか。
出エジプト記20.4
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
出エジプト記34.14
省3
399: 2011/08/20(土)08:15 ID:2U4LoG7g(1) AAS
ヨハネの福音書には何とあるか
8:58b
「アブラハムが生まれる前から、「わたしはある」」

出エジプト記3:14aには
「神はモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、」
とあり、旧約でモーセの前に現れた神が、イエス様であったことがわかります。
400
(2): 2011/08/20(土)08:18 ID:wseg0NU+(4/5) AAS
十戒にはまた、次のようにも書かれている。
 
20.5「あなたはいかなる像も造ってはならない。」
34.17「あなたは鋳造の神々を造ってはならない。」
 
キリスト教は、十字架を造り、それに祈り、拝んでいないだろうか。
イエスが十字架にかかる姿を造り、祈り、拝んでいる人々もいる。
省1
401: 2011/08/20(土)08:27 ID:wseg0NU+(5/5) AAS
この地上で飲み食いした人。各地を巡回しながら宣教した人。
ホームレスのように暮らした人。自分を神だなどと言わなかった人。
神殿で大暴れした人。あげくに捕まって死刑にされた人。
 
こんな人間が神であるはずがない。どう考えてもイエスは人間であり、
むしろ人間くさい人間だった感じがしないではない。
402
(2): Johannes 2011/08/20(土)09:27 ID:84HA430s(1/4) AAS
>>400
お前、ユダヤ教なのか。日本にも居るのだな。
403
(2): 2011/08/20(土)10:10 ID:oc9D6UHf(1/8) AAS
聖霊により身ごもり、おとめマリアから生まれた人
わたしは道であり、真理であり、命であると言われた人
また、天と地の一切の権能を授かっていると言われ
数々の奇蹟を起こされ病人をいやし、死者を行き返らせた人。

このようは人がただの人間であるわけはありません。
キリストは、神であり人であるのです。
ソッツイーニ主義者の、イエスの人間性だけを認めて、神性を
省1
404
(1): 2011/08/20(土)10:54 ID:M1fZQ1z2(1/2) AAS
>>402
ユダヤ教徒はキリスト教のことを「キリスト教」とは言わんよ
理由はわかるだろ?
405
(2): Johannes 2011/08/20(土)11:16 ID:84HA430s(2/4) AAS
>>404
皮肉を言われ軽蔑されていることに気付かないほど鈍感なのだな。

一つ教えてやろう。キリスト教徒は本当のイエズスを知らない。
教会のドグマがキリストの教えだと思い込んでいる姿は愚かである。
それがイエズス本人の教えとかけ離れたものであるのは確実なことだ。
406: 2011/08/20(土)11:26 ID:ZLbc40V/(1) AAS
>>405
どこが離れているんだ?
具体例を出して指摘してくれ
407: 2011/08/20(土)11:27 ID:M1fZQ1z2(2/2) AAS
>>405
俺は>>400じゃないから皮肉だとか軽蔑だとか感じようがないよ
ところで理由はわかるのか?
分からないようじゃ軽蔑されるぞ
408: 2011/08/20(土)11:55 ID:oc9D6UHf(2/8) AAS
カトリック教会が説いている無原罪のマリアから生まれた、
無原罪のイエスは、キリストの教えではない。
409
(1): 2011/08/20(土)12:08 ID:oc9D6UHf(3/8) AAS
キリストが十字架の死、神の裁きである死という代価を払うことに
より、本来わたし達が受けなければならない罪の裁きである死から買い取った
というキリスト教の教義は、イエスの教えではない。

キリスト教会の中心教義である「信仰のみによる義認」は、イエスの教えではない。
410: 2011/08/20(土)12:37 ID:oc9D6UHf(4/8) AAS
カトリック教会にある、聖母マリア・聖人崇敬は、イエスの教えではない。
411: 2011/08/20(土)16:04 ID:2s6JcWj1(1/12) AAS
>>409
イエスが人類の罪を購ったという教義はキリスト教の肝である。
その肝を否定するなら、その教義はいったいだれの教え(パウロ?)であり、
イエスの役割はいったいどこにあるのだろうか。
興味深い主張をしているので、その辺の話を聞いてみたいものである。
412
(1): 2011/08/20(土)16:16 ID:2s6JcWj1(2/12) AAS
その答えは、>>403です、では嫌だなあ。
 
>聖霊により身ごもり、おとめマリアから生まれた人
>わたしは道であり、真理であり、命であると言われた人
>また、天と地の一切の権能を授かっていると言われ
>数々の奇蹟を起こされ病人をいやし、死者を行き返らせた人。
 
省2
413: 2011/08/20(土)16:25 ID:2s6JcWj1(3/12) AAS
>>403
>キリストは、神であり人であるのです。
>ソッツイーニ主義者の、イエスの人間性だけを認めて、神性を
>否定した人は、神の国には入れません。

ID:oc9D6UHf が、イエスを神であり人である、と考えていることを了解。
しかしその後の文章は、無意味な脅迫だろうと思う。
1-
あと 588 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.189s*