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坐禅と見性〇第4章☆生死大海を泳ぐ_ (1001レス)
坐禅と見性〇第4章☆生死大海を泳ぐ_ http://life6.5ch.net/test/read.cgi/psy/1093234409/
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890: あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 04/08/31 01:20 ID:FQI5tAVf ・大谷大学仏教学 一郷 正道 教授の"空"の解説 「空」は、仏教思想においても最も重要な教えの一つである。 空は無と有、否定と肯定の両方の意味をもつが、世間では「から、あき、むなしい」等の意味で把握され、「無」の面だけが強調される傾向にある。 「空」は梵語「シューニャ」の訳語で、よく「無」とも漢訳される。しかし、その語根「シュヴィ」は「膨れる、成長する」の意味をもつ。 たとえばサッカーボールは、外面的に膨らんでいても、内面的には空からの状態である。 数字のゼロも、その原語は、「シューニャ」である。ゼロは、+プラス 、−マイナス 両方になる可能性をもつ。 我々人間という個的存在も、肉体、精神の諸要素からなる点では「膨らんだもの」であるが、一方、芯となる自己の本質、我を見出せない点からすれば「うつろな、非実体的存在」である。 禅者は、その「空」を象徴的に円で表現するが、単に非存在、空白だけを意味すると誤解してはならぬ。 インドに二〜三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナガールジュナ(龍樹)は、縁起思想にもとづいて「空」を理解した。 「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。 この絶対的、実体的存在(自性じしょう)がないことを「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。 聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者は不二である。 ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。 そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。 http://life6.5ch.net/test/read.cgi/psy/1093234409/890
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