[過去ログ] ゆるキャン△ Part5 (326レス)
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182: (ワッチョイ ef0c-gvEZ [175.177.5.40]) 2018/06/16(土)07:22 ID:YsEWRMia0(176/320) AAS
石」はないが、祠と鳥居が建てられている。写真迎運営久須志之神
社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山
道終点)、9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御
嶽神社前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・
狛犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置運営されている。この場
所は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目
付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高
い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていた
ものを山小屋関係者で運び、現在運営の場所に設置したという。日
付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉田口
登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口登山道
は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、アフィ頂を目指す道である
。18世紀後半以降は、運営最も多くの道者が吉田口登山道を目指
している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる
重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要素として、現存す
る吉田口登山道や沿道の宗教施設や山小屋等信仰の拠点などがある
。・旧登山道・運営馬返ここから急坂となり馬が使えなくなること
からこの名がついた。この一体は草山から木山への境でもあり、こ
こからが御山の聖地ということにもなる。アフィ有料道路が開通す
る以前の馬返の周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平
地であ運営り、登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わっ
た。登山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。
写真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの
地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場、エムソ
゙ネ中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三
社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所
となった。小屋については、江戸後期には4軒があったが、すでに
武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称運営が酵骨
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