[過去ログ] ヘッドランプについて語ろう 62灯目 [転載禁止] (738レス)
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713: (ワッチョイ ce0d-91/d [175.177.5.32]) 2019/03/12(火)09:51 ID:5Bg3vlqE0(74/99) AAS
に増すことになる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変
化や、富士スバルラインの開通等もあ運営って吉田口登山道は衰退
する。それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士
御室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が困
難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿を里宮
地内に移転することとなる。運営修験や登拝といった様々な富士信
仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた神社である。写真冨士御室浅
間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1973年本宮本殿・
二合目から里宮境内運営地に移築、整備された(〜74年)198
5年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文化財として指定1983
年回廊修理工事を行う1995年外部の漆塗の塗り直しほか一部補
修を行う2010年「重要文化財冨士御室浅間神社本殿保存活用計
画」を策定運営2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡アフィとして指定(予定)2011年「史跡アフィ保存管理計
画」を策定(予定)B8御師住宅御師は、道者に宿や食事を始め登
拝のための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
と運営を業とした。アフィ御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に
沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多く
は短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を運営流
れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室
が続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧外
川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の
典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧外運営川家住宅は
、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉田市上吉田・下宿の東側
南端に位置する。1572年の町割によって成立した東西方向の奥
行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷地に建てられている尾魚
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